第3話 PINコードを探せ
暮れゆく曇天を屋上のフェンスが細かく切り刻んでいる。
二メートルくらいあるフェンスは簡単に乗り越えられないように上部が内側に折れている。
昨日もこんな曇り空だった。
決意を胸に曇天に向かってこのフェンスを昇っていった。
乗り越えるのは難しかった。飛び降りるつもりなのに「落ちるかも知れない」という恐怖で足が震えた。眼鏡を外していたのは、高所から飛び降りる恐怖を軽くするためだ。
悠和の姿になった後、眼鏡を探してここに戻ってきた。フェンスの前に靴と眼鏡、大学ノートとスマホが置いてあった。
「何よ、話って」
青いドアを開けて奏芽が現われる。強い風が奏芽の剛毛を靡かせている。
「俺、あの日麻里に呼び出されたんだ。七月十二日の、午後九時」
奏芽の喉仏が上下する。
「もう麻里は死んでいて、足元にスマホとノートが置いてあった。俺を呼び出したのは、生体認証を使ってスマホのロックを外して欲しかったから」
「何故……?」
髪を抑えながら奏芽が問いかけてくる。
「遺書が残されてた。自殺の理由と、原因を作った奴の告発。でも、公にはしないで欲しいという内容の」
『アイツの事は許せないし、これ以上被害者を増やしたくないの』
遺書にはそんな難問が書かれていた。明け方の夢に思いを馳せた瞬間、頭がガクガクと揺れる。奏芽が俺の胸ぐらを掴んで揺すぶってきたのだ。
「何て!? 何て書いてたの!?」
「それが……。思い出せなくて……」
「はあ!!??」
涙でぐしゃぐしゃになった顔が五センチ手前まで迫る。近い近い。
「やっぱ昨日、頭ぶつけたのかな。揺すぶったりしたら、やばいかも」
口を大きなへの字に曲げてから、奏芽は俺を解放した。ゲホゲホ咳と同時に悔しさが込み上げる。
箱崎裕哉の存在が薄すぎて、上手く記憶が融合できなかった。スマホのロックを解除し、遺書を読んだことは確かだが、その内容を思い出せない。
これでは、麻里と悠和が何故死んだのか分からない。
奏芽がぐしゃりと腕で涙を拭い、スマホを奪う。
「PINロック解除する!」
そう言って、うんこ座りでスマホを操作し始める。 眉間の皺を顔半分くらいまで伸ばし、画面をタッチ。舌打ちをし、再びタッチ。視線を空に向け、タッチ。俺は成す術もなく、スマホ相手の百面相を眺める。
しばらくして、けたたましい悲鳴が上がる。
「やばい! 後十回間違えたらデータを初期化するって出た!」
「そんな闇雲に入力すんなよ」
「闇雲じゃないわよ! 生年月日を色々組み合わせてみたの!」
「じゃあ、生年月日の線は捨てようぜ。てか、まず推理しよう」
「悠和のくせに、理論的……」
奏芽が口をへの字に曲げる。俺が理論的なわけではなく、奏芽が原始的なんだと肩を竦めてしまう。
麻里と奏芽は良いコンビだったんだな。時間を見計らって悠和を呼び、生体認証のロック解除させるなんて実に計画的だ。
計画的。
そうだ、麻里は最後にちゃんとメッセージを残していた。慌てて鞄から青い表紙の大学ノートを出す。最初の見開きに安斉・目黒・野原・名越と書いてある。
奏芽が覗き込んでくる。
「麻里を虐めてたのは目黒達。麻里は名越君に片思いしてた」
「え、そうなんだ……」
悠和、片思いだったんだ。胸に悠和由来の切ない痛みが沸く。
しかし……。
何故、この並びだったんだろう。三人のリーダー格は目黒。だったら、目黒・野原・安斉の順。
そこに何故、片思いの相手が加わるんだろう。
あんざい
めぐろ
のはら
なこし
ノートにひらがなで名前を書き込んでみる。
「……あめのな」
しばらくぼんやり眺めていた奏芽が頭文字を縦に読んだ。同時に俺は「あ」と叫ぶ。
「飴が置いてあった。麻里のノートの上に」
「それよ! それどうしたの!?」
「た……。食べた」
屋上で見つけた時、腹が減ってたから。
「馬鹿ぁ!! 吐け! 今すぐ吐け!」
「無理!」
「じゃあどんなの!? なんて飴!?」
「し、知らねぇよ」
「どんな味!?」
「甘かった」
「あったりまえでしょ!!」
「甘くて、あ、苺味。ミルクっぽくて、そうだ、三角だった。柔らかくてポリポリ囓りたくなる感じの」
急に奏芽が胸ぐらを離したので、反動で後頭部がフェンスにぶつかる。奏芽がスマホを操作する。
だがすぐに金切り声を上げた。
「違う! ああ、後九回間違えたらデータ飛んじゃう!」
「待て、何て入れた」
「イチゴパリット」
itigoparittoとノートに書き込み、頭を抱えている奏芽に見せるとうんうん頷く。
「色んなパターンがあるぜ」
15paritto、Itigoparitto、ItigoParitto、15Paritto。思いつくイチゴパリットをノートに書き並べてみる。
「イチゴを数字に変換するのとか、麻里、好きそう」
「じゃ、試してみるか」
頷いてスマホを操作したが、奏芽の顔が曇る。今度は俺も画面を見ていた。
「スペルが違ってた。tが一個しかなかった」
「ああー! 無駄に一回間違えた!」
「……俺がやるわ」
溜息をつきながらスマホを受け取り、慎重にPINを入力していく。しかし、15parittoも15Parittoもハズレだ。残りは後六回。
「冷静になろう。麻里の事を考えて。麻里が設定しそうなPINを想像するんだ。それが出来るのはお前しかいない」
奏芽の顔が泣きそうに歪む。しまった、失言だった。追い詰めたら思考回路がバグる。
「気楽に行こうぜ。上手く行っても麻里が生き返るわけじゃないしさ。麻里との楽しい想い出だけ残ってれば……」
「無責任なこと言わないで! 麻里には夢があったのよ! 一流のパティシエになる為にパリで修行したいってフランス語を勉強してたんだから!」
「パリ……」
反芻した言葉に、奏芽が目を見開く。そして俺からシャープペンシルを奪うとノートに書き込んだ。
15Paristto。
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