第2話 存在の薄い箱崎悠和の人生
その言葉は、俺の頭を強く殴った。
「死んだ……?」
「はあ?」
もれてしまった疑問符に奏芽が目を眇める。
またしても失態だ。こうなれば、先ほどの伏線を活用するしかない。
ふるふると頭を振りながら、困り果てた表情を作る。
「マジで、記憶が曖昧なんだ。頭がボーッとしてて……」
「あんた、病院行った方がいいんじゃない?」
「あ、大丈夫大丈夫。数学の問題解けたし」
「だからおかしいって言ってんの。あんたいつも『分かりません』ってスルーするじゃん」
「え、スルーして良いの……?」
教師に指されて回答拒否とか、ありえないでしょ。
「大体みんなスルーじゃん。だってあんな難しい問題解けるわけ無いもん」
一年二学期はじめの数Ⅰくらい、授業で習えば大体理解できるだろう。
知らず知らずのうちに口をぽっかり開けてしまったが、ずっと昔そんな感じの学校に通っていたことを思い出した。
そこは県内ワースト一位の偏差値で、通っている生徒はリーゼントの長ランかロングスカートを引き摺る明菜ちゃんヘアだった。
「どうせこの辺の工場で働くことになるんだもん、だれも真面目に勉強なんかしないし、先生も期待してない。最終的に大学進学目指してる名越君が答えるのよ」
「大学目指してるのは、名越だけ……?」
奏芽はひょいと肩を竦める。
「もうちょっといるよ、流石に。カースト上位ならお金出して大学行くもん。名越君は歯科医院継ぐ事になってし」
草むらで間違って咲いた薔薇みたいな、上品な佇まいだったな。スッと手を上げて立ち上がった名越を思い出す。
だが、ちょっとおかしくないか。
「歯科医を目指す奴がどうしてウチみたいな底辺校に通ってんの」
そういうお坊ちゃんはお受験して私立のエスカレーターに乗るのがセオリー。敢えて公立に通うとしても、数Ⅰが理解できない学校に通うのはおかしい。
「本人曰く、病弱だから体調不良で受験失敗したんだって。私立も公立も落ちて、しかたなく二次募集でウチの学校。家遠いからって2LDKのマンションで一人暮らし。……でも病弱ってのは嘘で、プレッシャーに弱いだけみたい。中間は途中退室しちゃった。期末は一番だったけど」
「成る程」
色々あるよな、人間って。ぼんやりとこれまで出会ってきた人々の顔を思い浮かべうんうんと頷く。
キザったらしくて気に入らないと思っていたが、今度話しかけてみよう。
「ところでさ、そのスマホ、早く麻里の親に渡した方がいいと思う」
奏芽が俺の手を指差す。淡いピンクのスマホケースに収められた画面は、真っ黒だ。
そこに浮んでいた「お母さん」という文字を思い出し、胸が痛む。
麻里の母親は、未だに娘の死を受け入れられず、応答しないと分かっていて電話をかけたのだろう。
「悠和、今日返してきて」
「え。俺?」
思わず自分を指差すと、奏芽が口をへの字に曲げた。
「だって、あんたの家、麻里ん家の真下じゃない」
あ、そうなの? という言葉を辛うじて飲み込んで頷く。
***
九月の熱気や湿気を逃がしたくて窓を開けたが、教室とは比べものにならない異臭が流れ込んできて即窓を閉めた。
六畳二間のアパートにはエアコンがない。熱中症リスクに挑戦するか臭いに慣れるか、究極の選択に顔を歪める。
製紙工場の社員寮。ドアを開けたら、ここに父親と二人暮らしだという記憶がしみ出してきた。
母親はフィリピン人で顔も覚えていない。父親は製紙工場の非正規職員で今夜は夜勤。この社員寮には似たような家族が暮らしている。
冷蔵庫を漁って、残り物で炒飯を作った。
人間社会で生き残れるように母親が家事を仕込んでくれた。
川での洗濯から全自動車洗濯機に変わり、狩猟をしなくてもスーパーで肉を買える世界になった。
どんな世界になっても料理は好きだ。美味い飯を喰えば、生きていることを確認できる。
父親の分はラップをかけて冷蔵庫に入れた。シャワーを浴びて、洗濯物を畳んでから奥の部屋の万年床に横たわる。
この天井の上に麻里がいて、悠和はひたすら気配を追っていた。
足音、椅子を引く音、ベッドの軋み……。
ジワジワと記憶が湧き出して来て、俺と悠和が融合されていく。
俺は人喰い鬼の末裔だ。人の血が混じっているせいか、突然変異で喰った人間の姿になってしまう。
共食いも人殺しもしたくないけど、喰わないと死んでしまう。だから、死んで間もない人間を喰う。
対象は大概自殺者。人知れず死のうとするから、生き返った事を気付かれにくい。
ついでに元の姿に戻るまでの間、そいつの人生を間借りする。
ジワジワと箱崎悠和と溶け合っていく。
何だか、薄い。
普通自殺する奴は泥沼みたいに苦しみや悲しみや怒りが混ざり合っているものなのに、こいつには何も無い。
まるで最初から、存在していないみたいだ。こんなに希薄でよく自殺なんかできたな。
箱崎悠和は、一体何故死んだんだろう。
***
悠和と麻里、奏芽は保育園から一緒。特に麻里とは仲が良かった。家が近いし、ハーフ同士だし。よく麻里に母親と一緒に作ったお菓子を食べさせて貰った。
でも、段々距離を置くようになる。
母親がフィリピンパブのホステス。それだけでイジメの対象になる。そう悟ってからは標的にならないように存在を消した。まるで世界を構成する背景の一部みたいに。
背景が誰かとつるんだり笑ったりしてはいけない。
麻里はイジメられてから、同じように存在を隠そうとしたけれど、時既に遅しだった。
綺麗な顔を前髪と黒縁眼鏡で隠し、背中を丸めて暴言に耐える。その姿を、傍観していた。
好きだけど、何もできない。だって自分は背景だから。
そんな麻里が髪を上げ、化粧をして登校してきた事がある。当然皆ざわついた。エキゾチックな美しさを初めて目の当たりにしたからだ。
でもそれはたった一日だけだった。その頃からだ、麻里がおかしくなったのは。
ある日寮の外階段で麻里にバッタリ出会った。勇気を振り絞り「大丈夫?」って声を掛けると、麻里は泣き出した。
泣きながら、夜の九時に学校裏の雑木林に来て欲しいと言った。
『早く来ても、遅れても駄目だよ』
前髪の下でふっくらした唇が笑みを作った。
約束の時間、約束の場所で見たのは、変わり果てた麻里の姿だった。
ソンナコトボクニデキルハズガナイ。
***
記憶が見せた胸糞悪い夢を忘れる為、弁当を作る。
出来上がった頃父親が帰って来た。祖父でも通るくらい老いて冴えない男。国籍目的の女に騙されたクチなんだろうな。
それに比べて、麻里の家族は仲が良い。両親は相思相愛で一人娘を溺愛していた。
「お帰り。お疲れ様」
声を掛けると分かりやすく狼狽えて後退る。親子関係も希薄だったんだな。でも俺は、家族とは仲良くしていたい。
「弁当作った。冷蔵庫に炒飯入ってる。行ってきます」
軽く手を上げ家を出る。
偽物でも構わない。家族は大事だ。
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