流浪の鬼~あなたの人生間借りします~
堀井菖蒲
第1話 ノートに書いていた名前と思いがけない目撃者
「箱崎ぃ、前に出てこの問題を解け」
数学教師がチョークで黒板を突きながら言う。一番後ろの席であくびをかみ殺していた俺は、慌てて口中の飴をパリパリ噛み砕く。
「箱崎悠和! 授業中に何食べてる!」
狐目をつり上げる教師に驚いたフリをして立ち上がる。
「すいません、のど飴舐めてました。ちょっと、風邪気味で……」
わざとらしく咳をしながら前にでる。
教室のあちこちからざわめきが起こる。
首の後ろに居心地悪い視線を受けながら、数式を見上げる。カツカツカツと音を立てて数式を解くと、首に当たっていたざわめきの種類が変わった。
パンパンと軽く手についた白い粉をはたきながら振り替えると、みんな口をあんぐり開けていた。
ちょっと良い気分だ。
席に戻る途中、机からにゅっと足が飛び出してくる。普通なら引っかけて転ぶタイミング。
なので、踏んづけるのは不可抗力。
「ってぇ!」
足の主は細眉をつり上げ、後ろの茶髪が中指を立てる。通路を挟んで小柄な男子がアワアワと声を上げる。
この三人が目黒、野原、安斎。
俺の席は教室の一番後ろで、窓際。当たりだと喜んだのは、ほんのつかの間だった。
エアコンのない教室だから、全ての窓が開け放たれている。斜め後ろのテラスドアも。
窓外に広がるのは、臨海工業地帯。煙突が吐き出す白煙はえげつない臭いを発している。臭いの被爆量の多いこの席は、一番外れの席なんだ。
視線を感じて隣を見ると、女子がフイッと目をそらした。海苔みたいにごわついた髪で顔を隠しているが、視線を向けているのが判る。感じ悪い。
「もっと合理的に解く方法があります」
凜とした声を上げて立ち上がったのは、細身で長身の男子。軽いくせ毛がよく似合う、カワイイ系のイケメンだ。こいつが、名越彰良。
安斉・目黒・野原・名越。ノートの書かれていた四人の顔を確認できた。
***
放課後、学校裏の雑木林で目黒を殴り倒した。
金魚のフンみたいにくっついていた野原は「ふざけすぎたよ、ゴメン」と謝ってくる。雑木林の入り口で見張っている安斉には、アジア系外国人の面影がある。
トイレの鏡で見た箱崎悠和にも、同じ面影があった。
起き上がった目黒は古典的な捨て台詞を吐いて立ち去り、茶髪の野原が後に続いた。
「覚えてたら何かくれんのかな? そこの誰かさん」
肩を竦めてから振り返えり、木陰に身を潜めているギャラリーに声を掛ける。
ミズナラの影で小枝を踏む音がした。しばらく待っていると、陣内奏芽が姿を現す。眉間に皺を作りギッと俺を睨み付けてくる。
「言っとくけど、先に手を出したのはあいつらの方。チョッカイかけてきたのもあっち」
「……知ってる。足かけようとしたの、見てた」
「だろ? あのタイミングで足出されたら、避けられねぇよ。なのに仕返しって酷くない? 俺だって何時までも黙って虐められてないぜ?」
しばらく続く箱崎悠和ライフを快適に過ごすためには、キャラ変していかなければ。最初に目指すは脱・いじめられっ子。
「嘘」
奏芽はそう言って、グッと歯を食いしばった。
「悠和、虐められてなんかない。虐められないように、存在消してきたじゃん。なのに寧ろ、最近あいつらが虐めてくるよう仕向けてるみたいだった。何でよ」
「あ、そ、そうだっけ」
後頭部をポリポリと掻く。
失敗した。
行動を起こす前にもう少しリサーチするべきだった。ノートに名前が書いてあったから、てっきり安斉達三人に虐められていると思い込んでしまった。
奏芽がミズナラに一歩寄る。半身を隠すみたいに。
「……あなた、本当に悠和?」
無理に浮かべた半笑いが凍り付く。
「昼休みに私、見ちゃったんだけど。……悠和が屋上から飛び降りるところ」
俺は密かに舌打ちをした。
飛び降りる人間を見つけて地上すれすれでキャッチし、人気の無い場所に運んだ。
精神的なショックで既に心臓は止まっていた。AEDでもかければ生き返ったかも知れないが、腹が減っていたから一気喰いした。
喰い終わってホッとしてたら、誰かの気配を感じた。しかし、振り返って正体を見つけることは出来なかった。箱崎悠和はものすごい近眼なのに、眼鏡をかけていなかったからだ。
あの気配の正体が、こいつか。面倒な事になるのなら、こいつも喰ってしまおうか。
「探して、探して……。そしたら、ここに。丁度今いる辺りに、悠和が立ってたの」
ギリギリ、セーフ、か。食べている場面を見られたわけじゃないようだから。
俺は思いきりとぼけた笑顔を作り、頭を掻く。
「そうなんだよ。足を滑らせて落っこちちゃってさ。流石に死んだーと思ったんだけど、強風に煽られたりあちこち引っかかったりして、無事に着地したんだ」
「嘘、そんな訳……」
「だって現にどっこも痛くない。……でもさ、頭ぶつけたかも。なんだか記憶が曖昧でさ」
無理を通せば道理が引っ込む。
どんなに現実離れしていても、実際目にしていることを受け入れるには無理を飲み込むしかなくなる。
奏芽は顔半分に至るくらい深い縦皺を眉間に刻み、口をへの字に曲げる。
どうやら、簡単に飲み込んでくれる相手じゃなさそうだ。
その時ポケットが震えた。同時に軽やかなメロディが流れる。
取り出したスマホの画面には「お母さん」という文字が浮んでいる。出るべきかどうか迷っている内に、メロディは途切れた。
「どうして……」
震える声に顔を向けると、奏芽がこちらを指差していた。
「どうして、悠和が麻里のスマホを持ってるの……?」
麻里。
その名前を聞いた途端、心臓がバクバクと音を立て始めた。
まるで、心臓が動き方を思い出したみたいだ。細胞という細胞が鼓動と共に熱を帯びていく。
前髪を長く伸ばし、太い黒縁眼鏡をかけた女子。その肌は褐色で、前髪の下から覗く唇は肉感的だ。
「ねぇ、答えなさいよ! どうして麻里のスマホをあんたが持ってんの!? みんな探してたのに!」
金切り声に我に返る。身体の反応と状況把握が追い付かなくて頭が真っ白になる。
「ひ、拾った……」
やっと口をついたのは、そんな陳腐な言い訳だった。こんなんで納得するわけないよな、と次の言い訳を探す。
だが、奏芽は意外にも小さく頷いた。
「そっか……。ここ、だったもんね。麻里が死んだのも……」
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