第7話 再建の10年
あれから十年が過ぎた。
結論から言えば、地獄のような日々だった。
平日は自分の会社で死ぬ気で働き、週末は高村建設の経営再建に奔走する。
休みなんて盆も正月もなかった。
俺の睡眠時間は平均三時間。
過労死ラインなどとうの昔に超えていた。
だが、人間というのは現金なもので、「損をしたくない」という執念があれば案外死なないものだ。
一千五百万という巨額の投資を回収するまでは倒れるわけにはいかない。
その一心で、俺は働き続けた。
その結果――。
俺は三十八歳にして、本業の商社で営業部長のポストに就いていた。
最年少記録での昇進だ。
理由は単純。
義父の会社に回す仕事を確保するため、あるいは銀行との交渉を有利に進めるため、俺が鬼のような形相で成果を上げ続けたからだ。
社内では「冷徹な仕事の鬼」「出世のサイボーグ」なんて陰口を叩かれているらしいが、知ったことではない。
給料が上がれば、それだけ高村建設の借金返済が早まる。
ただそれだけだ。
「……あなた、お疲れ様でした」
助手席から、缶コーヒーが差し出される。
現在の俺の愛車は、かつての高級外車ではない。
中古で買った十万キロ走行の軽自動車だ。
エンジン音がうるさいし、シートは硬い。
「ああ」
俺は片手でハンドルを握りながら、コーヒーを受け取る。
隣に座っているのは美鈴だ。
十年経っても、彼女は相変わらずだ。
少し白髪が増え、体型もふくよかさは変わらない。眼鏡の度も強いままだ。
だが、彼女も変わった。
今や彼女は高村建設の経理を一手に引き受け、社員たちの母親代わりとして現場を仕切っている。
かつてのオドオドした様子はなく、図太い……いや、頼もしい「おかみさん」の貫禄がついた。
「今月の試算表、確認しました。利益、目標より5%上振れそうです」
「そうか。なら、銀行への返済を少し早めるか」
「はい。そうすれば、来年には完済の目処が立ちます」
車内での会話は、色気も何もない経営会議だ。
だが、不思議と居心地は悪くない。
俺たちは戦友だった。
泥水をすすり、頭を下げ、這いつくばって十年を戦い抜いてきた共犯者だ。
「……ねえ、あなた」
「なんだ」
「そこのコンビニ、寄りませんか? 新作のアイスが出たんです」
三十五歳を過ぎたおばさんが何を言っているんだか。
俺は呆れつつも、ハンドルを切ってコンビニの駐車場に入れた。
深夜のコンビニの駐車場。
車内で二人、百五十円のアイスを食べる。
かつて俺が夢見ていた「高級レストランでのディナー」とは雲泥の差だ。
格差社会の底辺のような光景だろう。
「んー、美味しい! これ、当たりですね」
美鈴が口の端にバニラをつけながら、満面の笑みを浮かべる。
相変わらず不器用な食べ方だ。
だが、街灯に照らされたその笑顔を見て、俺はふと――「悪くない」と思ってしまった。
一千五百万は消えた。
十年の自由な時間も消えた。
だが、俺の隣には、俺を絶対的に信頼し、俺もまた背中を預けられるパートナーがいる。
そして何より、俺自身の手で守り抜いた会社と家族がある。
「……食ったら出るぞ。明日も早い」
「はい! ……ふふ、あなたとこうしている時間が、一番幸せです」
「安上がりな幸せだな」
俺は憎まれ口を叩いて、アクセルを踏んだ。
軽自動車の安っぽいエンジン音が、今の俺には妙に心地よかった。
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