第3話 義父の会社、まさかの崩壊
永遠に続くと思われた「優良銘柄」の暴落は、ある日突然訪れた。
『――速報です。県内最大手の老舗ゼネコン、高村建設に巨額の粉飾決算の疑いが浮上しました。東京地検特捜部が家宅捜索に入り……』
リビングの大型テレビが、無機質な声で破滅を告げていた。
画面には、義父の会社の本社ビルが映し出され、大量の段ボールを抱えた捜査官たちが列をなしている。
「……まじかよ」
俺の手から、リモコンが滑り落ちた。
粉飾決算。
しかも長年にわたる組織的なものだという。
株価はストップ安確実。銀行は融資を引き揚げるだろう。
倒産は時間の問題だ。
いや、倒産で済めばいい方で、義父の逮捕も免れないかもしれない。
俺の脳内で、凄まじい速度でソロバンが弾かれる。
高村建設の社長令嬢である美鈴の「資産価値」は、今の瞬間にゼロになった。
いや、マイナスだ。
今後、彼女の親族として、俺にまで世間の批判の目が向くかもしれない。
借金の肩代わりを求められる可能性だってある。
結論は、一つ。
――損切り(ロスカット)だ。
投資の世界では、見込みのない株を持ち続けるのは愚策中の愚策だ。
傷が浅いうちに切り捨てる。それが鉄則だ。
幸い、子供はいない。
慰謝料なんていらない。手切れ金なしで別れられれば、それで御の字だ。
俺は冷え切ったビールを一口飲み干し、決意を固めた。
今日だ。
今夜、美鈴に離婚を切り出す。
ガチャリ。
玄関のドアが開く音がした。
美鈴が帰ってきたのだ。
彼女は事件発覚後、実家の手伝いに行っていたため、顔を合わせるのは三日ぶりだった。
「……おかえり」
俺は努めて冷静に声をかけた。
リビングに入ってきた美鈴の姿を見て、俺は少し眉をひそめた。
酷い顔色だった。
肌は土気色で、目の下には濃い隈ができている。
自慢の(といっても俺は評価していないが)黒髪もボサボサで、数日で一回り痩せたように見えた。
「……あなた。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
開口一番、彼女は深々と頭を下げた。
その声は枯れ、震えていた。
「ニュース、見たよ。大変なことになったな」
「はい……父は、もう駄目かもしれません。会社も、家も、全て失うことに……」
彼女は唇を噛み締め、俯く。
今がチャンスだ。
俺は息を吸い込む。
「悪いが、俺たちも終わりにしよう」と言うために。
だが、その言葉が喉を出るより先に、美鈴が動いた。
彼女は鞄から封筒を取り出し、震える手でテーブルの上に置いた。
見慣れた緑色の紙。
離婚届だ。
しかも、美鈴の欄にはすでに署名と捺印がされている。
「……なんだこれ」
「書いて、おきました。あなたはハンコを押して、出すだけで大丈夫です」
美鈴は顔を上げ、俺を見た。
泣き腫らした目。
けれど、口元には無理やり作ったような、歪で痛々しい笑みを浮かべていた。
「今まで、ありがとうございました。私のような女を貰ってくれて、優しくしてくれて……本当に、夢のような三年間でした」
「おい、俺の話はまだ……」
「わかっています。あなたは優しいから、今の状況で私を見捨てられないって、迷っているんでしょう?」
は?
俺が? 迷っている?
何を言っているんだこいつは。
俺は今まさに、お前を切り捨てようとしていたんだぞ。
「でも、もういいんです。私と一緒にいたら、あなたの経歴に傷がつきます。あなたは優秀な人だから、私なんかよりずっと素敵な、ふさわしい人が見つかるはずです」
彼女は一歩、俺に近づき、そっと俺の手を握った。
その手は氷のように冷たかった。
「私と離婚して、身を守ってください。……これは、私からの最後のお願いです」
彼女の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
それでも彼女は笑っていた。
自分の人生が崩壊しようとしているのに、俺の心配をしている。
金も地位も失い、たった一人になろうとしているのに。
俺の「損」を回避させるために、自ら身を引こうとしている。
――健気だ。
――美しい夫婦愛だ。
世間一般なら、そう思うだろう。
だが。
ドクリ、と。
俺の腹の底で、どす黒くて熱い何かが脈打った。
ふざけるな。
ふざけるなよ。
損切りをするのは俺だ。
俺が決めて、俺が捨てるんだ。
なんでお前ごときが、俺を気遣って、上から目線で「解放」してくれようとしてるんだ?
俺は「優しいから」見捨てられないだと?
馬鹿にするな。俺は計算高いクズだ。
お前の価値がなくなったから捨てようとしたんだ。
なのに、なんでお前が「良い女」ぶって終わらせようとしてるんだよ。
その自己犠牲の精神が、無性に、どうしようもなく――癇(かん)に障った。
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