第8話:赫き瞬き、夜を食む
地上三十階から、俺は夜の闇へと身を投げた。
風が耳元を切り裂き、重力が内臓をせり上げさせる。
(ああああああああああああああ死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 高所恐怖症じゃないけど、生身で飛び降りていい高さじゃないだろここ! 32歳の膝が粉砕骨折待ったなしだぞ! クソッ、かっこつけるんじゃなかった!!)
「……ッ!」
俺は空中で、無理やり体を捻った。
ビルの壁面にマチェットを突き立て、火花を散らしながら落下速度を殺す。ガガガガッ! と腕が抜けるような衝撃が走るが、構わない。
そのまま三階付近の非常階段に足をかけ、アスファルトの上へと転がり落ちた。
【HP:4/15】
【着地衝撃により右足首を捻挫。マチェットの耐久値が大幅に減少】
(痛っ……! でも、死んでない。生きてるぞ俺! 運がいいのか、それとも《痛覚耐性》のせいで感覚が麻痺してるだけか!?)
俺は無言で立ち上がり、口の中の砂を吐き捨てた。
だが、安堵する暇はなかった。
周囲の路地から、赤いレーザーサイトの光が俺の胸元に集まる。
「――ターゲット、降下を確認。これより捕獲、抵抗する場合は射殺を許可する」
無線機越しの冷酷な声。
異能庁の制圧部隊だ。十数人の重武装した男たちが、魔力付与(エンチャント)されたサブマシンガンを構えて俺を包囲している。
「……」
(おいおい、一人の無職を捕まえるのに大げさだろ。税金の無駄遣いじゃないのか? その弾丸一発でポテチが何袋買えると思ってるんだ!)
俺が逃げ場を失ったその時、部隊の背後から、一人の男がゆっくりと歩み寄ってきた。
アルベルトではない。だが、見覚えのある銀色の重甲冑を纏った騎士だ。
「……やはり、生きていたか。藤崎」
その声に、俺の心臓が凍りついた。
第二騎士団副団長、カイン。
異世界で、俺が最も信頼していた部下の一人。
(カイン……お前まで、アルベルト側についたのか? なぜだ。お前は誰よりも正義感が強かったはずだろ……!)
カインは、かつての俺に向けた敬意など微塵も感じさせない冷徹な目で、巨大なメイスを構えた。
「アルベルト様は仰った。貴公は魔力中毒に冒され、異世界の理(ことわり)を破壊する『害獣』に成り果てたと。……今のその無残な姿を見れば、否定はできんな」
「……」
(害獣か。否定はしないよ。今も喉の奥が、お前のその美味そうな魔力で疼いてるんだからな……!)
「制圧しろ!!」
カインの怒号とともに、一斉射撃が開始された。
俺は横に飛び込み、放置された車両の陰に隠れる。
ドガガガガガガガッ!!
「……ッ!」
(防戦一方。レベル2の俺じゃ、あいつらの防具を貫通することすらできない。……使うしかないか。白河、もしこれがお前の冗談だったら、化けて出てやるからな!)
俺はポケットから、あの紫色の液体が入った注射器を取り出した。
白河特製魔薬『ラスト・オーバーロード』。
迷いはなかった。俺はそれを、自分の首筋に突き立て、一気に注入した。
「――が、あああああああああああッ!!!」
無口の誓いを破るほどの、凄まじい叫びが漏れた。
血管が焼き切れるような熱。
心臓が、肋骨を突き破らんばかりの速さで鼓動を打つ。
視界が鮮血のような赤に染まり、脳内に失われたはずの「膨大な魔力」が滝のように流れ込んできた。
【警告:一時的なレベル超過(オーバーレベル)を検知】
【レベル:2 → 暫定80(下降中:持続時間600秒)】
【全スキル、一時的に解放】
「……ふぅ……」
俺の口から、紫色の魔力霧(ミスト)が漏れる。
立ち上がった俺の周囲で、重力そのものが歪み、アスファルトがひび割れた。
「な、なんだ……このプレッシャーは!? 奴のレベルは1か2のはずだぞ!」
怯える制圧部隊に向け、俺はマチェットを構えた。
いや、それはもうただの鉄の板ではない。
全盛期の魔力が、刃を銀色の光剣へと変貌させていた。
「……どけ」
俺は一歩、踏み出した。
それは移動ではない。「転移」に近い超高速の踏み込み。
一閃。
「ガ……ッ!?」
銃声が響くより速く、十数人の制圧部隊の武器が、文字通り「塵」となって消えた。
俺は彼らを殺さない。ただ、戦う手段を奪っただけだ。
(今の俺には、加減なんて器用な真似はできない。一歩間違えれば、新宿ごと消し飛ばしかねないんだ!)
カインが、驚愕に目を見開く。
「この力……バカな! まさか、あの時の『剣聖』のままなのか!?」
「……カイン。お前達はどうやってこちらに来た」
俺は光り輝く刃を、カインの喉元に突きつけた。
声に魔力が乗り、周囲のビルの窓ガラスがビリビリと震える。
カインは歯を食いしばり、メイスを振り上げた。
「……貴公に教えることは何もない! アルベルト様こそが、この腐った世界と我が故郷を繋ぎ、新たなる王国を築く救世主だ!」
「救世主だと? ……あいつは、故郷を捨てたんだぞ」
俺はカインのメイスを、人差し指一本で受け止めた。
キィィィィィィィン!!
凄まじい衝撃波が路地裏を駆け抜け、周囲の電柱がへし折れる。
その時カインが小声で話してきた。
「……アルベルトが異能庁に潜り込んだのは、半年以上前だ。あいつは、この世界にある『黒異点』の核を意図的に暴走させ、その歪みを利用して『向こう側』の軍勢を呼び寄せている。……生贄を捧げてな」
(生贄……? 半年前から? まさか、俺が帰還する前からあいつは……!)
俺の脳裏に、異能庁で見た「黒異点活性化」のデータがよぎる。
あれは自然現象じゃなかった。アルベルトが、この世界を「食う」ために仕組んだ儀式だったんだ。
「――そこまでだ、藤崎」
夜空から、冷ややかな声が降ってきた。
見上げれば、ビルの屋上に立つ影。アルベルトだ。
彼は俺を見下ろし、優雅に肩をすくめた。
「白河の小細工か。だが、そんな借り物の力で何ができる? 君の肉体は、その魔力に耐えられず、じきに内側から崩壊する」
「……あいつを、どうした」
「『あいつ』? ああ、月島のことか。あるいは、あの泣き虫のヒーラーかな?」
アルベルトの手には、さくらがいつも大切に持っていた「救急キット」のエンブレムが握られていた。血に汚れて、無残に引き裂かれた状態で。
「……っ!!」
俺の頭の中で、何かがブチ切れる音がした。
(さくらちゃんを……。俺を庇って泣いていた、あの子を……!!)
「……食い殺してやる」
俺の背中から、黒い魔力の翼が展開される。
《共食い》と、剣聖の力が混ざり合い、異形のオーラとなって噴き出した。
「藤崎!……貴様、それはもう人間の力ではないぞ!」
カインが叫ぶ。
「……構わない。……人間をやめて、化け物になるのは、……向こうでも……とっくに決めていたことだ」
俺は地面を爆破するように跳躍した。
目標はただ一つ。ビルの屋上で嘲笑う、あの銀髪の裏切り者だ。
残り時間、300秒。
レベル80の「捕食者」と、異世界の「騎士団長」。
夜の新宿を舞台に、人知を超えた最終決戦が始まろうとしていた。
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