第6話:銀の勲章と、蝕まれる境界線
異能庁・新宿防衛本部の地下。
帰還した俺を待っていたのは、英雄としての喝采ではなく、無機質な消毒液の匂いと、相変わらず「獲物」を見るような白河凛の視線だった。
「……」
(痛い。痛い痛い痛い! 肩の傷、さくらのヒールで塞がってはいるけど、中の方がズキズキする! そもそも、レベル2の体でレベル25のリーダーと肉弾戦するとか、計算式が狂ってるんだよ! 労災だろこれ! 異能庁はブラック企業か!?)
俺は、血液や魔物の体液でドロドロになったタクティカル・マチェットを無造作にデスクに置き、パイプ椅子に深く腰掛けた。
顔面は返り血を拭った跡で汚れているが、表情はピクリとも動かさない。周囲の職員たちは、その「血塗れの沈黙」に圧倒され、遠巻きにこちらを伺っている。
「藤崎さん、本当に、本当にありがとうございました……!」
横で付き添っているさくらが、何度も何度も頭を下げている。彼女の瞳には、俺に対する尊敬と、自分を庇わせてしまったことへの深い罪悪感が混ざり合っていた。
「……気にするな。仕事だ」
俺は、掠れた声で短く答えた。
(本当は「いいんだよさくらちゃん、おじさん肩の骨が砕ける音で一瞬意識飛んだけど、君が可愛いから許しちゃうよ! でも次からはちゃんとバリア張ってね! マジで死ぬから!」って叫びたい!)
「はい……。でも、私、もっと強くならなきゃいけないって思いました。藤崎さんの隣に立っても恥ずかしくないくらいに……!」
(いや、隣に立たれると俺の回避の邪魔になるから、できれば三メートルくらい後ろで極大射程のヒールを飛ばしてほしいんだけどな!)
そんな俺たちのやり取り(という名の俺の一方的な脳内ツッコミ)を、白河凛がニヤニヤしながら眺めていた。彼女は手に持っていたタブレットを放り出すと、俺の目の前に身を乗り出してきた。
「ねぇ、藤崎くん。怪我の具合はどうでもいいんだけど、何か『面白いもの』を拾ってきたんだって? 月島から聞いたよ」
「……」
俺は無言で、ボロボロになったズボンのポケットから、あの『銀のメダル』を取り出した。
冷たい金属の感触。異世界の陽光の下で授与されたはずのそれが、今は新宿の地下の不気味なLED照明に照らされている。
白河の目が、一瞬で鋭くなった。
彼女はピンセットを使って恭しくメダルを受け取ると、拡大鏡の下にそれを置いた。
「……何これ。材質は銀、だけど含有率がおかしい。地球上のものじゃないね。それに、この彫刻の魔力伝導率……。まるで、メダル自体が呼吸してるみたい」
「……エルドラド王国の勲章だ」
俺の言葉に、部屋中の空気が止まった。
「エルドラド……? なにそれ、新しいソシャゲの名前?」
「……俺がいた、異世界の名前だ」
(言っちゃった。言っちゃったよ。中二病だと思われないかな? 「僕、異世界で騎士団長やってました!」とか、32歳のおっさんが言うセリフじゃないよね!? でも事実なんだから仕方ない!)
白河は驚いたように目を見開いたが、すぐに狂気じみた笑みを浮かべた。
「あはは! 傑作だね! 帰還者が異世界の『お土産』を持って帰ってきたなんて前代未聞だよ。普通、黒異点を越えるときに物質は再構成されて、この世界の法則に書き換えられるはずなのに……」
彼女はメダルをスキャナーにかけ、解析を始めた。
モニターには複雑な数式と、メダルの内部構造が3Dモデルで映し出される。
「月島ぁ、ちょっとこれ見てよ」
呼ばれてやってきた月島も、画面を見て絶句した。
「……これは、何? 空間の歪みが、メダルの周囲で固定されている?」
「そう。このメダルは『あっち側』の法則を保持したまま、この世界に突き刺さってるんだ。……藤崎くん。君がこれを拾った場所、どんな感じだった?」
「……ただの廃墟だ」
(嘘。本当は、あのゴブリンリーダーが大事そうに抱えてた。まるであれが、この世界に自分たちを繋ぎ止める『錨(いかり)』であるかのように)
白河がキーボードを叩く指が加速する。
「……恐ろしいことがわかっちゃった。藤崎くん、君が拾ったのはただの勲章じゃない。これは、『世界の融合(マージ)』を促進するための触媒だよ」
「融合……?」
月島が問い返す。
「そう。今までは、黒異点から魔物が『漏れ出している』だけだと思ってた。でも違う。あっち側の世界そのものが、この現実を侵食し、上書きしようとしてるんだ。このメダルがある場所を中心に、周囲の現実が『異世界の生態系』に作り替えられていく。……君が戦ったゴブリンたち、異常に強かったでしょ?」
俺は無言で頷いた。
(確かに。レベル以上に、動きが組織化されていた。まるで、この世界に馴染もうとしているかのように)
「このままだと、新宿や東京だけじゃない。日本全土、いや世界中が異世界のコピーに塗りつぶされる。……そして、一番の問題はこれだ」
白河がモニターの一部を拡大した。
そこには、メダルの裏側に刻まれた、肉眼では見えないほど微細な「文字」があった。
『――第二十騎士団長、藤崎幸へ。再会を楽しみにしている――』
血の気が引くのがわかった。
その文字は、俺が異世界に居た時の事を知らないと、絶対になかったはずのものだ。
(誰だ? 誰がこれを刻んだ? 王国の生き残りか? それとも、俺をこの世界に追い返した『あの男』か!?)
「藤崎くん。君以外にも、『帰還者』がいるね。君みたいに弱体化しているのか、していないのか。……異世界帰りの怪物が」
白河の言葉が、俺の胸に重くのしかかる。
もし、異世界の強者たちが、その力を維持したままこの世界に現れているとしたら。
そして、彼らがこの世界を「侵略」しようとしているのだとしたら。
レベル2の俺に、一体何ができる?
その時、俺の胃が、激しく、不快な音を立てて鳴った。
空腹。
だがそれは、ポテチや牛丼を求めるような、生ぬるいものではなかった。
(……あ、マズい)
視界が赤く染まる。
さっき食べた魔物の核。その味が、喉の奥からせり上がってくる。
もっと。もっと濃い魔力を。もっと強い「核」を。
細胞の一つ一つが、魔物の肉を求めて叫び始めた。
「……っ」
俺は、自分の口元を片手で押さえた。
《共食い》のスキルが、俺の精神を侵食し始めている。
「藤崎さん!? 大丈夫ですか!? 顔色が……!」
さくらが心配そうに駆け寄ってくる。
(来るな! 今の俺は、君のその瑞々しい魔力すら、美味しそうな餌に見え始めてるんだ! 離れろ! おじさんを化け物にしないでくれ!)
「……白河。解析は、任せる」
俺はそれだけを言い残し、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
足元がふらつく。意識が朦朧とする。
「あ、ちょっと! まだ話は終わって……!」
白河の声を無視して、俺は部屋を飛び出した。
向かう先は、自分の個室ではない。
本部の地下にある、魔物の死骸が保管されている『廃棄場』だ。
(食わなきゃ……食わないと、俺が俺じゃなくなりそうだ……!)
無表情の仮面の裏で、俺は獣のような咆哮を上げていた。
レベル2。
最弱の帰還者は、皮肉にも、世界で最も危険な「捕食者」への階段を登り始めていた。
廊下の角を曲がったところで、俺は一人の男とすれ違った。
漆黒のスーツを着こなした、長身の男。
彼は俺とすれ違う瞬間、立ち止まり、背中越しに冷ややかな声をかけてきた。
「……惨めだな、剣聖。泥を啜り、魔物の肉を喰らってまで、このゴミのような世界にしがみつきたいか?」
俺の動きが、止まった。
その声。その魔力の波長。
忘れるはずがない。
異世界で、俺を最後に裏切り、次元の狭間へと突き落とした男。
第一騎士団長、アルベルト。
(……あいつ、か。あいつが、もうすでにこっちに来ていたのか)
俺は振り向かなかった。
今の俺が振り向けば、その瞬間に殺されるのがわかっていたからだ。
俺はただ、震える拳を隠し、無言で歩き続けた。
「……」
(見てろよ、アルベルト。お前のせいで……。
お前を食い殺して。……そのためなら、俺は喜んで、この世界の全てを食い尽くしてやるさ)
俺の瞳に、人間のものではない、昏い黄金色の輝きが宿った。
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