第3話:捕食者の産声
地下4階、第3実験室。
エレベーターの扉が開いた瞬間、熱気と、立ち込める血の匂いが俺の鼻を突いた。
(うわ、最悪。帰りたい。扉閉めてもう一回地上に戻れないかな? ダメ? そうだよね。仕事だもんね。公務員(仮)はつらいよな!)
「……」
俺は無言で消火斧を強く握りしめ、煙の向こう側へと歩を進めた。
視界の先では、数人の若い男女が腰を抜かし、血溜まりの中で震えていた。異能庁の新人隊員だろう。その中の一人、ショートカットで泣きじゃくっている少女が、倒れた仲間の体に必死で手をかざしていた。
「お願い……止まって……止まってよぉ!」
彼女の手のひらから淡い光が出るが、仲間の腹部の大きな裂傷を塞ぐにはあまりに微弱だ。
彼女の前には、実験用の檻を食い破ったのであろう、二足歩行の醜悪な魔物が立ちはだかっていた。
《レッサーオーガ Lv.22》
(Lv.22!? さっきの犬より強いじゃねえか! レベル1の俺にこれをやれと? 算数できないの? 異能庁の連中は頭が黒異点なのか!?)
オーガが、泣き叫ぶ少女へと、巨大な棍棒(元は実験室の鉄柱だ)を振り下ろそうとする。
「……ッ」
俺は地面を蹴った。
筋力3の脚力だ。普通に走れば間に合わない。
だから俺は、壁の出っ張りに足をかけ、反動を利用して最小限の軌道で「落下」するように割り込んだ。
ガギィィィィィィィン!!
「え……?」
少女が顔を上げる。
俺は斧の刃ではなく、背の部分で棍棒を「受け流した」。
まともに受ければ腕が消し飛ぶ。だから、オーガの力の方向をミリ単位でずらし、床へと叩きつけさせたのだ。
「……下がれ」
俺は顔を見る事なく、背後の少女に短く告げた。
(本当は「お嬢ちゃん、ここは危ないからおじさんと一緒に逃げよう!」って叫びたいけど、そんな余裕1ミリもねえ!)
「あ、あの……ありがとうございます! でも、あなた一人で……!」
「……」
俺はオーガを見据える。
オーガは獲物を邪魔されたことに激昂し、咆哮を上げた。その口からは腐敗した肉の臭いが漂う。
(よし、くるぞ。スピードは俺より上。力は比較にならん。……だが、動きが雑だ。異世界のオーガはもっと賢かったぞ)
オーガの横薙ぎ。俺はそれを、紙一重で、本当に鼻先をかすめる距離で、しゃがんで避けた。
そのまま、オーガの足首の腱に、斧を叩き込む。
ブチッ!
「ガアアアアッ!?」
(一つ! どんなにレベルが高くても、物理的に早く動けなきゃただの肉塊だ!)
だが、オーガもタダでは転ばない。倒れ込みながら放たれた裏拳が、俺の脇腹を捉えた。
ボキッ、という嫌な音が体内に響く。
「が……はっ」
【HP:4/15】
【肋骨が3本骨折。肺に刺さっています。呼吸が困難です】
(痛い! 痛い痛い痛い! 《痛覚耐性》仕事しろ! いや、してるのか!? してるから動けてるのか!? 普通ならショック死だぞこれ!)
俺は口から溢れる血を無言で飲み込み、膝をつかずに踏みとどまった。
背後で少女が悲鳴を上げるが、構っていられない。
オーガが顔を近づけ、俺を喰らおうと顎を広げる。
チャンスだ。
俺は斧を捨てた。
そして、折れた肋骨の激痛を無視して、オーガの顔面に飛びついた。
(ここだ……ここに、こいつの『核』がある……!)
ステータス画面に浮かぶ、俺にしか見えないガイド。
【隠しスキル《共食い》の発動条件:対象が生存している状態で、その魔力の核を直接摂取すること】
(……やるしかない。ここで死ぬくらいなら、魔物でもなんでも食ってやる!)
俺はオーガの眉間、そこにある赤い結晶体に向けて、指を突き立てた。
指の爪が剥がれ、指先が潰れるが、構わない。穴を開け、そこから覗く「核」を――。
俺は、自分の歯で、その硬い結晶を噛み砕いた。
「ガ……ル……ガアアアアアアアアアアアア!!」
オーガが狂ったように暴れる。
俺は振り落とされないよう、しがみついたまま、砕いた核を飲み込んだ。
ドロリとした、熱い、腐った肉と魔力が混ざり合ったような最悪の味が喉を通る。
【スキル《共食い》が覚醒しました】
【個体:レッサーオーガの魔力を吸収中……】
【身体強化(微)を獲得。筋力が一時的に上昇します】
「……おおおおおおおおっ!!」
身体の底から、黒いエネルギーが湧き上がった。
俺はオーガの頭を両手で掴み、そのまま床へと叩き伏せる。
筋力3だったはずの腕が、今は重戦車のようにオーガを抑え込んでいる。
俺は落ちていた斧を拾い上げ、逆手に持った。
「……終わりだ」
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
オーガの首筋に、何度も、何度も斧を叩き込む。
緑色の返り血が、俺の顔を、服を、床を汚していく。
オーガが動かなくなるまで、俺は無表情で、機械的に、その作業を繰り返した。
……静寂。
《レッサーオーガ Lv.22を討伐しました。経験値を獲得しました。》
《レベルが上昇しました:1 → 2》
【HP:1/15】
(……勝った。勝ったけど……死ぬ。マジで死ぬ。内臓がグチャグチャだ……)
俺は斧を杖代わりに、かろうじて立っていた。
全身血まみれ。顔半分は魔物の返り血で緑色に染まり、目は虚ろだ。
少女が、呆然と俺を見上げていた。
助けられた喜びよりも、目の前の人が魔物を食い殺したという光景に対する、根源的な恐怖が勝っているようだった。
「あ、あ、ああ……」
俺は彼女に近づこうとして、一歩踏み出し、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
(あ、これ、さっきの月島さんの時と同じパターンだ。ヒロインに介抱されるやつ……でも、この子、腰抜かして動けてない……誰か……誰でもいいから……ポーション……)
俺の意識が遠のく中、バタバタと大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「藤崎さん!!」
「……へぇ。本当に食べちゃったんだ。あは、傑作だね」
月島の悲鳴のような声と、白河の狂気を含んだ笑い声。
俺はそれに応える気力もなく、心地よい絶望の中に沈んでいった。
(……レベル2か。……先は、長いな……)
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