第7話 『踏み出す言葉』



「ち、違げーよ! 俺は……そう、記憶違いだ!」


 図書館の入館履歴を見せられ、逃げ場を失った黒川先輩は、顔を真っ赤にして喚き散らした。


「時間がずれてただけかもしれねえだろ! いちいち揚げ足取ってんじゃねえぞ!」


「五十分もの記憶違いですか? それに、目撃証言とも矛盾しますが」


「うっせえな! 大体、店長が学生相手にムキになってどうすんだよ! 客商売だろ? 客が『金渡した』っつってんだから、少しは信用してサービスしろよ!」


 支離滅裂だった。


 論理が通じなくなると、今度は「客」という立場を盾にして、無理やり押し通そうとしている。

 その姿は、私が憧れていた「頼れる先輩」の欠片もなく、ただ自分の保身に必死な、情けない子供のように見えた。


 店長は呆れたように息を吐き、なおも何か言おうとした。


 けれど。


(……もう、十分だ)


 私の中で、何かがカチリと音を立てて切り替わった。


 これ以上、店長さんに迷惑はかけられない。

 何より、私がここで黙って守られているだけじゃ、この理不尽な悪意は終わらない。


 膝が笑っている。心臓が破裂しそうだ。

 それでも私は、震える足に力を込め、店長の背中から一歩、前へと踏み出した。


「……先輩」


「あぁ? なんだよ」


 黒川先輩が、苛立ちを隠さずに私を睨みつける。

 私は大きく息を吸い込み、震える声を絞り出した。


「もう、やめましょう。……こんな嘘」


「はあ? 嘘じゃねえよ! お前が盗んだんだろ!」


「なら」


 私は黒川先輩から視線を外し、隣に立つ店長を見上げた。


「店長さん。警察を呼んでください」


「――は?」


 間の抜けた声を出したのは、黒川先輩だった。


 店長は、私の意図を察したのか、静かに頷いてくれた。


「宮坂さん、よろしいのですか?」


「はい。お願いします」


 私は再び、黒川先輩たちに向き直った。


「先輩たちが言う通り、私が十万円を受け取って横領したのなら、これは立派な『窃盗事件』です」


「なっ……」


「逆に、先輩たちが嘘をついて、私に無実の罪を着せてお金を払わせようとしているなら、それは『恐喝未遂』になります」


 頭の中で、必死に言葉を組み立てる。

 感情に任せて叫ぶんじゃない。事実と論理で、戦うんだ。


「どちらにしても、もう当事者だけで話し合うレベルを超えています。警察に来てもらいましょう。そうすれば、はっきりします」


「お、おい待てよ! 警察なんて大げさだろ!」


「大げさじゃありません! 十万円は大金です!」


 私の剣幕に、黒川先輩がたじろいだ。

 私は畳み掛けるように続けた。


「警察が来れば、捜査が入ります。私が封筒を受け取ったというなら、封筒から私の指紋が出るはずです。大学の防犯カメラにも映像が残っているはずです。全部調べてもらいましょう」


「……っ」


「そうすれば、誰が嘘をついているか、すぐに分かりますから」


 私の言葉に、取り巻きの男子学生たちの顔色がサァッと青ざめていくのが見えた。


 当然だ。

 そんな事実は存在しないのだから、調べられれば百パーセント、彼らの嘘が露呈する。


「や、やべぇよ黒川……警察はマズいって……」

「俺、帰るわ……」


 後ろの方で、数人が後ずさりを始めた。

 黒川先輩の顔からは、完全に余裕が消えていた。


「ま、待てって! 仲間内の揉め事だぞ? なあ宮坂、お前だってサークルの仲間に警察呼ぶとか、そんな冷たいことしたくないだろ?」


 今度は「仲間」という言葉にすがってきた。

 さっきまで私を罵っていた口で。


「仲間なら……」


 涙が滲んできた。けれど、もう拭わない。


「仲間なら、こんなことはしません。私を罠に嵌めたり、泥棒扱いしたりしません!」


「っ……」


「店長さん、お願いします!」


 私の悲痛な叫びに、篠原店長は深く頷いた。


「承知いたしました。それが最善です」


 店長は迷うことなく、カウンターの受話器に手を伸ばした。


 逃げ場を失った黒川先輩が、絶望の表情でその手元を見つめていた。

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