第6話 『沈黙と疑念』



 店長の一言で、騒がしかった場が水を打ったように静まり返った。


 黒川先輩たちは「何だこいつ」といった顔で店長を睨みつけているが、店長は表情一つ変えない。


「話し合い……? 何言ってんだ。事実確認だろ」


 黒川先輩が苛立たしげに吐き捨てる。


「こいつが俺の十万をネコババした。みんなが見てた。それ以上の話し合いなんてあるかよ」


「なるほど。では、その『事実』について、少し整理させてください」


 篠原店長は、まるで業務報告を聞くような事務的な口調で確認を始めた。


「先ほど皆様は、『今日の昼休み、大学の学食で、現金十万円の入った封筒を渡した』と仰いましたね。……間違いありませんか?」


「あ、あぁ。そうだ」


「間違いねーよ。俺らも見たし」


 黒川先輩の言葉に、取り巻きの男子学生たちが強く頷く。

 彼らは気づいていない。店長の目が、獲物を追い詰める狩人のように細められていることに。


「ふむ。今日の昼休みということは、十二時から十三時の間ですね」


「細かい時間は覚えてねえけど、そのくらいだろ」


 店長は頷き、くるりと私の方へ向き直った。


「宮坂さん。あなたの大学の図書館は、入館時に学生証の認証が必要ですか?」


「え……? は、はい。ゲートにタッチしないと入れません」


「その入退館履歴は、スマホのポータルサイト等で確認できますか?」


 ハッとした。


 そうだ、大学のマイページにログインすれば、施設の利用履歴が見られるはずだ。

 私は震える手でスマホを取り出し、大学のサイトにアクセスした。


「あ、ありました……『図書館入退館履歴』……」


「皆様に見えるよう、提示してください」


 私は画面を黒川先輩たちに向けた。

 そこには、冷酷なまでに正確なデジタル数字が並んでいた。


**『12:10 入館』**

**『12:55 退館』**


「……おやおや」


 店長の声が、芝居がかった驚きを演じて響く。


「これは奇妙ですね。彼女は昼休みの五十分間、ずっと図書館の中に閉じこもっていたようですが?」


「は……?」


 黒川先輩の目が点になった。

 画面を覗き込んだ取り巻きたちも、息を呑む。


「が、学食と図書館は……?」


「……キャンパスの正反対です。歩いて十分はかかります」


 私が答えると、店内の空気が一変した。

 物理的に不可能なのだ。図書館にいた私が、学食で封筒を受け取ることは。


「い、いや! 時間は適当に言っただけだ! その前後だったかもしれねえだろ!」


 黒川先輩が顔を赤くして叫ぶ。

 しかし、店長は逃さない。すぐさま、さっき「見た」と証言した男子学生Aに視線を向けた。


「貴方は先ほど、『学食で、その場ですぐカバンにしまったのを見た』と仰いましたね?」


「えっ、あ、いや……」


「図書館にいた彼女の姿を、どうやって学食で見たのですか? ……それとも、幽霊でもご覧になったので?」


 店長の鋭い追及に、男子学生Aは視線を泳がせた。


「そ、それは……く、黒川さんが渡したって言ってたから……俺はてっきり……」


「おい! 余計なこと言うな!」


 黒川先輩が怒鳴るが、もう遅い。

 「見た」という証言が、「先輩に合わせたただけの嘘」であることが露呈してしまった。


「嘘をつくなら、口裏合わせはもっと綿密になさるべきでしたね」


 店長は冷ややかに言い放った。


 ざわざわ、と周囲の客席からの視線が変わっていくのを感じた。


「おい、あいつら嘘ついてるんじゃないか?」

「よってたかって女の子一人を……最低だな」


 先ほどまでの私に向けられていた「疑いの目」が、今は黒川先輩たちへの「軽蔑の目」へと反転していた。


「チッ……うっせえな!」


 追い詰められた黒川先輩が、バンッ! と近くのテーブルを叩いた。


「細かいことはどうでもいいんだよ! 結局、こいつがサークルの空気を乱して、俺らに迷惑かけた事実は変わんねえだろ!」


「論点をすり替えないでください。貴方は今、彼女を横領犯扱いしましたね? これは立派な名誉毀損です」


 店長が静かに一歩踏み出す。


 集団の後ろにいた佐倉先輩が、無言でスマホを操作し始めたのが見えた。

 彼女はもう、黒川先輩を見ていない。


「くそっ……! じゃあどうすりゃいいんだよ! キャンセル料は誰が払うんだよ!」


 論理で勝てなくなった黒川先輩は、再び感情的な暴力に訴えようとしていた。


 けれど、今の私はさっきまでとは違う。

 店長が守ってくれている。真実は私にある。


 その事実が、震える足に少しだけ力をくれた。

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