ランチを奢られる Part.1 #1

ジャイルの身の上話に付き合っていると、遠くで鐘の音が響く。


時間的に、昼を告げる鐘だろうか。


彼の妻が使う化粧水の変遷について、熱のこもった説明を聞かされている最中だ。


その鐘の響きで僕らの会話はぷつりと途切れ、これを好機とばかりに僕はすっと腰を上げる。


「いいお時間のようですので、そろそろ僕はお暇します。色々とありがとうございました」


僕の言葉に、ジャイルはあからさまに残念そうな表情を浮かべる。


しかし、彼は間髪入れずに新たな提案を口にする。


「もしよろしければ、このまま一緒にお昼でもどうですか? 私がご馳走しますよ」


よほど僕のことを気に入ったのか、あるいはそうでもしなくてはいけないほど暇が深刻なものなのか。


いずれにせよ、今の僕はなによりも節約すべき立場にある。


この申し出は、本来であれば渡りに船のはずだ。


しかし、その美味しい話に素直に乗り切れない心境にはなっている。


わずかな葛藤の末、僕は口を開く。


「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」


商工会議所という可能性が絶たれた今、僕に残された道は、商業ギルドに未加盟の店を一軒一軒訪ね、仕事を乞うて回ることくらいだ。


それを始める前に、ジャイルとの縁を繋ぎ止めておくことは、決して無駄にはならない。


おまけに昼食が奢りとなれば、願ってもない話だと自分に言い聞かせる。


僕の返事を聞くと、ジャイルはぱっと顔を輝かせ、晴れやかな表情で立ち上がる。


「ええ! それでは参りましょう」




商工会議所を出ると、ジャイルは屋台が並ぶ通路を避け、反対側の静かな道を選ぶ。


明らかに遠回りだが、昼時の書き入れ時に屋台の主人たちと顔を合わせて、挨拶に時間を取らせないための配慮だろう。


それになんとなくだが、レイエと顔を合わせたくない、というジャイルの後ろめたさもある気がする。


そのレイエからもらった女神像は、ジャイルから提供されたショルダーバッグの中だ。


帆布製のショルダーバッグはかなりしっかりした作りで、実用性は申し分ない。


ただ、ど真ん中にデカデカと商業ギルドの意匠が水色の糸で刺繍されているのは、正直かなりダサい。


抜かりないことに、刺繍は両面に施されている。


タダでいいのか、とジャイルに問うと、「最初は売り出していたんですが、とにかく評判が悪くてですね……。ほぼ売れなかったので、結局ノベルティーとして配ることになりまして」と、力なく答えが返ってくる。


宿舎購入の件といい、この街の商業ギルドの商才を疑ってしまう。




やがて僕らは正門前の通りに出る。


通りの中程にある店の前で、ジャイルが足を止める。


「ここはヴェルガで一番歴史のあるレストランです」


壁一面に深い緑の蔦が絡みつき、初見では少し気後れするような重厚な佇まいだ。


しかし、黒光りするほどに磨き上げられた茶色のドアや、その周囲の端正な設えからは、積み重ねられてきた確かな格が伝わってくる。


「もれーな」と彫られた看板も、ドアと同じように深い艶を帯びている。


僕の記憶にある百年前のヴェルガには、これほど印象的な建物は存在しない。


「どれくらいの歴史があるんですか?」


「開業は八十年前と聞いています」


それならば僕が知らないのも無理はない。


「この店は商業ギルドに加盟していただいていまして。実質、私が外食をするのはここか串焼き屋くらいなものです。いえ、ギルドの決まりというわけではありませんが」


支部長ともなれば、行きつけの店一つ選ぶのにも相応の気遣いが必要なのだろう。

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