エルフが魔法の歴史を語る #5

ダイニングテーブルには、焼きたてのパンと湯気の立つ野菜のスープ、そして見覚えのある果物が並んでいる。

蜜柑よりも一回り小さく、熟した黄色みがかった橙色をしているその果実の名が、どうしても思い出せない。


僕がその小さな果実に見入っていると、向かいの席からアイリシアが興味深そうにこちらを見つめてくる。


「何か気になることでもあるのかい?」


「この果物はなんという名前なんですか?」


僕の問いに、アイリシアは「ふうん」と意味ありげな吐息を漏らし、テーブル越しに僕の顔を覗き込む。


「アセトシトラスという名だよ」


アセトシトラス。

ゲーム内での通称だが、設定上の正式名称はシトラス・アクセラレートだ。

一時的にアジリティを上昇させる消費アイテムで、移動速度も若干上がる。

主な用途は回避率の向上であり、特定のジョブ、特にアサシンやダークナイトにとっては常備すべき品だ。


そんな大事なアイテムをすぐに認識できないというのは、僕がいかにヌルいプレイヤーだったかを示す証拠だろう。


「これを食べると、素早さが上がったりしますか?」


アジリティという単語がこの世界で通じるか分からず、当たり障りのない言葉を選ぶ。


僕の言葉に、アイリシアは「ほう」と感心したように目を細める。


「アサシンの話が出たから試しに出してみたんだ。アサシンたちが好んで食べていたからね。君の言う『素早さが上がる』というのが、私には何を意味しているのかはよく分からないけど、アサシンは素早さが命の稼業だから、君の言うことは筋が通っている」


ゲームにおけるアサシンは、中東をモチーフとしたアルザール地方発祥の傭兵専用ジョブだ。

プレイヤーがジョブチェンジすることはできない。


高いアジリティと移動速度、ナイフへの適性を持ち、魔法への耐性も高い。

攻撃力こそ低いものの、クリティカル率を高めるスキルでそれを補う、運の要素が絡む大味なジョブだ。


「『アジリティ』と言えば、わかりますか?」


思い切ってゲーム用語で尋ねてみるが、アイリシアは「なんだい、それは?」と不思議そうに首を傾げる。


やはりこの世界で生きる者たちに、ステータスという概念はないのだろう。


もちろん、ここがゲームの中である以上、ステータス自体は存在するはずだ。

ただ、それを確認する術がない。


「素早さ、みたいなものです……」


僕は苦し紛れに答える。


「だから、それがよく分からないんだ」


よくよく考えれば、彼女の言う通りだ。


「素早さが上がる」とは、具体的にはどういうことなのだろう。


体が軽くなるのか、精神が研ぎ澄まされて反応が速くなるのか。

何らかのリミッターが外れて潜在能力が引き出されるのか。

あるいは、何らかの加護を得るのか。


アジリティが上昇する際に、この身に起こる変化が僕には分からない。


「いただいていいですか?」


「もちろんだよ。私も食べよう」


アイリシアと僕は皮を剥き、果肉を口に放り込む。


朝に相応しい甘酸っぱさが口いっぱいに広がるが、どちらかといえば蜜柑に近い強い甘みで、素直に美味しい。


これでは単に、アサシン好みの味という可能性も捨てきれない。


一口味わった後、自らの体の変化に意識を集中させるが、何も感じない。

というか、アセトシトラスの美味しさに、意識がすべて奪われてしまう。


そもそも、僕がこの世ならざる者であるため、効果自体が現れない可能性もある。


それに、永い時を生き、数えきれないほどのアセトシトラスを口にしてきたはずのアイリシアですら、その効果を「よく分からない」と言うのだ。


ただ漫然と食べても意味がないのかもしれないし、体質などの特別な条件が必要なのかもしれない。


「何か、わかったかい?」


アイリシアが期待の眼差しで尋ねてくる。


「……美味しいです」


僕が諦めてそう言うと、アイリシアは呆れた表情を浮かべる。


「美味しいなら良かったよ」


良かったと到底思っていない顔で、彼女は小さく呟く。

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