2日目

エルフが魔法の歴史を語る #1

目が覚める。


見慣れない天井をぼんやりと見上げる。


最初に頭に浮かぶのは「夢じゃなかったんだ……」という、身も蓋もない実感だ。


異世界転生ものの物語で聞き飽きた常套句。

そう侮っていた過去の自分を笑いたい気分だ。

いざ我が身に降りかかって初めて、その言葉が持つ重みがずしりと圧し掛かる。


昨日はあまりにも目まぐるしくて、いつの間にか意識を失うように眠りに落ちていたようだ。


ベッドからゆっくりと身を起こし、窓の外に目をやる。


空がようやく白み始め、柔らかな朝の光が部屋に差し込んでいる。

まだ、早朝と言っていい時間帯だ。


もう一眠りしようかとも思うが、妙に意識が冴え渡り、再び眠れそうにない。

諦めて、ベッドから出る。


机に置かれたままだった服を包みから取り出し、備え付けのクローゼットにかける。

眠る時に着ていたマナタイトのローブも、脱いでその隣に並べる。


この世界に一緒にやってきた、元の世界のパンツも少し考えた末に脱いで、服を包んでいた紙で丁寧にくるむ。


昨日買ってもらった服に袖を通すと、自分がこの世界に少しだけ溶け込めたような、不思議な安堵感が胸に広がる。


アイリシアを起こさないよう静かに部屋を出たのだが、彼女はすでにダイニングの椅子に腰掛け、窓の外を眺めながら優雅に紅茶を口に運んでいる。


昨日は眠ったのだろうか、と少し心配になる。


「おはようございます」


声をかけると、彼女はゆっくりとカップをソーサーに戻し、穏やかな笑みをこちらに向ける。


「ああ、おはよう。朝食はもう食べるかい?」


正直、食欲はまったくない。

昨夜ご馳走になったヘルバイソンのステーキが、まだ胃の中に居座っているような感覚さえある。


「いえ、今はまだ、ちょっと……」


「そうかい。なら、紅茶を淹れよう」


アイリシアは本当に紅茶が好きらしい。

僕には詳しいことは分からないが、彼女が淹れてくれる紅茶は、飲むたびに香りが違う気がする。


そして、そこには決してお茶請けがない。

彼女は純粋に、紅茶そのものを深く味わっているのだ。


湯気の立つカップを受け取ると、アイリシアがふと目を細める。


「うん、似合っているね」


「ありがとうございます。サイズもぴったりです」


紅茶を一口含む。

その温かさに、強張っていた身体からふっと力が抜けていく。


「アイリシアさんは、今日は何か予定でも?」


「特にないね。いつもなら午前中は本を読んだりしてのんびりと過ごして、午後は森へ出かけ、帰りに買い物を済ませる。ずっとそんな暮らしだよ」


彼女は言葉を切り、再びカップに口をつける。


「そもそも私は生まれてからずっと、特にすることがないんだ。なんの使命も目的もない。ただ周りが変わっていくだけで、私はその都度、変化に合わせて生きてきただけだよ」


それは僕には到底、想像もつかない境遇だ。


エルフという不老な種族にとって、人生に意味を見出すこと自体が難しいのかもしれない。


ゴールがない道程をひたすら歩み続けなければならないのだ。

やりたいことは大抵できてしまうだろうし、僕なら二百年ぐらいで根を上げてしまいそうだ。


「でも、ごく稀に、特別なことが起こる。エステラ様の御力に触れた時のようにね。……そして、今は君がそうだ」


アイリシアはカップを置き、真っ直ぐに僕を見つめる。


その深い翠の瞳が、静かな熱を帯びている。


「異世界から誰かが転生してくる。それも、私の知らないこの世界の知識を携えて。こんなに胸が躍ることはないよ。森を見回り続けていた甲斐があったというものだ」


僕という存在が、彼女の永い物語の新たな一ページになれるのなら、それは少し嬉しいことだ。

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