ヴェルガを訪れる #5

扉を開け、部屋に入る。


ふわりと紅茶の良い香りが鼻腔をくすぐる。


そこはダイニングだ。


窓際にはシンプルな木製のテーブルと椅子が並んでいる。


壁際の食器棚の中身はやや寂しく、生活感は希薄だ。


流し台の上には、調理器具がいくつか吊るされている。


テーブルの上にはティーカップが二つ。


その間には銀色のポットが鎮座している。


湯気が静かに立ち上り、穏やかな空気が流れる。


「ありがとうございます。スッキリしました」


「それはよかった。そこに座って紅茶を飲むといい」


促されるまま椅子に座り、「いただきます」と告げて紅茶を口に運ぶ。


普段、紅茶を飲む習慣はないが、心地よい苦味と温かさが染み渡り、張り詰めていた神経がほどけていくのを感じる。


安堵感に満たされていく。


「ああ……美味しいです」


僕がそう言うと、アイリシアも静かに紅茶を一口飲む。


そしてカップを置くと、僕の目をじっと見つめてくる。


「君が当然のようにアストラル・ジェムを知っていて、その使い方まで聞かれたのには驚いたよ」


彼女は何かを見定めるような目をしている。


「アストラル・ジェム」は、モンスターの討伐数に応じて、教会から得られる代物だ。


それを女神像に寄進することで星の運行を操作できる。


操作の効果量にもよるが、おおよそ数百個単位のジェムが必要になる。


それがこの世界でどういう扱いになっているかが気になっているのだ。


ゲーム内にアイテムボックスやストレージ魔法のような便利なものはない。


アイテム欄はマス目管理で、アイテムごとにサイズが決まっており、マスが埋まる分だけしか持ち運べない仕様だ。


その代わり、モンスターを倒した後の素材などは無制限に得ることができる。


冒険者ギルドに登録した際にもらえる「マーカー・ジェム」でモンスターの遺体にマーキングすると、後ほどギルドの回収班が回収してくれる、という設定がある。


倒したモンスターの素材は一度ギルドにプールされ、そこからアイテムとして受け取るか、売却するかを選択する。


そんなふうに、アイテム所持数に制限があるこの世界で、夥しい数のジェムをどうやって運ぶのか。


そもそもジェムは実体を持つアイテムなのか、それとももっと抽象的な概念なのか。


それが知りたい。


「驚くようなことなんですか?」


「エステラ様の御力は、今や皆が迷信だと思っている。アストラル・ジェムの存在も今は教義から消え去り、星の運行を操作できるなんて誰も信じていない。でも君は操作が当然だ、という前提で私に尋ねたんだろう?」


確かに、僕にとってそれは前提の話だ。


「そうです」と短く答える。


「星の運行の操作はおそらく『邪なるもの』の出現と結びついている。そう考えるとこの世界では何度か邪なるものが現れている。その度にエステラ様の導きで、世界の危機は救われてきた」


何度か?


「私が最初にエステラ様の御力を見たのは、二千年ほど前のことだ。あの時の光景が忘れられない」


ゲームで語られる時代より遥か昔に、そんな出来事があったとは初耳だ。


確信は持てないが、目の前のエルフが揺るぎない確信を持って語る以上、それはこの世界の「真実」なのだろう。


物語の背景として、そこまで詳細な歴史が作り込まれているのだろうか。


そして、アイリシアが少なくとも二千年という途方もない時を生きていることをさらりと語る。


ごくりと喉を鳴らす代わりに、手元の温かい紅茶を一口含む。

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