ヴェルガを訪れる #4
泉を回り込んで住宅街へと足を踏み入れると、程なくして一軒の家の前で立ち止まる。
「ここだよ」
そこは、周囲の家々と見分けがつかないような、ごく普通の石造りの二階建ての家だ。
街の人々からあれほど敬意を払われているのだから、もっと立派な屋敷に住んでいるものだと勝手に想像していたが、どうやら彼女はごく普通の暮らしを送っているらしい。
中は四人家族でも不自由なく暮らせそうな広さがある。
しかし、調度品はほとんど見当たらず、装飾品らしきものは一切ない。
まるで彼女の内面を映したかのような、そっけない空間だ。
アイリシアは入口そばの扉を開け、部屋の内部に向けてすっと両手をかざす。
間もなく、ザァンという重い水音が響き渡る。
彼女はふっと体の力を抜き、僕の方を向き直る。
「ここで体を洗うといい」
促されて部屋を覗く。
浴室のようだ。
とは言っても、片隅に人が一人かろうじて入れる程度の木製の浴槽と、手桶がぽつんと置かれているだけ。
だが、浴槽には水がなみなみと張られている。
先程の様子から察するに、魔法で水を満たしたに違いない。
便利すぎる。
「汚れた服は浴室に置いておけばいい。あとで燃やしておくよ」
燃やすのか。
豪快な処分方法を告げ、アイリシアは隣の部屋へと入って行こうとする。
慌てて呼び止める。
「あの、すいません。その前に、トイレをお借りしてもよろしいでしょうか」
「ああ、すまない。気が利かなかったね」
アイリシアは「あそこだよ」と、向かい側の扉を指差す。
ゲームではもちろんトイレの描写などない。
この世界の人間が排泄をしない可能性すら考えていたが、どうやら生理現象はきちんと存在するらしい。
まずはそれに安堵する。
アイリシアが隣の部屋に入るのを見届け、僕はローブを脱ぎ、服を脱いでパンツ一丁になる。
トイレを血で汚すわけにはいかない。
こっそりと戸を開けると、そこには白い洋式の便器が鎮座している。
これは地味に予想外だ。
中世風の世界観から、もっと旧式のものを覚悟していただけに、この世界の衛生観念が存外、元の世界に近いことに救われる。
タンクは見当たらないが、天井から細い鎖が一本ぶら下がっている。
おそらくこれが水洗の仕組みなのだろう。
人としての根源的な営みにおいて、元の世界とほぼ同じ環境であることに心底ほっとする。
便座に腰を下ろすと、室内の隅に積まれた少し厚手の紙が目に入る。
さすがに、柔らかく丸められたロール紙というわけにはいかないらしい。
一瞬、この世界でトイレットペーパーを作って売れば富を築けるのでは、と思いつくが、即座にその考えを打ち消す。
紙を作る技術もなければ、実現できるあてなど何もない。
用を足し、鎖を引く。
ゴボリ、という音とともにきちんと水が流れる。
便座に血が付着していないことを確かめてから、浴室へと移動する。
浴室を見回すが、タオルや体を拭くための布は見当たらない。
洗った後どうしようかと考えながら裸になり、手桶で水を浴びる。
石鹸もないため、素手でごしごしと体を洗うしかない。
いくら洗ってもなかなか血が落ちた気がしないが、ひたすら気が済むまでこする。
水は冷たくはないものの、湯船に浸かってくつろげるような温度ではない。
体を洗い流すだけにとどめる。
長袖のシャツとスウェットのパンツ、その全てに血が染み付いていて、もうどうしようもないと諦める。
ただ、黒地のボクサーパンツだけは、洗えばまだ使えるかもしれない。
そう思い、念入りに血を洗い流す。
そして問題は、体を拭くものがやはり見当たらないことだ。
しばし逡巡した末、洗い終えたばかりのパンツで体を拭く。
背に腹は変えられない。
そして、もう一度そのパンツを洗い、可能な限り硬く絞ってから履く。
その上から、高級なマナタイトのローブを羽織る。
ローブには自浄作用があるらしいので、生乾きの匂いの方はなんとかなるだろう……と信じたい。
脱ぎ捨てた血まみれの衣類を、言われた通り浴室の隅にまとめておく。
「お風呂、いただきました」
隣の部屋に向かって声をかけると、少しの間を置いて「こっちにおいで」と声が返ってくる。
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