第19話


「…」

 さっきまで体を震わせて泣いていたリナだったが、ユリウスにもたれかかり動かなくなった。

 泣きつかれて眠ってしまったらしい。

 ユリウスはリナを軽々と横抱きにすると彼女の部屋へと運ぶ。


 部屋に入るとベッドが二つ並んで置いてあり、手前のベッドの横には机と椅子、壁際にチェストが一つあるだけだった。おそらく母親との二人部屋なのだろう。

 どちらがリナのベッドか分からず、とりあえず手前のベッドに寝かせる。


 寝かせたリナの顔は目元が赤くなり痛々しかった。

 顔にかかった髪をよけ、頬を撫でる。


「ん…」


 先ほどうなされていた時とは違い、深く眠っているように見える。


 ユリウスはリナのこの無防備さに少し戸惑っていた。


 貴族であるユリウスは感情を表に出さないよう、子供の頃から制御することを強制されてきた。そうしなければいつ寝首を搔かれるか分からない世界だからだ。


 そして今まで会った平民達も常に警戒心を忘れることはなかった。でなければすぐにでも搾取される側になってしまうからだ。おそらく子供ですらこんな無防備な姿を見せたりはしないだろう。


 目が覚めてからのリナの対応は子供にしては大人びていた。話し方もだが、自身の体調の悪さを押して俺を気遣い料理を作ってくれたりと。

 だが先ほどしがみついて泣く様は、まるで幼子のようだった。


 それだけ怖い思いをしたのだろうが、それでもリナの行動には矛盾を感じる。

 ここまでの警戒心のなさは何なんだ。

 ほぼ初対面と言っていい俺に、全力で感情をぶつけてくるとは…。




 …いや、赤の他人だからぶつけられたのかもしれないが…。




 ユリウスは小さくため息をつくと、あらためて部屋を見回す。

 何の装飾もない家具、シーツやカーテンはリネンの生成り生地を使用していて、全体的に簡素な印象を受ける。だが部屋の至る所に花や草を束ねて吊るしてあり、乾燥した物から、乾燥途中の物が目に華やかだった。そして机の上には、その乾燥させた花弁などが種類ごとに分けられ、瓶詰にされていた。


 何故、瓶の中に花弁を入れているんだ…。


 ユリウスは不思議に思い手前にあった瓶を開けてみる。するとふわりと優しい花の匂いが立った。


 これは…。


 思いもよらぬいい香りに驚くユリウス。まだ香水などがないこの世界では、香りは生花などで直に楽しむもの。このように香りを持ち運べたなら、いろいろな場面で活躍するだろう。そしてそれは、どれほどの利益を生み出すか…。


 と、同時にあの森で見た、音楽を奏でていた魔道具を思い出す。


 あの見たこともない魔道具。この花の瓶といい、ここの家の者達は一体何者なんだ?

 あの父親の顔も、どこかで見たことがあるのだが…どうしても思い出せない。


 この一家が追われている理由はこれなのか?


 俺が考えるより、リナ達一家は面倒事を抱えているのかもしれない。

 エメリヒが戻ったらそのことも追及した方がいいだろう。リナを守るためには事情を知り、対策を講じておく必要がある。


 眠るリナの隣で、またユリウスのため息が漏れた。







 翌朝。居間のソファで仮眠していたユリウスは、この家に近づく人の気配で目を覚ました。


 エメリヒではないな。


 長剣を片手にスッと音もなく移動する。

 玄関が見える窓、カーテンの隙間から外の様子を窺うと、貴族と思われる若い青年とその護衛騎士の二人連れが馬から降りるところだった。


 あれは確かこのブンゲルト領の一人息子…ラルフ・ブンゲルト。

 何故彼が…?


 ユリウスは『レーツェル』の調査員としてシュネート村の担当になった際、前担当者と共に領主のブンゲルト子爵と息子のラルフに会っている。とは言っても、引き継ぎの挨拶をしただけで、その後も調査に入る日程のやり取りのみで交流などはない。


 こんな早朝に、一介の農家に何の用だ?


 遠慮がちにトントントンと玄関を叩く音がする。

 ラルフ達がここに来た理由が分からず、ユリウスは気配を消し居留守を決め込む。


「ラルフ様」

 そんな彼らに声をかけたのは、エメリヒだった。エルンスト達が襲われたという崖まで行って、何かしら調べたのち急いで帰ってきたのだろう。顔には疲れが見てとれた。


「エメリヒ!」

 ラルフは驚いた様子でエメリヒに駆け寄る。

「どこに行っていたんだ?」

 エメリヒの両腕を掴むと自分より背の低い彼に視線を合わせる。

「村長の家に」

 エメリヒの短い返事を聞いてラルフは表情を暗くした。

「俺も昨夜エルンスト達の話を聞いた。まだ捜索は続いているし、こちらからも人を出した。…どうか気を落とさないでほしい」

 ラルフが本心から心配してくれているのが分かった。


「ラルフ様…」

 エメリヒは正直驚いていた。ラルフは『そろばん』で繋がっている関係。サンドイッチの件で多少話すようになったとは言え、貴族と平民。ラルフが平民である自分達をそこまで気にかけると思わなかったのだ。


 いつも敵対心を見せるエメリヒも今日ばかりは、ラルフの気持ちを素直に嬉しいと思った。


「ラルフ様、ありがとうございます。俺も両親が死んだなんて思ってません。村長さんから捜索隊の人達が徹夜で探してくれてると聞きました。見つけてくれるって信じてます」


 エメリヒが諦めていないと分かりホッとするラルフ。

「うん、必ず見つかると信じよう」

 ラルフは力強く頷き、ようやくエメリヒから手を離した。

 そして誰も出てこない玄関の扉に視線を流すとーー。


「…それでリナは大丈夫なのか?」

 心配気な表情。

「たぶんまだ寝てるんだと思います。昨日から具合が悪くて…」

「それはエルンスト達のことを聞いて?」

 本当は違うが「はい」と答えた。

「そうか…」

 ラルフは扉の向こう、休んでいるリナを思って心を痛めた。

 一目、顔を見たかったが…。


「エメリヒ、リナによろしく伝えてくれ。何か分かり次第人をよこすから」

 そう言うとエメリヒの肩を励ますようにトンと叩き、護衛騎士を連れ帰っていった。


 こんな早朝にラルフが来ると思ってなかったエメリヒは、彼らの姿が見えなくなるのを見届けてから家に入った。




「何故、領主の息子がここに来る?」

 玄関には外の様子を窺っていたユリウスが、外からは見えない位置に立っていた。

「あいつが領主の息子って知ってんだ?」

 エメリヒはチラリとユリウスを見たが、それには答えない。

 疲れた顔でため息をつくエメリヒ。


 居間に入ると、エメリヒは纏っていた外套を脱ぎバサリとソファに投げ捨てる。


「リナが作った計算機を領地で導入したいって、子爵の命令でラルフがここに来たんだよ。両親が対応してたけど、あいつ妙にリナのこと気に入ってて」

 説明をしながらもエメリヒは迷うことなくリナの部屋に行き、音をたてないよう中へ入った。


 規則正しい寝息。昨日よりはずいぶん顔色もいいようでホッとしたエメリヒ。だが目が少し腫れていることに気づき、ユリウスを睨む。

「何で泣いたの?」

 リナの部屋には入らずエメリヒの様子を見ていたユリウスは静かに答えた。

「魔物に襲われたことを思い出したようだった」

 その言葉にショックを受け「そう」と一言だけ返す。

 少しの間リナの寝顔を見ていたエメリヒは、またそっと部屋を出た。


「彼女が作った計算機とは?」

 ユリウスに聞かれ、エメリヒは居間に戻ると壁際に備え付けられたキャビネットから『そろばん』を出して見せた。


「この玉をはじいて計算するんだ」

 使い方を簡単に説明すると、これは格段に計算が楽になるとユリウスは感心した。


 だが…これをあの少女が考え作ったのか?一人で…?


「君達が追われているのは、こういった道具のせいか?」

 ユリウスの厳しい視線がエメリヒを射抜く。

 エメリヒはあの森でリナのスマホもユリウスに見られていたことを思い出した。


「…いや違う。父方の両親…ジジイとババアが、両親の結婚に反対していて、母さんと俺を排除して、父さんに新しい女をあてがおうとしたんだよ。それで逃げてきた。けど父さんが唯一の跡取り息子だから、あっちがなかなか諦めなくて」

 事実、リナは俺達の事情に全く関係ない。


「…そうか」

 ユリウスが想像していた理由とは違った。


 確かにあの父親なら両親が諦めないのも納得できる。

 だが実家からの追手を巻くためとはいえ、魔物がいる危険な森を抜けようとするだろうか?

 エメリヒはまだしも全く戦えないリナを連れて、だ。

 実家からの追手…それも嘘ではないのだろうが…。


 何かまだ隠しているとユリウスは感じた。


 さらに追及しようと口を開きかけたが、それは違う声で遮られた。




「エメリヒ…」

 エメリヒとユリウスが一斉に声の方を見る。


 そこには起きたばかりのリナが立っていた。




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2026年1月12日 12:00
2026年1月12日 17:00

やり直し転移は選べない 望月蜜桃 @mimomon_pa

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