第18話


 無心でお風呂を終え、ロング丈のワンピースに大判のストールを羽織り、居間に戻る。


 居間の食卓テーブルにはポットと飲みかけのカップとティーソーサー。

 ソファの足元には昨夜私が着ていたエルンストの大きな外套と学生カバン。

 外套は血と土で汚れ、もう処分するしかないようだった。


 エルンストがこの外套を着ている姿、かっこよくて好きだったのにな…ダメにしちゃってごめんなさい。

 私は汚れた外套と学生カバンを片付け、ポットとティーカップを手に台所へと向かう。




 台所を覗き込むと、作業台にある丸椅子にユリウスが座っていた。

 スラリとした長い足を組み、目を瞑ったまま微動だにしない。


 絵になるなぁ…。

 でも庶民の台所がこれほど似合わない人もいないな、などと思いつつ流し台へポットとカップを置く。


「あの、着替えました。ユリウスさん、どうぞ居間を使って下さい」

 声をかけると、彼は目を開けゆっくりと私を見る。チラリと流し台に視線をやると

「勝手に使って申し訳ない」

 ユリウスは一言謝ると居間に戻っていった。


 私は手早く食器を洗い、昨夜落としてしまった火種を再度点ける。貯蔵室から干し肉と玉ねぎを取ってくると、簡単なスープを作った。それから卵と牛乳を溶いた液に残っていた固くなったパンを浸し、バターをひいたフライパンでフレンチトーストを作る。仕上げに誕生日なんかの特別な日にしか使わない蜂蜜をかけた。


 お湯を沸かしている間にポットとティーカップを用意。

 お盆に載せたスープとフレンチトースト、スプーンやフォークなどのカトラリーを居間に運んだ。




 居間に戻ったユリウスは、先ほど飲みかけのティーカップがあった食卓テーブルの席に座っていた。

 彼の前にお盆ごと温かいスープとフレンチトーストを置く。

「…これは?」

 ユリウスは怪訝そうな顔で料理を見つめる。


「あ…その、私に付き添ってくれてたなら、何も食べてないかなと思って…」

 あ…またやっちゃったかな…?

 ラルフの時も、貴族相手にお弁当のサンドイッチを差し出し失敗したことを思い出す。

 ユリウスの身なりを見れば、とても高そうな服。

 もしかしてラルフと同じ貴族だった?と、内心青くなる。


 だけど気づいてしまったのだ。


 お風呂を済ませ居間に戻った時、残されたポットとティーカップを見て、エメリヒが出した物じゃないと。エメリヒはティーソーサーなど使わないからだ。


 それならユリウスが自分で用意し飲んだことになる。エメリヒがいつ出て行ったのか分からないが、ユリウスをもてなす余裕も時間もなかったのだろうと思えた。

 お茶だけで何か食べた形跡がない。

 もう二十三時を過ぎている。

 それならきっと空腹だろうと思ったのだ。


 必要ないと言われたら引っ込めよう。


「君は?」

 ユリウスは私を見上げた。

 断られなかったことにホッとし、私は台所で食べる旨を視線で伝える。

「…そうですね、スープだけ飲もうかな」

 本当は食欲がなかったが、ユリウスに気づかれたくなくてそう答えた。


「いつもはここで食事をするのだろう?ならここで一緒に食べればいい」

 ユリウスが気遣ってそう言ってくれていると分かる。


 本来、貴族と平民が同じテーブルの席に着くことはない。

 そういう発言が出るってことは、ユリウスはやっぱり貴族なんだろうな。

 まあそれだとサンドイッチが気に入ったからといって、一緒に食べるラルフはやっぱり少し変わっているのかも。

 ラルフの美味しそうに食べる姿を思い出すとふっと肩の力が抜ける

 なんだか日常に戻った気がして安堵した。


 私は少しだけ気分が浮上し、ユリウスのせっかくの気遣いを受けることにした。

「はい…じゃあ、私の分も持ってきます」




 自分のスープを用意し、ユリウスの前の席に座った。

 いつもはアンネリーエと私が今日あったことを話し、エルンストは穏やかに、エメリヒは時々突っ込んだりして、賑やかな食卓なのだが、今はシンと静まり返っている。


 ユリウスは淡々と食事をし、私もスープに口をつける。

 美味しいとも不味いとも言わないユリウス。それでも食事の手が止まらないので、大丈夫なのだろうと思うことにした。


 それにしても…。

 向かいに座るユリウスは食べる姿も洗練されていて、本当に動く絵画を見ているようで。


 会ったばかりの男性と誰もいない家で食事をするなど、あんなことの後で不用心にもほどがある。世間一般的にはそう非難されるところだろうけど…。


 まあこの美青年に対して、己の心配をする方が厚かましいというものだろう。こんな美青年なら女性に困ることはないだろうし、初対面の時、私に「村の子か?」と聞いた時点で「子供」だと思われている。そんな私を相手にはしないだろう。


 ポールみたいな変態じゃなければ、だけど…。


「っ…」


 一瞬、嫌なことを思い出し、吐きそうになる。


「大丈夫か?顔色が悪い」

 ユリウスの声に返事をするのも難しく、えずきを堪え台所に駆け込んだ。




 ジャー…。


「っぇ…、っ…」


 少しだけ口にしたスープをもどしてしまう。

「大丈夫か?」

 ユリウスは私から少し距離を取り、そばに立った。

 頷くことで何とか返事をするものの、こんな姿見ないでほしいのが本音だった。


「背中をさすっても?」

 ユリウスの問いにビクリと肩が揺れる。彼の顔が見れず俯いてしまう。


 大丈夫…この人はポールとは違う。エメリヒが信頼して私を任せたんだから、大丈夫。

 そう何度も自分に言い聞かせて…小さく頷いた。


 ユリウスが一歩近づき、そっと私の背中に手が触れる。

「っ」


 でも覚悟した不快感はなく、手の大きさと温かさに安堵した。

 労わるように背中をさする手には、それ以上もそれ以下も、何も、感情がないのが分かった。


 それがとても安心した。




 結局ユリウスに後始末をしてもらい、お茶を淹れるつもりで沸かしていたお湯はそのままに、居間を出てすぐの…アンネリーエと私が使っている部屋まで送ってもらった。


 部屋のドアの前。

「エメリヒが帰ってきたらすぐ起こすから、ゆっくり休むように」

 ユリウスはそう言ってクルリと背を向ける。

「あのっ…!」

 思わず、居間に戻ろうとするユリウスを呼び止めた。

 無言で振り返った彼。

 何か用があったわけではない。

 言葉が出てこなくて沈黙が落ちる。

 それでもユリウスは私が話し出すのを待ってくれた。




 どうしよう…何か言わなくちゃ…。

 何か…。


「…か、髪を…触ってもらえませんか…」

 自分でも何を言っているのか分からなかった。

 出てしまった言葉に内心焦る。


 ただ、あの無感情な手で触ってもらえれば、思い出してしまった纏わりつく不快感を消してもらえるような気がして。


 ユリウスは何か言いたげな表情を見せたが、俯いていた私は気付かなかった。

 ややあって、ユリウスの手がゆっくり私の頭に触れると、優しく髪を撫でた。


「…っ」




 ああ…よかった。


 やっぱりこの人の手は怖くない…。




 彼の無感情な手に安堵すると、気が緩んだのか、涙がポロリと零れた。

 すると、あとからあとから涙がポロポロと零れ落ち、止まらなくなってしまった。


「…っ、…っ」

 私が泣き出しても、ユリウスの手は髪を撫でてくれていた。それでもきっと困惑してるだろう。早く涙を止めなくては、そう思と苦しくて溢れてくる。


 撫でる手が離れたかと思うと、そっと抱きしめられた。子供をあやすように背中をトントンとされ、頭を撫でられる。

「大丈夫。もう大丈夫だから」


 ユリウスの落ち着いた声が耳に響いて、余計に涙が溢れる。

 私はユリウスにしがみつき、泣いた。子供のように泣きじゃくった。







 きっとエルンストやアンネリーエの前では泣けなかった。

 エメリヒの前ならなおのこと。

 彼らは私に起きたことを知れば、激怒し、そして深く悲しむだろう。


 大切な彼らにそんな思いはさせられない。




 でもユリウスなら気の毒だと同情しても、悲しんだりはしないだろう。

 私がどんなに泣いても「大変だったね」で済ませてくれる。


 その関心のなさが、今の私には必要だった。







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