第17話


 家人であるエメリヒが出て行き、リナは眠ったまま。他人様の家での勝手は気が引けると思いつつも、ユリウスはまず本来の目的であるリナの体調を確認することにした。


 ソファで眠り続けるリナ。顔色は悪いもののイーヴォが巡らせた魔力は安定しているようで、穏やかな寝息を立てている。

 昨夜の酷いケガを思い出すと、助かって良かったと心から思う。


「目を覚ますのが先か、帰ってくるのが先か…」

 ある程度時間がかかると見越したユリウスは、お茶を淹れることにした。







『はっ、はっ、は』

 走っても走っても追いかけてくる。


 怖い、怖い、怖いーー。




 木の根に足を取られ、派手に転ぶ。

 痛い!でも逃げなきゃ。

 逃げないとーー。


『ああ…リナちゃん。こんな暗闇の中でも、君の黒髪は美しいね』

 目の前にポールがにゅるりと現れる。


 ひっ!


 気持ちの悪い顔が近づき、その手が髪を撫で、頬を触る。


 嫌だ。


 視線が足元に向くとニヤリと笑い、スカートからむき出しの足を掴んだ。


 嫌、やめて…。


 欲望に歪んだ顔は、およそ人とは思えないほど崩れ、掴まれた足に何度も唇を押し付ける。


 嫌、いや、イヤ…。


「やめっ…いや…」




 一瞬で場面が変わると、次の瞬間にはポールは屍になっていた。人とは思えない顔なのに、それでもポールだと分かる。


 ひっ!!


 怖い、怖い、怖いーー。


 もういや…助けて…誰か…。


「エメリ…助け…」

「ぉぃ…」


 エメリヒ…。

 助けて…

「ぉぃ…」




 グルルルッ!


 己の顔の横からぬぅっと出たのは狼みたいな魔物。


 手に掴んだ土や草を投げつける。

 嫌だ…怖い…あっちに行って…!!


 投げた物の中にはスマホも見える。


 だがそんな物で魔物を撃退できるはずもなくーー。

 グワリと大きな口を開けた魔物が自分を飲み込もうと襲ってきた。


「いっ…や…」

「おい!!」


 肩を揺さぶれ、ハッとする。

 視界には見知らぬ男性が自分を覗き込んでいた。


「やぁっ!!」


 相手を思い切り突き飛ばし、体を守るように両の手で自分を抱きしめる。

 だが自分を害するような衝撃も痛みもなく、ただ落ち着いた声がした。


「大丈夫、もう魔物はいない。君は助かったんだ」




「え…?」


 その声にようやく目を開け、自分が柔らかいソファの上にいることに気づく。


 私は恐る恐る周囲の様子を確かめると、一年近く住んだ、見慣れた天井や窓のカーテンが見えた。

 ここ…家…?


 まだ微かに震える体をギュッと抱きしめ、のそりと少しだけ上体を起こす。

 声の方を見ると、私から少し距離をとって立っている青年がいた。

 あの時の美青年である。


「あなたは…」

 そして思い出す。森の中で彼に会い、エメリヒを置いて自分だけ先に逃げたことを。

「エメリヒ!!」

 ガバッと起き上がると、ふらりと眩暈がする。すかさず美青年が支えてくれたが、私の体がビクリと跳ねるとサッと手を離した。


 彼はまた私から距離を取るとゆっくりと手紙を差し出す

「エメリヒなら無事だ。君にこれをーー」

 私が彼を見ると頷く。


 手紙を受け取り開くとーー日本語の手紙。

 それは間違いなくエメリヒの筆跡。

「エメリヒ…」

 そのことにホッとし、読み始めた。







「うそ…」

 自分が意識を失っている間に、信じられないことが起こっていて愕然となる。


 崖から落ちて流されたって…そんな…。エルンストとアンネリーエは…無事だよね…。

 それを確かめにエメリヒは現場に行くって書いてある。私も行きたい。

 エメリヒの手紙には助けてくれたあの人を頼るようにってあったけど…。


 私が手紙を読み終わるのを静かに待っていてくれた美青年。

 彼に視線を向けると目が合った。


「あの…手紙読みました。ユリウス?さんが、私を助けて下さったそうですね…ありがとうございます」

 私が頭を下げると、ユリウスは頭を振る。


「いや、俺が誤解を招いたせいで、君達を危険な目に遭わせてしまった。申し訳なかった」

 逆に謝られて慌ててしまう。

「入ってはいけない森に入ったのは私達なので」

 ユリウスは悪くないと否定すると、申し訳なさそうな表情をした。


 ふぁ…愁いを帯びた表情、すごい絵になるな。

 美形なエルンスト一家を見慣れていても、ユリウスの美しさは格別だった。

 あ、そうじゃない。


 壁にかけてある時計を見ると、もう夜の二十一時を回っていた。昨日の夜、この家を出てから丸一日以上経っていた。昨夜は必至すぎて分からなかったが、秋に入り夜は少し肌寒く感じる。

 この世界は不思議なことに地球と類似している点が多い。

 計算の仕方もそうだったが、時間や暦、季節の移り変わりなどは日本と本当によく似ているのだ。時々、異世界ではなく、日本にいるかと錯覚するほどに。


「あの…エメリヒの代わりにいて下さって、ありがとうございました。明日私もエメリヒの後を追って、盗賊に遭った崖に行ってみようと思います」

 私は今後のことをユリウスに伝えた。


 手紙にあった『レーツェル』が何なのか分からないが、文面から察すると森の管理をしている団体なんじゃないかと思う。ユリウスはそこの管理団体の人で「危険な目に遭わせてしまった」と言っていたから、目を覚ました私に異常がないことを確認したかったんだろうと思う。そしてエルンスト達の件があって、やむを得ずエメリヒの代わりに留まっていたのだろうと。


 私はもう大丈夫だと伝えれば、ユリウスも帰るだろうと。


「それは許可できない」

 だがユリウスの返答は違った。

「君にかけた回復魔法は特殊で、後遺症が出る可能性がある。完治したと確認できるまで、負荷がかかる行動は許可できない」

 特殊な回復魔法とは『神獣』を魔器にしたこと、後遺症とはそれがどう作用するか分からないこと、完治とはリナの体が治癒し『神獣』が出てくることを指す。


 だがそんな事情を知らない私は、「後遺症」と言われ不安になる。

「え…」


 ユリウスは私に言い聞かせるように話し出す。

「今のところ問題はない。だが君はケガでかなり出血していた。回復魔法では血は戻せない。ケガ以外は自然に回復するのを待つ必要がある。エメリヒからはすぐ戻るので、それまで君を看ていてほしいと頼まれている。だから君には家でおとなしく寝ていてほしい」

 助けてくれた人にそう言われると、無理は通せない。


「分かりました…」

 私は素直に頷いた。


 エメリヒが私を頼んだってことは、ユリウスは「追手」とは無関係だったんだろう。

 ユリウスが言うように血が足りてないのか、正直体が重い。

 このまま部屋で休ませてもらおうとソファから立ち上がる。

 と、ユリウスがスッと視線をそらした。


「衣服が昨夜のままのようだ。着替えるといい」

 そう言って台所の方へ引っ込んでいった。

「?」

 私は自分の服を見下ろす。すると血だらけのブレザーにブラウス。制服のスカートにまで血が染みている。だが問題はそこではない。魔物に噛みつかれたせいでブラウスのわき腹の辺りが盛大に破れ、お腹が見えてしまっていた。しかもポールを勘違いさせた原因、短いスカートから足が露出しまくっていたのだ。

「!!」

 私は慌ててソファにある毛布で前を隠す。


 昨日あんなことがあったのに…油断しすぎ…。

 自分の警戒心のなさを恥じると、汚れを落としにお風呂場へと向かった。




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