第14話
「うんうん、誠に美しい黒髪だ。どれ、目を開けよ」
イーヴォはぐったりと横たわるリナの頭を前足で小突いた。
パシッ!
エメリヒはイーヴォの前足を払うと、恐ろしい形相で睨みつける。
エメリヒには瀕死のリナに対する暴力にしか見えなかったからだ。
「リナにさわるな」
少年のエメリヒから出たとは思えぬ低い声。
「なんだ小僧。お前はこの娘の何なのだ?」
目を細め上から見下ろすイーヴォ。冷やりとする声音。
「家族だ」
だが視線を逸らすことなく答えたエメリヒ。
まだ一年ほどの付き合いではあっても、エメリヒにとってリナは守るべき大切な人になっていたのだ。
スン、と一嗅ぎ。
「血のつながりはないようだが?」
イーヴォの言葉にエメリヒの怒りが加速する。
「だったら何だ。それでもリナは俺の家族だ」
エメリヒの主張にイーヴォはあっさり納得した。
「ほう、それはあいすまぬ。主も我とは種族さえも違ったが、家族と言って可愛がってくれた」
イーヴォは主を懐かしみ頷く。エメリヒとリナの関係に満足した様子のイーヴォ。
何なんだ、この魔物…?
その反応にエメリヒの方が困惑する。
だいたい人の言葉が話せる魔物って何なんだ…?
少し冷静になりまた別の疑問が湧き上がる。
エメリヒとイーヴォのやり取りに肝を冷やしたのはユリウスだった。
知らないとはいえエメリヒだってイーヴォが恐ろしい魔物だとはこの強大な魔力で分かっているはず。それなのにあんな態度をとるとは。
ゴクリと唾を飲み込む。
「神獣イーヴォ殿、なぜここに?あなたが所望した黒髪の子供は、私が洞窟へ連れて行きますと言ったはずですが?」
ユリウスの言葉でエメリヒは愕然となった。
神獣、だと…?
エメリヒは信じられない気持ちで、ユリウスを振り返る。
ユリウスは視線だけで肯定。
エメリヒは目の前の巨大な魔物が、禁忌地区にいる『神獣』だと知り畏怖を感じた。
しかもその『神獣』がリナを所望した…?
「森の中で大きな魔力を感じたのでな。ほれそこの小僧じゃ。珍しくおぬしの魔力も感じたがの」
イーヴォはポールの一件で爆発したエメリヒの魔力に反応したということだった。
ユリウスはこの数々の異常事態に眩暈がしそうだった。
「…ん?よく見るとこの娘、虫の息ではないか。せっかく見つけた黒髪の娘だというに…早う助けい」
イーヴォの命令に、こっちだって助けたいと心から思う二人。
だが…。
「彼女には魔器がないらしく、回復魔法が効かないのです。このケガでは…もう…」
ユリウスの見立てはエメリヒも否定できなかった。
今もエメリヒの手の中でリナの温もりが失われ続けている。
「魔器がない?どれ?」
イーヴォがリナに顔を近づけ匂いを嗅ぐ。
「ふむ。確かにないな。であれば我がなってやろう」
そう言うと先ほど小突いた時とは違い、そっと前足をリナの胸の辺りに乗せる。
「この娘が自己で完治するまで、我が器となり回復魔法を体に巡らせてやろうぞ。さすれば娘の体が損壊せずに繋がっておろうよ」
そんなことできるのか?と思う間に、イーヴォの前足がズブリズブリとリナの体に飲み込まれていく。
信じられないことに、あの巨体が小さなリナの体に入ってしまった。
「なっ…!」
目の前の出来事に二人が唖然としていると、リナがパチリと目を開けた。
「リナ!」
エメリヒがすぐさま声をかける。が、
「まだ娘の意識は戻っておらぬ。さっさと回復魔法をかけよ」
リナの顔、リナの声、それなのに圧のある話し方。あまりにもちぐはぐな印象に戸惑うエメリヒとユリウス。
「早うせい。死ぬぞ」
イーヴォの一言で我に返り、エメリヒが刺さったままだった魔物の牙を慎重に抜く。ゴトリと魔物の頭が転がり、抜いた瞬間、血が溢れ出した。エメリヒが傷口を強く押さえ止血する。と同時にユリウスが回復魔法を一気にかける。
イーヴォが魔器になっているというのは本当で、さっきまで無反応だったケガがみるみるうちに塞がり、奇麗な肌に戻っていく。
リナの顔色はまだ悪いがこれは失われた血液のせいである。回復魔法はケガは治せても、血などの体液は自然回復を待つしかないのだ。
「ふむ、どうやら回復魔法はうまく巡ったようじゃの」
イーヴォは体を起こしはしないものの、手を握ったり開いたりし感覚を確かめている。
その様子にエメリヒとユリウスはようやくホッとした。
さっきまで痛々しい酷い穴が開いていたリナの肌。噛み破かれた血だらけの服が魔物に襲われた痕跡を残しているものの、破れた服から見える白い肌は奇麗なものだった。
そこまで確認し、エメリヒはハッとする。
血と土まみれになってしまったエルンストの大きな外套、その前をバサリと合わせる。
けがした部分だけではなく、乱れてむき出しになっていた足も覆い隠す。
エメリヒがユリウスをジロリと睨むと、スッと視線をそらされた。
エメリヒにとって緊急事態だったとはいえ、リナの肌を見ず知らずの男に見られたのは許されないことだった。
エメリヒは淡々とリナの身支度を整え始める。
リナを覆う外套の中に手を入れ、学生カバンの肩ひもを外しカバンごと引き抜く。
そしてスマホを拾うと、場違いにもずっと流れ続けている『クライゼル』の曲を止め学生カバンに入れた。
周囲にリナの持ち物がないか確認すると、リナの学生カバンをエメリヒが肩から掛ける。
そのエメリヒの行動を見守り、リナの持ち物一つ一つに目を光らせていたユリウス。
一方、イーヴォはリナの体のあちこちをゆっくり動かし、回復魔法を隅々まで循環させるため血管内を流れるよう再構築していた。そうすることでリナ自身の自己回復能力を助ける働きも得られると考えたのだ。
「ふむ。とりあえずはこれでいいじゃろう」
そう呟くとイーヴォは静かに目を閉じる。そのまま寝に入りそうな様子にユリウスは慌てて声をかけた。
「待って下さい、イーヴォ殿。彼女が自己で完治するまで、彼女の体からは出られないんですよね?」
その質問に「…そうじゃ。出ると壊れる」と恐ろしい返答にエメリヒの肩がビクリと揺れる。
「それはいつまでかかるのですか?」
長期間イーヴォが不在となれば、この森の魔物だけではなく、方々に影響が出る。ユリウスはそれを懸念しての問いかけだったが「…分からぬ」と一言で片付けられた。
「それでは困るのですが」
一応はこちらの事情を伝えるユリウス。
「知らぬわ。何とかせい…」
相変わらずの気ままさぶりである。
「何故、リナを助けてくれたんですか」
二人のやり取りを聞いていたエメリヒが口を開いた。
イーヴォは眠そうな目でエメリヒをチラリと見る。
「主と同じ黒髪だからのう。それに小僧に手を叩かれたからのう」
また同じ状況になれば必ず叩く、そう思うも顔色が悪くなるエメリヒ。
「久々に面白かった…くっくっくっ」
さも可笑しそうに笑うイーヴォ。ただもう瞼は開けていられなくなったようで
「先ほど流れていた歌…不調になれば聴かせてやるとよい…娘の心が…喜ぶ…」
そう言うと、スーッと寝息を立ててしまった。
イーヴォのおかげで少しだけ血色が戻ったリナ。
エメリヒは心底ホッとした。
「リナ…」
エメリヒはリナの頭をそっと優しく撫でた。
何故『神獣』が「黒髪」に拘ったのかは分からないが、『神獣』のおかげで今リナが生きていることに感謝した。
リナを失わなくて本当に良かったと、噛みしめる。
安堵しているエメリヒの横で、ユリウスは頭を抱えた。
冗談じゃないぞ…この状況…どう収集をつける…?
もともと『神獣』について分かっていることは少ない。そんな中で、神獣が人間の体に入れるなどと、そんな事実が広まれば恐ろしいことになる。
たとえ人間の中に入ったとしても『神獣』には変わりない。入った人間の能力に依存する部分は大きいだろうが、本来の力は出せずとも相当な脅威にはなるはずだ。
力がない者は恐れ、力があるものは欲するだろう。
この少女…リナに入ったことは誰にも知られてはいけない。
「少年、話がる」
ユリウスがリナに寄り添うエメリヒに声をかけた。
「俺もだ」
ユリウスを見上げるエメリヒには、また警戒の色が濃く出ていた。
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