第11話


 役場の仕事が終わり、エメリヒがいつも通り迎えに来てくれて一緒に帰宅した。


 このシュネート村で提供された住居は平屋建てで、玄関入ってすぐに食堂兼居間があり、そこを中心にぐるりと台所、風呂、トイレ、そして二部屋の寝室がある。

 寝室はエルンストとエメリヒ、アンネリーエと私で使っている。


 台所ではエメリヒと一緒に夕飯の支度。

 昨夜アンネリーエと作った根菜の野菜スープと今朝焼いたパンの残りを温め、追加で作ったベーコンとキャベツの炒め物。


 それを居間にある四人掛けの食卓テーブルに並べた。


「いただきます」

 席に着き、二人で手を合わせ食事を始める。

 温かいスープでホッと一息。炒め物とパンの相性もいいな、明日のお弁当に挟んで持っていこうかな、でも水気が…などと思っていると

「リナ、落ち着いてよく聞いて」

 エメリヒは食事の手を止めることなく、静かに話し出した。


「昼間、役場に送る途中、俺達をつけてた奴がいる。俺が家に帰っても、そいつはリナがいる役場から離れなかった。帰りもついてきてて、今も家を見張ってる」

「えっ」

 思いもよらない話に食べる手が止まる。

「役場に私がいる間、ずっといたって何で分かるの?」

「家に帰るふりして陰から見てた。リナが一人で役場から出たところを襲われないように、俺も見張ってた」

 私が仕事をしていた時、エメリヒは私を守ってくれてたなんて…。


「で、でも何で私?エメリヒ達を追ってきてる人じゃないの?」

 正直、私に狙われる要素はない。この世界に来たばかりの時エルンスト達に指摘された、制服やカバン、もちろんスマホも、外には出していない。黒髪黒目が珍しいと言っても、エルンスト達ならまだしも、私に人を魅了するような力量はない。

 私の疑問にエメリヒも、相手の狙いを図りかねているようで。


「リナを個人的に狙ってるのか…追手だとしたら俺達の顔を知ってて、リナが何で俺達と一緒にいるのかを探っているのか…」


 どっちにしてもエルンスト達がいないい今、二人でここに留まるのは悪手だ。もし襲われたら、全く戦えない私は足手纏いになる。それでエメリヒに何かあったら、エルンストやアンネリーエに申し訳が立たない。




「森の中の逃げ道は覚えてるな」

 森の中は入ってはいけない。

 私達はここに定住することが決まった時、それを逆手にとって逃げる道順を決めた。魔物に遭遇しづらい森の縁を、中に入りすぎず辿るように移動する。そして村を抜ければ街道と森の境界を、身を隠しながら逃げるよう言われている。


 そして逃げている途中、もし別行動になった時は…数か所決めていた中の、どこで落ち合うかも確認しあう。


「…もう動くの?」

 この後のことを考えると手が震える。

 エメリヒは私の手に自分の手を重ねると

「とりあえず飯を食う。食い終わったらリナが食器を片付けてる間に、俺は持ち出すものをカバンに纏める。俺達が全く気付いてないと相手に思わせるんだ。そのあと寝に入ったと思わせ、裏口から出る」

 ギュッと力強く握ってくれた。

「大丈夫、俺が守るから」

 エメリヒの言葉にしっかりと頷く。


 でも、もしもの時は絶対に私がエメリヒを守る。







 その後は、ただもう必死だった。

 エメリヒが言った段取りで動き、逃げる準備をした。


 貴重品だけ持っていこうと、学生カバンを開くとエメリヒから待ったがかかる。

「リナ、あの制服に着替えろ。服は持って逃げるにはかさばる。カバンも袋から出して直に持つんだ」

「でもあれじゃ目立つし」

 そう言うとエメリヒはエルンストの外套を放り投げてよこす。

「それで覆えば見えないだろ。逃げ切った後にまた着替えればいい」

 この非常時だ。私は置いていくつもりだったが、エメリヒはそうじゃなかった。


「大事な物だろ。それは持っていけ」

 エメリヒの気持ちが嬉しくて涙が出そうになる。ぐっと堪えて、大急ぎで制服に着替え、靴もローファーに履き替える。学生カバンを斜め掛けし、エルンストの大きな外套を羽織る。

 と、同時にエメリヒが部屋の灯りを消した。


 いざという時の話は何度も聞いていたが、実際にその時になると体が震える。

 エメリヒとしっかり繋がれた手。真っ暗な家の中を慎重に裏口へと進む。音をたてないように裏口のドアを開け、そっと外に出る。

 しっとりとした静かな夜だった。

 せめて風でも吹いて森がざわめいていれば、それにまぎれて逃げやすいのに。

 エメリヒが私を振り返り合図する。私も頷きエメリヒと共に走り出す。




「はっ、はっ、はっ」

 家の裏手にある森に入り山道を走り抜ける。森には魔物がいるがエメリヒがいるので問題はない。エルンストが魔法剣士としてエメリヒを鍛えていたのは、ただ身を守るだけじゃなく逃走に必要だったからだ。


 一度だけ入ってはいけない森の中で、エルンストとエメリヒが魔物と戦っているのを見たことがある。

 あれは、逃げる道順を皆で確認していた時だった。

 体の大きなエルンストの数倍もある、猪のような魔物。突進してきたその巨体をエメリヒが風の魔法で一瞬にして切り裂いたのだ。

 人間を襲う恐ろしい魔物とはいえ、生き物が目の前で死ぬ瞬間を見て、私は腰を抜かし吐いてしまった。




 その夜、私は自分の不甲斐なさに一人で泣いた。




 分かっているのだ。普段口にしているお肉だって生きている動物。それを誰かが捌いて調理して、自分の口に入っている。日本で生きていた時は、捌くという行為を見て見ぬふりが許されていただけ。


 でもこの世界では、生きるため、時には相手の命を奪うこともある。それが魔物でも人間であっても。襲われた時、躊躇すれば自分が死ぬだけだからだ。


 自分の身を守れない私が代わりに戦ってくれる人達を非難できるわけがない。

 ただ、生き物の死を目の前で見たのが初めてで、気持ちの処理が追いつかなかったのだ。




 それも過ぎたこと。今は割り切れている。と思う。内心ではお互いのため魔物にも追手にも遭遇したくはないのが本音だが。


「っ」

 突然エメリヒが止まった。私を庇うように前に立つと腰にある短剣に手をかける。

 エメリヒ越しに前を見ると、木の陰から人が出て来た。

「あ…」

 昨日会った美青年だった。

 だが真っ暗な木々の間に立つ青年は、昨日の昼間とはまるで別人だった。一枚の絵画のような美しさではなく、闇にまぎれて現れた、人ならざる者に見えた。




 あの人が、追手…?

 …なんだかそうは思えない。

 でも行く手を阻んでいるのは確かだった。


 無意識にエメリヒの服を掴む。

「昨日見た奴?」

 エメリヒにボソリと聞かれ、小さく頷く。エメリヒが舌打ちした。心なしかエメリヒの顔に焦りが見える。

「リナ、落ちあう場所は分かってるな」

 そう言われて、服を掴む手に力が入る。

 おそらくここから先、一人で行けと言うことだろう。


 嫌だと言いたい。エメリヒも一緒じゃなきゃ、嫌だと。


 でも『俺が守る』と言ったエメリヒが、私に一人行動を求めた。

 それだけ状況が不利だということ。


「…うん」

 エメリヒが焦るぐらいの相手、それなら私がいると確実に足手纏いになってしまう。

 手を離さなくちゃと思うのに、震えて、うまく離せない。

 反対の手で何とか無理やり引きはがした。


「大丈夫、すぐ後を追うから。俺が合図したら一気に走り抜けろ」

 エメリヒの言葉に頷き、備える。


 美青年が少し動いた、と同時に「行け!」とエメリヒが叫ぶ。私は力の限り駆け出した。

 視界の隅で美青年が私を追おうとしたのが分かった。その瞬間、エメリヒが放ったであろう風魔法の風圧が通り過ぎた。


 何であの人が?という疑問は振り切った。

 何も考えず、憶えた山道をひたすら走る。


「はっ、はっ、はっ」

 草を踏みしめる音と自分の息遣いだけが響く。

 怖い、怖い、怖いーー。


「エメっ…」

 知らず涙が零れる。

 何かあればエメリヒを守る、そんなことを思っていても、やっぱり怖い。

 何の役にも立てない自分が歯がゆい。




 どれだけ走っただろうか。と、突然、前方の木がガサガサッと音を立てた。

 自分でも驚くほどビクッと体が揺れ、立ち止まってしまった。


 ガザガザと意思を持ってこっちに向かってくる。

 どうしよう、魔物…!?

 エメリヒ…!!

「っ」







「やあ、リナちゃん。こんな夜に森の中で何してるんだい?」




 え…?

 近づいてきたのは魔物ではなく、人間だった。


 しかもスーザンの隣に住むジーノおばさんの夫。




「え…ポール…おじさん…?」




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