第9話
ガサリ、ガサリ…。
茂みをかきわけ、森の中を慎重に進む美青年。先ほどリナが出会った彼である。
彼は魔法で移動…ではなく、徒歩で森の中を移動している。魔物のいる奥まで来ると、魔物や動物の足跡や糞などの痕跡から、生物の種類・生息地・行動範囲を記録する。
特に大きな変化はないな。
魔物の気配を感じ、木の陰へそっと移動する。魔物が通り過ぎるのを待ち、さらに奥へと移動する。
彼はユリウス・ビュルクナー。世界中にいる精霊獣や脅威となる魔物などの監視・研究をする機関『レーツェル』の調査員である。
調査機関『レーツェル』はストナブア帝国以外の七つの国が共同出資している国際組織である。魔物の脅威はどの国でも大きな問題になっており、被害を最小限に抑えるため、各国が協力して調査・研究、それを共有している。
そして彼は担当地域の一つ、シュネート村の禁忌地区にいる『神獣』に会いに来たのだ。
森の奥の奥、生い茂った木々に隠れた洞窟の中、その巨体は気だるそうに横たわっていた。
その巨体がくわりと大きな欠伸をする。
「もう、おぬしが来る季節か」
フードを取ると、ユリウスは気負う様子もなくその巨体の前に立つ。
「お久しぶりです。神獣イーヴォ殿」
神獣イーヴォ。
稲穂を思わせる艶やかな金色の毛並み。金に中心が黒い切れ長の目、あくびの際に見えた鋭い牙。近づかなくとも分かるほどの強大な魔力。
彼は狐の精霊獣である。
相変わらず美しいな。
イーヴォを見てそう思うユリウス。
「変わりはありませんか?」
ここに来ると必ず尋ねる決まり文句。
「ないな。おぬし以外誰もこぬ」
退屈そうに前足で地面を削るイーヴォ。
それはそうだろう、と思うユリウス。
ここは禁忌地区。
数十年前、怖いもの知らずの研究者が「話せる神獣がいるのなら話してみたい!」とこの場所に足を踏み入れ、何度もイーヴォに追い返されたものの、それでもしつこくつきまとい、とうとう研究の許可を取り付けたのだ。と言ってもイーヴォが気まぐれに話す内容を正確に記すのみではあったが。
だがその研究者のおかげで『レーツェル』の調査員がこの場所に入れるようになり、定期的に状況を確認できるようになったのだ。それでも調査員のことは、調査対象がある地域の領主と、関係者のみにしか知らされていない。
あくまでも禁忌地区は人間が入ってはいけない場所だからである。
そして魔物もそうだ。人間同士は互いの魔力に鈍感で、訓練を受けていなければ相手の魔力量は分からない。だが魔物は違う。互いの強さを魔力で測る。ユリウスが被っている外套も本人の魔力が外部に出ないよう魔法付与が施されているため、魔物はユリウスに気づかない。普段から魔力を抑えているとはいえ、外套を着ていなければすぐにでも強い魔物に襲われるだろう。そんな魔物達ですら恐れる。
強大な魔力を放つイーヴォに、この森の魔物達は決して近づかない。
「そうですか」
変わりなし、調査完了。ユリウスはホッとし
「では、また来年」
もうここには用はないと言わんばかりに踵を返す。
「まあ、待て。何か面白い話はないのか?」
いつもは自分を引き留めることなどないイーヴォ。
珍しいこともあるものだな。
だが気まぐれな神獣のことだ、特に意味はないのだろう。
ユリウスは少し考え、先ほど出会った少女を思い出す。
リナ、と呼ばれていたか…。
「先ほど、黒髪黒目の少女に出会いました」
むくり。イーヴォは先ほどまでつまらなさそうに寝そべっていた上体を持ち上げる。
「ほう?」
どうやらイーヴォの興味を引いたらしい。
「確か、イーヴォ殿を生み出した主様が、黒髪黒目だったと記憶していますが」
ユリウスが調査員としてイーヴォを担当することになった時、引き継いだ担当者がそんな話をしていたのだ。ただ調査のため世界各地を訪れるユリウスでさえ、まだ一度も黒髪黒目の人間に出会ったことがなかった。今まではイーヴォを生み出したということから、神かそれに近しい存在ではと思っていたのである。
だからリナに会った時、光の加減ではなく本当の黒髪黒目だと驚き凝視していたのだ。
「その通りだ。我を生み出した主は黒髪黒目だった。主が生きていた頃はそれなりに見かけたが、今は全く見なくなった。懐かしいのう…」
イーヴォは何かを思い出しているのだろう、楽しげな表情だ。そして、フンッと鼻息を鳴らすとすくりと立ち上がった。
「その少女とやらに会ってみたい」
その言葉にギョッとするユリウス。
今にも巣としている洞窟から出ていきそうなイーヴォの前に立ち、進路を塞ぐと
「あなたが直接出向くと大事になります」
イーヴォの担当になって以来、初めて立ち上がる姿を見たユリウス。いつも気だるそうに返事をするだけで、一度も動く気配は見せなかった。まさか『黒髪黒目』そこまで反応するとは思わなかったのだ。
「相手は子供です。あなたが会いたいというだけで出向けば、その子供は危険にさらされる。あなたを利用したい輩は山ほどいるんです」
ユリウスは表情にこそ出ていないが、面倒事になったと思っていた。自分一人で止めるにはかなり厳しい相手である。それどころか本気になったイーヴォの強さは未知数である。
「そのような輩、われが踏み殺してやるのだが…そうもいかぬのであろうな」
面倒だと言わんばかりに、先ほどまで横になっていた場所に再び寝転ぶ。
恐ろしいことを口走った神獣は
「連れてまいれ」
当然とばかりに命令する。
簡単に言ってくれる。
ユリウスは気ままな神獣に苛立ちを覚える。
「すぐには無理です。おそらくこの村の子供ですが、通りすがりに見ただけなので探さなくてはなりません。見つかっても相手は子供、親の許可も必要です」
おそらく見つけるのも強制的に連れてくるのも、すぐにできるだろう。この神獣が外に出ることに比べれば、どうと言うこともない。ただ懸念が二つ…。
「人間社会は面倒じゃのう…まあ良い。数日中に連れてまいれ」
黒髪黒目の人間に作られたと言うだけあって、人間社会には法や秩序があることを知っているイーヴォ。ただ己には関係ないものとしているだけである。
くわりと欠伸をすると、イーヴォは寝に入ってしまった。
静まり返った洞窟の中、ユリウスは小さなため息を一つ。
「また来ます」
フードを被ると踵を返し、今度こそ洞窟を後にした。
ザッ、ザッ、ザッ。
心なしか歩く音にも苛立ちが混ざる。
リナと言ったか…あの少女。出会った場所のすぐそばを家の畑だと言っていた。調べれば誰の土地かすぐに分かるだろう。
そして父親と呼んでいた、あの男が少女の保護者だろうが…。
懸念とはこの男ことだ。
あの二人、実の親子ではない。
父親は隠しているようだったが、かなりの魔力量だった。通常親の魔力量は子に遺伝する。だが少女からは全く魔力を感じなかった。親子であそこまで魔力量に差があることはない。
そしてあの男…かなりの手練れだ。
本来、魔力量が多いことが強さではない。魔力量が少なくとも技や武器の扱いに長け、強い者はいくらでもいる。ただ攻撃魔法を使った戦いの場合、やはり魔力量が多い方が有利なのである。
父親があの時あの場所に来たのも娘を見つけたからではなく、俺が飛行魔法であそこに降り立ったからだろう。俺が立ち去った後を注意深く観察していたしな。
ただあの男…どこかで見たことあるような…。
少し考えるも思い出すことはできなかった。
「はぁ…」
あの少女に強制するのはあの父親が許さないだろう。おそらく金を積んでも動かない。無理を通せば少女を連れて姿を晦ませるかもしれない。行方が分からなくなればイーヴォが直接動き出すかもしれない。
もう一つの懸念がイーヴォだ。黒髪黒目の少女に会いたいと言ったが、会ってどうする気なのだろう。懐かしんで終わりならいい。もし手元に置きたいなどと言い出したら…。
「本当に面倒なことになった」
発端が自分の発言である。己の失態にイラつきつつも歩く速度は緩まない。
まずはあの少女のことを調べなくては。
ユリウスはまた大きなため息をついて、シュネート村へと降りて行った。
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