第7話


 私が役場で働くことになった事件とはーー。




 ここブンゲルト領は、流行り病で領内が疲弊したものの、少しずつ回復してきていた。それに伴い免除されていた税金が段階的に徴収されることになった。そのタイミングでこの村を担当する役人も変わったのだが、その役人が悪い人だったのだ。


 この国の平民は識字率が低く、自分の名前が書ければいい方で、買い物をするために必要な簡単な計算ぐらいしかできない。


 だから新しく来た役人は、村人達が税金の計算などできないと踏んで、領主様から発表があった税率より高い税率で徴収し、差額分を横領しようとしたのだ。


 だが、ここにはエルンスト達がいた。エルンストは良家の跡継ぎとして、アンネリーエは商家の人間として、この国で必要な教養を身につけていた。もちろんエメリヒも。


 予想より高い税率に疑問を持ち、村長のマークと相談した上で、エルンストはブンゲルト領の中心都市メーネルの役場に確認に行った。

 発表があった税率は役場に行けば教えてもらえるからだ。


 そこでシュネート村に来た新しい役人が課した税率とは違うことが発覚。その役人は他の地域でも同じような不正をしていたことがバレて捕まった。


 それ以来、村の人達は領地から派遣される役人を信用できず、エルンストやアンネリーエに書類の確認を依頼するようになったのだ。もちろん手間賃は貰えるのだが、これが意外と厄介で、本業の農作業に支障が出てしまった。




 書類確認にアンネリーエと私がかかりきりになり、エルンストとエメリヒだけでの農作業。


 書類仕事を頼んだ村の人達が交代で手伝いに来てくれていたのだが、村の人達も己の農地がある。うちの農地は少しずつ作業に遅れが出てきてしまった。


 しかも私は暗算が苦手。書類の計算が間違ってないか、紙に書いて計算をしていたのだが、問題が発生。




 この世界での紙は、平民にとっては高級品。

 紙自体はそれなりに出回っていて、インクやつけペンなど、紙や筆記用具は安い物から高級品までいろいろとある。だが商人達が使う一番安い紙でも、平民にとってはやはり高価な品になってしまうのだ。




 私はこの異世界に来た当初、聞いたり話したりは問題なかったが、この世界の文字は読めなくて、エルンストとアンネリーエから文字を教えてもらった。


 その時、紙が高価だと知り、私は手持ちのメモ帳を使った。転移した時持っていた…学生カバンの中に入っていた物だ。メモ帳に教えてもらった基本的な文字を書き写し、日本語で読み方や意味をメモした。


 それを基に文字を地面に何度も書いて練習した。


 はじめは大変だったが、私が書く日本語に興味を持ったエメリヒが熱心に教えてくれて。エメリヒはあっという間に日本語を理解し、九九までも覚えてしまった。その様子を見ていたエルンストとアンネリーエも日本語と九九を覚えてしまったけどね。




 …と、話を戻そう。


 読み書きさえできれば、この世界の計算方法は日本と同じで、アンネリーエに教えてもらい税率の計算はできたのだが、村の人達が出入りする中でスマホの計算機で楽をすることはできず、暗算が苦手な私は紙に書いて計算していた。けど高価な紙を少しでも節約したいと悩んだ結果ーー。




 アナログ計算機『そろばん』を思い出したのだ。




 エルンスト達に相談したところ、木で作れる道具だったのでオッケーがでた。もし何か聞かれたらエルンスト一家がこの村にくる前ーー旅の途中で知り合った行商人から教えてもらった『東洋の計算機』と説明することにして。




 そろばんでの計算方法を説明すると、みんな「なんて楽なんだ!」と感動していた。

 そろばんの枠組みと玉はエルンストとエメリヒが作ってくれて、玉を繋ぐ部分は糸で代用した。


 そろばんを使うようになって、私一人で書類が捌けるようになり、アンネリーエが農作業に戻った。そのおかげで遅れもなんとか取り戻せた。


 そして提出した書類の正確さに驚いた村長さんから「他の公的書類も見てほしい」と依頼があり、村の人達もうちに個々で依頼し手間賃を出すより、村長が私を雇い入れ一括管理してくれる方がいいと賛成。




 こうして私は『そろばん』持参で、役場で働くようになったのだが…。

 その『そろばん』が原因で、今困ったことになっているのだ。




「チッ、また来やがった」

 エメリヒの呟きに我に返る。見ると村長さんの自宅兼役場の前から真っ直ぐ伸びる道を、こちらに向かって馬が二頭。男性を乗せて近づいてくる。




「おーい!リナー!エメー!」




 手を振りながら大声で私達を呼んだのは、ブンゲルト領の領主、ブンゲルト子爵の嫡男、ラルフ・ブンゲルト。そしてその後ろに続くのは彼の護衛騎士だった。


 ラルフを見てエメリヒの機嫌があっという間に下がる。


 二頭の馬は私達の前でゆっくり止まると、ラルフと護衛騎士がひらりと降りる。

「ちょうどよかった。俺も昼食に混ぜてくれ」

 満面の笑みでそう言うラルフ。護衛の男性がやや大きめのバスケットを少し持ち上げ、昼食持参をアピールする。


 私が返事をするより先に、冷やりとするような笑顔で口を開いたエメリヒ。

「こんにちは、ラルフ様。今日はどうしたんですか?」


 そんなエメリヒには気付きもしないラルフ。

「ああ、『そろばん』の件で村長とエルンストに確認したいことがあってね」


「村長なら中にいますよ。お呼びしましょうか?父も家で農作業してますから、そちらにどうぞ」

 ラルフとの昼食には一切触れずに答えたエメリヒ。さすがに苦笑いしつつも、ラルフは気分を害することなく答える。

「もちろん後で伺うよ。その前に一緒にいいかな」

 笑顔のままエメリヒとは反対側の、敷物がないのも構わずに、私の隣に座ったラルフ。


 一瞬、真顔に戻ったエメリヒだったが、私を押し退けラルフとの間に座りなおす。

 村の女性を魅了している満面の笑みを浮かべると「何をお取りしましょうか?ラルフ様」とバスケットの中身を見せた。

「ありがとう!じゃあそのチーズが入ったハムサンドを!」

 全く動じないラルフ。笑顔が怖いエメリヒ。


 そう、怖い。この二人が一緒にいると怖いのだ。




 ーー困ったこととは、彼、ラルフ・ブンゲルトとエメリヒである。







 私が『そろばん』で計算するようになってから数字の誤りがなくなり、正確な書類を出すようになったシュネート村。ブンゲルト領の役人から理由を聞かれ、村長のマークが『そろばん』のことを言ってしまい、それが領主、ブンゲルト子爵の耳に入ってしまった。

 子爵は正確な計算ができる『そろばん』を、ブンゲルト領で導入したいと息子のラルフをシュネート村へよこしたのだ。




 雲の上の人だと思っていたご貴族様が、突然、田舎村に現れたらどうなるか。


 村長のマークは慌てふためき『そろばん』については私が一番知っていると丸投げ。

 私はエルンスト達と決めていた「旅の途中で知り合った行商人が持っていた、東洋の計算機」だと説明したが、ラルフから見て私が未成年に見えたのだろう。より正確に知りたいと親であるエルンストに会うため、うちに来てしまったのだ。


 追われているエルンスト一家にとって目立つのはご法度。

 止めることができなかった私のとんだ失態である。


 しかもラルフは私を未成年だと間違えた罪滅ぼしか、気遣ってよく話しかけてくるのだ。するとエメリヒがものすごく不機嫌になる。また私がしくじらないかと警戒して。







 そんな状況だから、ハラハラしながらラルフとエメリヒのやり取りを見ていた私。そこにラルフの護衛騎士から声がかかった。


「昼食中にお邪魔して申し訳ございません。どうぞこちらもお召し上がり下さい」

 そう言って渡されたバスケットを受け取ると、護衛騎士は役場裏の馬小屋に馬を引いていった。その後ろ姿に、正直「置いていかないで!」という心境である。




「ラルフ様はうちのサンドイッチがお好きですね」

 エメリヒはこれ見よがしにうちのサンドイッチを手に取るとパクリといく。


「だって君らの家のサンドイッチは格別だからね!う~ん、これこれ!」

 否定することなく、エメリヒから受け取ったチーズハムサンドをペロリと食べてしまったラルフ。


「うちのサンドイッチよりラルフ様のお家の料理人が作られた物の方が美味しいと思いますよ?」

 私は二人の空気を何とかしたくて、話に割って入る。


「もちろん、彼らが作る物も美味しいよ。けど君らの家のサンドイッチに使われてる白いソース、マヨネーズだっけ?これを一度知ってしまうとね」

 ソワソワするラルフに冷めた笑顔のエメリヒ。エメリヒは諦めてうちのバスケットを差し出した。勝手に取れと。ラルフは笑顔で頷き二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。


 ああ、現実逃避したい。




 実はサンドイッチも私の失態なのである。


 仕事が忙しく、昼時をかなり過ぎてから昼食をとっていた日だった。『そろばん』の件で訪れたラルフは私のサンドイッチを見て「美味しそうだね」とお世辞を言ったのだが、「ご貴族様のお口に合うものではないですよ」とかわすべきところ、つい気を使って「お一つどうぞ」と勧めてしまった。そして気に入ったラルフが自分の昼食を持って、昼時に来るようになってしまったのだ。


「はぁ…」

 ため息しか出ない。

 と言うか、躊躇なくうちのサンドイッチを食べるラルフを見ていると心配になるな。

 ラルフは本来毒味が必要な立場なはず。そんな無警戒で大丈夫なのだろうか?などと最初に勧めた私が言うべきことではないが、変な心配をしてしまう。


 ラルフを見ていたからか、クスリと笑われ

「ごめんごめん、これリナの分だった?うちのバスケットにリナの好きなもの詰めてきたから開けてみて」

 別に物欲しそうに見てたわけじゃないのに、エメリヒから睨まれた。

 ひぇっ!とんだとばっちりである。


 二人の間を何とかしようとしたのが間違いだった。おとなしくお昼を食べよう。


 ラルフが持ってきたバスケットを開けると、中には柔らかな白パンに、燻製肉の野菜巻きや魚の焼き物など、私が以前「美味しい」と言った料理が入っていた。


 そしてーー。




「わ…」




 思わず顔がニヤけてしまう。

 砂糖が高いこの世界では、なかなか食べられない甘味。オレンジのパウンドケーキが入っていた。


「村長とエルンスト達の分は別に持ってきたから、遠慮せずリナとエメが全部食べていいよ」

「え?!」

 ラルフの言葉に思わず声が弾んでしまう。ギロリとエメリヒに睨まれた。自業自得である。私は小さくなってお礼を伝えた。

「ありがとうございます。いただきます」


「どうぞ」

 ラルフがとても嬉しそうな笑顔を見せる。


 う…眩しい。

 エメリヒがいつも塩対応のせいか、優しい笑顔を向けられるとときめいてしまう。




 エルンスト一家に見慣れていると美男美女すぎて麻痺しがちになるが、ラルフもかなり整った顔立ちをしているのだ。




 ラルフは私より三つ年上の十九歳。濃茶色の少し癖のありそうな髪を前で六四分けし、スッと伸びた形のいい鼻と、黒目がちな濃茶色の瞳。穏やかで優しくて、気さくな性格がとても話しやすく、爽やかな雰囲気をした好青年だ。


 シュネート村の若い女の子達はよくエメリヒとラルフの話で盛り上がっている。既婚者の奥様達にはエルンストが人気なんだけどね。




 私が目の保養だなと思っていると、隣に座っていたエメリヒから突然ガッと、顎を鷲掴みされた。

「リナ、口元にたまご付いてるよ」

 そう言うと私の口元をペロリと舐める。

「なっ、なっ」

 突然の事に、驚き恥ずかしくて真っ赤になった私に

「見惚れてんじゃねーよ」

 ラルフに聞こえないよう囁くと、スッと離れ

「取れたよ」

 と満面の笑みのエメリヒ。笑っているのに、目が笑ってない。

「あり、がとう…」

 エメリヒに舐められた口元を押さえながらお礼を言ったが、一気に体温が下がった。

 怖い…。


「ははっ。君らはホントに仲が良いな〜…」

 私達のやり取りに、ラルフの顔も引きつっている。


 何事もなかったようにエメリヒが昼食を再開し、私もバスケットから白パンを取り出すと、手で半分に割れ目を入れ燻製肉の野菜巻きを挟む。


 パクリ。

 美味しい。はずなのに、味がしない。




 そんなやり取りをしていたら、馬を小屋に引いて行った護衛騎士が戻ってきた。それと同時に、村長のマークと妻のサーヤがお茶を持って家から出てきた。

 護衛騎士の彼が村長達に声をかけてくれたのだろう。


 彼らも交えての昼食となった。




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