第3話
ブンゲルト子爵が治めるブンゲルト領。
ブンゲルト領の中心都市メーネルの手前にある町、トロームに入った私達。エルンストが言うには、トロームはメーネルに向かう人々でけっこう賑わっている町らしい。
エルンストは町に入るとすぐ、地元民らしき人達から宿屋の場所を聞き、私達はすぐさまおすすめされた宿に泊まることにした。
なぜなら私のせいでブンゲルト領に入るのが日暮れ前になってしまったからだ。
普段、補整されていない道など歩くことがなかった私は、三人の歩く速さについていけなかった。そのせいで本来なら日の高いうちにブンゲルト領に入れたはずが、何度も休憩を入れてもらい、そのせいで日暮れ前になってしまったのだ。そして彼らはへとへとになっている私を気遣って、すぐに宿に入ってくれたのだ。
すすめられた宿屋は一階に食堂が併設された二階建ての施設だった。食堂には宿泊客以外に食事だけのお客さんもたくさんいた。
いい匂いがする。
思わずお腹がくぅと鳴って、私は慌てた。
エルンストとアンネリーエはふふっと笑って
「荷物を置いたらすぐに食事にしましょう」
と言った。エメリヒは残念なものでも見るかのような視線だったが。
宿の部屋はベッドが三つと小さなテーブルと椅子のセットが一つ。それだけの簡素なものだった。だが埃などはなく清潔そうだった。
彼らは背負っていた荷物を下ろすと、男性達は帯剣したまま、他は貴重品が入っているだろう小さめの布袋だけを携帯する。
私は自分の全財産である学生カバンを手離すのは不安で、下ろすことなく立っていた。
それを咎められることはなく、彼らに促され一階の食堂へとまた移動した。
食事はなかなか美味しかった。
エルンスト達が頼んでくれたのは、野菜とお肉がごろっと入ったクリームシチューとパンのセット。追加で鶏肉ときのこ類を塩とハーブで蒸し焼きにした肉料理。
ちょっと固めだったパンは、濃い目に味付けされたシチューに浸せば問題なく美味しく食べられた。
お肉はハーブのおかげで臭みも気ならず、ジューシーな仕上がりで、とても美味しかった。
私は疲れと空腹のせいで、無心で平らげてしまった。
私の知り合い探しは明日からとなり、その後、部屋に戻ると濡らした布で体を拭き、私達は早々にベッドに入った。
出入り口に一番近いベッドからエルンスト、エメリヒが順に使い、私はアンネリーエと二人で一つのベッドを使うこととなった。
実はここでひと悶着あったのだが。
私ははじめ床に座って寝るつもりだった。ここまでの道中、水や食料を分けてもらい、先払いだったここの宿代と先程の食事代も支払ってもらっていたからだ。
対価に日本のお金を出したが、当たり前だが使えず、「気にしなくていい」と財布をしまうように言われてしまった。彼らだってお金に余裕があるわけではないだろうに、本当に良い人すぎる。
でもお世話になりっぱなしは、やはり気になってしまい、四人部屋の空きがなく、三人部屋しか取れなかったと謝られた時、自分は床で大丈夫だと伝えたのだ。彼ら三人が使うべきだと思って。
だが、やはりと言うか…彼らは本当に優しい、善良な人達だった。
「女の子を床に寝かせられるわけがないだろ」
とエメリヒには冷ややかに言われた。しかもエルンストからは自分が床で休むつもりだったと言われ、こっちが慌てた。そしてアンネリーエから「女同士、一緒に寝ましょう?」と頭を撫でられ、頷くしかなかった。
彼らの優しさに泣きそうになってしまって。必死に堪えたけど。
その後、緊張で眠れないかと思ったが、怒涛の展開に疲れの方が勝り、私はすぐに深い眠りに落ちてしまった。
「よかった、よく眠ってる」
穏やかな寝息を立てる黒髪の少女を見て、安堵した顔を見せるアンネリーエ。
そっと起こさないようベッドから抜け出ると、エルンストが使っているベッドに腰掛ける。エルンストも起き上がり、アンネリーエに寄り添う。
「あの子、どうするの?」
隣のベッドからもそりと起き上がったエメリヒ。
「起きてたのか?」
苦笑いをするエルンスト。
「気になって」
不平そうなエメリヒを見て、クスクスと笑うアンネリーエ。
「それで…あの子、どう思う?」
黒髪の少女を起こさないよう、小さな声で尋ねたアンネリーエ。
エルンストは深いため息をつく。
「髪と目の色から、この国の人間ではないだろう」
この国…と言うより今日出会った少女は、エルンストが知っているどの国でも見たことがない。
肩にかかる癖のない黒い髪。長いまつ毛に覆われた黒い瞳。日に焼けていない白い肌。
百六十センチに満たない背と華奢な体。おそらく十一、二歳ぐらいだと思われるが、時々見せる大人びた表情は妖艶な雰囲気を醸している。
少女の容姿と同様に、彼女の持ち物も問題だった。
「それにあの子が持っているカバンは見たことがない仕様がたくさんあった。開閉口についている部品はかなり高い技術で作られている」
エルンストの意見に同意し、頷くアンネリーエ。
「あの子が着ていた服も同じよ。あそこまで均一に織られた布は王族への献上品並よ。それに足を隠すためにストールを巻いた時、布を留めるのに使ったピン…あんなしなりのあるピン、初めて見たわ」
「それを言うなら、あの子が持っていたお金もだよ。紙のお金なんて見たことないし、しかもあんな精密な絵を何枚も…!どうやったら同じ絵を正確に模写できるのか…」
エメリヒの疑問はもっともだった。この世界に流通しているのは硬貨のみで紙幣はない。もちろん複写機もない世界だ。そんな中で正確に同じ物を何枚も作るということは現時点では不可能である。
三人の間に沈黙が落ちる。
「ここまで高度な技術を持っている国…あの子は『ニホン』と言っていたが、聞いたことがない」
エルンストは黒髪の少女が話した内容を慎重に思い出していた。だがやはり思い当たる国がない。
「でも確かなのは裕福な家の子よね。もしかしたら高貴な身分の子かも…」
持ち物や服装、手入れの行き届いた肌や髪。長距離を歩きなれていない様子からも、普段は馬車などの移動手段を使っていたと想像できる。
アンネリーエとエルンストは苦い顔になる。
「それで攫われた可能性もあるな。素性を話さないのもそれが理由かもしれない」
エルンストの言葉にエメリヒが反応する。
「やっぱり名前思い出せないって嘘だったのか…」
エメリヒは何となく嫌な予感がして
「あの子どうするの?まさか一緒に連れて行かないよね。俺は反対だよ。あの子の容姿は目立ちすぎる」
やや強い口調で主張する。
エメリヒの意見は正論だが…アンネリーエは困った顔を見せた。
「でも…もしあの子の家族が見つからなかった場合、この町の人間に預けて大丈夫かしら」
アンネリーエはエメリヒの問いには答えず、不安気にエルンストを見上げた。
「大丈夫ではないだろうな。価値が分かる者が見れば、必ずあの子から情報を得ようとするだろう」
それだけあの黒髪の少女が持っている物全てに価値がある、エルンストはそう判断した。
その言葉に顔色を悪くするアンネリーエとエメリヒ。
それにーー。
誰も口にはしなかったが、珍しい容姿の人間は時に見世物としての需要があることを。
彼女はエルンストの袖を掴み
「エルンストお願いーー」
「分かっている」
最後まで言う間もなくエルンストは彼女の手を握り頷く。アンネリーエはホッとし、ようやく笑顔を見せた。反対にエメリヒは諦めた顔でため息。
「お人好しの母上が、ほっとけるはずなかったですね」
「エメリヒ」
エルンストの咎めるような声に肩をすくめるエメリヒ。
「ごめん、母さん、だったね」
エルンストは苦笑いし、憎まれ口をたたく息子に
「お前だって、助けた女の子が酷い目に遭うのは嫌だろう?」
「それは…!嫌ですけど…でも、目立つあの子が一緒だと俺達も危険になります」
お人好しはアンネリーエだけではないと父親に指摘され、エメリヒはあからさまに不満気な顔をする。が、両親が決めたことに強く反対しないのは、やはり黒髪の少女の行く末を案じる気持ちがあるからだった。
「寝ます」
そう言って話を終わらせると、エメリヒはベッドに潜ってしまった。
エルンストとアンネリーエは素直じゃない息子に優しい眼差しを向けた。
「あの子の安全が確保されるまで、一緒に連れて行こう」
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