第05話_看病されちゃいました。
熱で朦朧としていると、かちゃりと部屋のドアが開けられる音がした。
目だけを動かし、ドアの方に目を向けると、買い物袋を両手にした愛野がそろりそろりと部屋に入って来ているところだった。
俺が目を向けたのに気付いたのか、愛野は申し訳なさそうにしていた。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「いや、もともと寝ちゃいなかったから気にしないでくれ」
「それはそれで気になっちゃうな。もしかして頭痛がひどくて寝れないの?」
愛野の柔らかな手が額に乗せられる。
「かなり熱いね。冷却シートあるけど、貼っとく?」
「そう……だな。頼めるかな」
ガサガサと買い物袋をあさって、冷却シートを取り出した愛野は、慎重な手付きで冷却シートを貼り付けていた。
スッとした冷却シートの冷たさが身に染みる。
すると心なしか気分は楽になった。
「それには解熱効果はないらしいから、一応市販の風邪薬も買って来たよ。ただ身体に合わない薬とかあるかもしれないし、太椋くんがいつも使ってるのがなにか聞いとけばよかったね」
愛野は失敗してしまったかなと、少し不安そうにしていた。
「いつも母さんが適当に買ってきたの飲んでたし、これまで風邪薬が体質に合わなかったってこともなかったから多分大丈夫じゃないかな。愛野が買ってきてくれたの、なんかみたことあるし」
「それならよかったけど……水、持ってくるね。あ、でも食後にってあるし、なにか食べれそう?」
愛野が買ってきた物の中にバナナやヨーグルトなどを見つけ、それくらいなら食べれそうだと思い頷く。
「バナナくらいならなんとか食べれそうだ」
愛野はバナナを数本手渡すと、水を汲みにとたとたとキッチンに向かった。
俺は愛野が戻ってくるまでに、軽い頭痛に耐えながらもさもさとバナナを齧る。
今回の風邪はノドに痛みのあるタイプではなかったので、咀嚼したバナナを飲み込むのには苦労しなかった。
「はい、お薬とお水」
俺が食べ終わるのを見計らって、愛野は水がなみなみと注がれたマグと風邪薬を手渡してきた。
手のひらに乗せられた風邪薬の錠剤は問題なかったが、マグは関節の痛みからか、指先に力が入らずに受け取り損ねてしまった。
それは愛野が咄嗟に持ち直してくれて事なきを得た。
「ごめん、気が利かなかったかも。お水はボクが飲ませてあげるよ」
「悪いな、助かるよ」
俺は愛野に渡された錠剤を口に放り込む。
それに合わせるようにして、愛野に水を飲ませてもらった。
やたらと手間をとらせてしまって心苦しいものがあったが、今は感謝を優先した。
「ほら、横になって」
「心配性だな、愛野は」
「そうやって、ただの風邪だって油断してると危ないんだからね。それにその風邪って、雨に濡れてたのにボクに上着貸したのが原因みたいなものだしさ、気にもなるよ」
どうにも責任感を感じているらしい愛野の気持ちを軽くしてやれないかと、考えたが安易に思いつくようないい案はなかった。
「それじゃ、気にするなってのは難しいかもしれないな」
「もー、そんなこと考えなくていいから寝ちゃいなよ。そうやって余計なことばっかり考えてると、また熱があがっちゃうよ」
「……そうかもな」
愛野の剣幕に押され、俺は苦笑してしまう。
「愛野、ありがとな」
「どうしてもキツいようなら言ってね、ボクの元気わけてあげるからさ」
「そりゃ、助かるな」
そう言って俺は、愛野が以前俺にしたように頭を撫でた。
愛野はくしゃりとした泣き笑いのような表情をしていた。
その顔を目に焼き付けながらも、俺の意識は次第に薄れていった。
ぱちりと目を開く。
関節の痛みや身体の怠さは残るものの、頭の痛みはすっかり引いていた。
身体を起こそうとして、身体の上になにかが乗っかっているのに気付く。
見れば愛野が、突っ伏すようにして俺の胸元に頭を預けて眠り込んでいた。
愛野を起こすのも気が引けて、俺は枕に頭を預けたまま、ぼんやりと天井を見つめる。
熱を出していたからか、今回は夢の中で愛野と顔を合わせなかったなと、益体もないことを考える。
部屋は暗く、もう日は沈んでしまったらしい。
時計を確認すると、寮の門限である19時はとっくに過ぎ去っていた。
門限以降の寮への出入りは、原則禁止されているため、愛野はどうするつもりだろうか。
ここに頻繁に泊まりに来ている関係上、なぜか愛野の着替えは常備されていたりするから、なんとかならなくもないだろうが。
ヘッドボードからスマホを手に取り、履歴を確認すると、卯廻や
蘇明からは着信があったらしく、『後で秘蔵のエロ本持ってってやるぜ』とバカな留守電が残されていた。
今にも乗り込んで来そうな蘇明に対して、丁重にお断りのメッセージを即座に返す。
あいつらしいとは思うが、今の体調であいつのテンションに付き合うのは少しつらいものがあった。
卯廻からは『亞夢ちゃんが早退してまでアンタの看病に行ってくれたけど、不埒なことしちゃダメだぞ』などとアホとしかいいようのない内容だった。
代篠はというと『治ったと思っても1日は様子をみろよ』と端的に俺の体調を気遣ってくれていた。
他にもクラスメイトから何通かメッセージが届いていた。
にしても愛野、わざわざ早退して来てたのか。
ぼーっとしてて、愛野が来た時間にまで気が回ってなかったな。
俺が届いていたメッセージに返信をしていると、愛野が目を覚ました。
「起きたか、愛野」
「あ、ごめん。寝ちゃってたみたい」
「両手いっぱいに荷物抱えてここまで来たんだ。さすがに疲れてたんだろ。それより今日はどうするんだ。もう門限過ぎちまってるぞ」
「それなら心配ないよ」
そう言って愛野はポケットから臨時の入館証を取り出してみせた。
「
「どうやって入ってきたのかと思ってたが、そんなことしてたのか。両親には?」
「もちろん連絡済みだよ。『お大事に』だってさ。だから今日はここにお泊まりしても問題ないよ」
俺の心配は杞憂だったらしいと安堵する。
「それより太椋くん、熱は下がった?」
「頭痛の痛みは和らいだから下がったとは思うんだが、測ろうにも体温計ないんだよな」
「それはボクも考えてなかったかな。うーん、それなら……」
愛野は俺の額に長いこと貼られて役目を終えていた冷却シートを剥がし、前髪を掻き上げるようにして額に手を当てた。
それではよくわからなかったらしく、愛野は身を乗り出して額同士をくっつけて熱を測っていた。
「まだちょっと熱いんじゃないかな」
吐息のかかる程の距離の近さに、体温が上がってしまうんじゃないかと思えてしまう。
体感で熱を測り終えた愛野が身体を離す。
人肌が放つ熱が遠退き、少し物寂しさのようなものを感じた。
「シャワー浴びれそう?」
「あー、明日の朝浴びる。この感じなら朝には治ってそうだしな」
「着替えは? 汗かいたんじゃない」
「寝汗ひどいし、着替えるよ」
「それなら身体拭いたげよっか」
「いや、そこまで面倒かけられないし、自分でやるよ」
「こーゆーときは遠慮しなくていいの。ボクを頼ってよね」
「そこまでいうなら頼むが、イタズラするなよ」
「いくらボクでも病人相手に悪ふざけなんてしないよ」
心外だとばかりに愛野は眉を吊り上げ、口をへの字にしていた。
それもすぐになりを潜めさせ、腰を上げる。
この部屋を足しげく訪れ、勝手を知る愛野は、俺の着替えを手早く用意すると手渡してくる。
「ちょっと待ってて」
愛野はパタパタと部屋を出て、身体を拭くのに必要な蒸しタオルを電子レンジで温めたり、乾いたバスタオルを用意したりと忙しなく動いていた。
ひと通りの準備を済ませた愛野は、最初に温めたフェイスタオルを手渡してきた。
「これで顔拭いて、それが済んだら上着脱いじゃってね」
「あ、ああ」
愛野の指示に従って、顔を拭き上着を脱ぐ。
室温が低いのか、少し肌寒く感じる。
愛野が手にしていた蒸しタオルが首元や背中に触れ、汗を拭われていくとそれまであった不快感がかなり緩和された。
着替えに袖を通しながらお礼を伝える。
「助かったよ」
「どーいたしまして。ねぇ、太椋くん。お夕飯食べれそうかな。さっき風邪薬飲んでからもう6時間くらい経ってるし、そろそろなにか用意した方がいいと思うんだけど」
「朝から口にしたのは、バナナ1本だけだしな。さすがに空腹だな。ノドも痛くないし、普通に食べれそうだ」
「それじゃ用意するけど、リゾットとかでいいかな」
「それで頼むよ」
「お任せあれ、すぐつくるから横になって待っててね」
気合いを入れるようにエプロンを着た愛野は、キッチンに立つ。
俺は食事が出来るまでベッドに横になって待った。
キッチンからは愛野の鼻歌が始終聞こえていた。
カラオケでも思ったが、愛野の歌は鼻歌であっても上手いとわかるものだった。
「お待ちどーさま。太椋くん、起きれる?」
「なんとかな」
「食べさせたげよっか」
「自分で食べれるよ」
「ここは甘えるところだと思うんだけどな〜」
愛野は前振りはしましたよと、期待を込めるようにチラチラとわざとらしい仕草を見せた。
看病してもらっている手前、スルーするのも忍びなく、俺は仕方なしに愛野のじゃれ合いに付き合うことにした。
「……わかったよ。食べさせてくれないか」
「ふふ、もー、太椋くんは甘えんぼさんだなぁ」
俺がテーブルに着くのを待ってから、愛野は出来立てで湯気が立つリゾットをスプーンで掬い上げ、ふーふーと冷ます。
おそらく愛野が食欲減退している俺を気遣ってか、食欲増進のために入れたらしいにんにくがほのかに香る。
それが呼水となったのか、俺の胃は忘れていた食欲を思い出したように食事を求めていた。
「はい、あーん」
いつものじゃれ合いの一環だと思って、気恥ずかしさを押し隠し、愛野の差し出したスプーンに口を付ける。
トマトのさっぱりとした酸味とツナのタンパクな旨みは重過ぎず。
玉ねぎの甘みが後味を軽くしていて、弱った俺の胃には優しく感じた。
それでいてほんのりと香るにんにくは主張し過ぎないように、次のひとくちを俺に求めさせた。
「どーかな?」
「美味いよ」
「それならよかった」
ほっとした様子で愛野は胸を撫で下ろし、次のひと匙、またひと匙とゆっくりと時間をかけて俺に食べさせた。
問題なく完食した俺を見届けて、風邪薬を渡した愛野は、あまり時間をかけないようにと鍋に残っていたらしいリゾットをパクパクと短時間で平らげていた。
その間に俺は歯を磨き終え、寝る準備に入った。
洗面所を出ると鼻歌を歌いながら愛野が食器を洗っていた。
その音をBGMにしながら布団に潜り込む。
薬が効いてきたのか眠気が強くなる。
「愛野、悪いけど先に寝させてもらうな」
その声が耳に届いたらしい愛野は、洗い物を切り上げて、布巾で手を拭きながらひょこりと部屋に顔を見せた。
「ボクのことは気にしなくていいから、ゆっくり休んでね」
「愛野、今日は助かったよ。ありがとう。それと……おやすみ」
「うん、おやすみ。太椋くん」
眠る前に伝えたいことは伝えたことで、心残りもなくなり、布団に潜り込むとすんなりと眠りに就くことが出来た。
寝苦しさを感じ、目を覚ます。
部屋はまだ暗く、朝には程遠いようだった。
着替えた服も寝汗でぐっしょりとしていた。
頭痛もぶり返し、また熱が上がって来たらしい。
喉の渇きを覚え、俺は関節の痛む身体に鞭打ち、のたのたと冷蔵庫へと足を運んだ。
冷蔵庫には愛野が買って来てくれたらしいスポーツドリンクなどがあり、遠慮なくいただくことにした。
充分に渇きは満たされたことで、熱でぼんやりとする頭をどうにかしたいと俺は冷たい水で顔を洗っていた。
少しすっきりはしたが、頭痛が軽くなるようなことはなかった。
濡れた顔をタオルで覆って、熱い息を吐く。
ズキズキとした頭の痛みはどうにもならなそうだと諦め、俺は足元に気を付けながらベッドに戻る。
ベッドに乗り上げた際に、ぎしりと音が鳴る。
深夜遅くで静か過ぎる室内に、その音は嫌に大きく聞こえた。
だからだろうか、床の布団で眠っていたらしい愛野が身じろぎした。
「ん……太椋くん?」
「悪い、起こしちゃったか」
「別に気にしなくていいよ。それより平気?」
頭痛は酷くなっていたが、無駄に心配させないように愛野には誤魔化して伝えることにした。
「ああ、もうよくなったよ。朝には全快してそうだ」
「……」
愛野は俺の返答を無言で受け取っていたが、どこか息を呑ませるような雰囲気を放っていた。
「太椋くん、ウソはダメだよ。ボク、感覚的にだけどわかるんだ。相手の体調が悪いかどうかって」
怒っていると、その声音が明確に告げていた。
「心配させたくないって、ことなんだろうけど。体調に関しては別だからね。体調が悪いのなら誤魔化しちゃダメ。我慢なんてもってのほかだよ」
体調の誤魔化しに関して愛野は、やたらと神経質なようで、俺の選択は最悪なものだと突き付けられた。
以前から愛野と病院とがイメージとして強く結び付いていることもあって、これに対して俺は余計なお世話とは言えなかった。
「ねぇ、太椋くん。つらいのならきちんと言って」
「……わかった。どうも熱がぶり返したみたいでな。愛野が来てくれたときよりも頭痛もひどいようだ」
「そっか、やっぱりそうだよね」
部屋が暗く、はっきりと表情がわかるわけじゃなかったが、愛野はなにやら悩ましげにしているようだった。
「太椋くん、これはボクが弱ってるところに付け込もうとしてるとかじゃないからね。本当はこういう流れでこんなことはしたくなかったんだけどな……」
そんな言い訳めいたことを言った愛野は、ベッドに乗り上げてくると、唐突に唇を重ねてきた。
突然のことに困惑する俺にお構いなく、愛野はキスを継続する。
するとなにかが吹き込まれるようにして、温かいものが愛野から流れ込み、身体がほてっていくのを感じた。
長いとも短いとも言えない時間を経て、愛野が唇を離す。
「今、ボクが元気でいられるのは、太椋くんのおかげなんだ。だから今日は、ボクの元気をわけてあげるね」
そう言った愛野は、再び俺と唇を重ねた。
ズキズキとしていた頭の痛みが、次第に薄れていく。
それと同時に希薄だった眠気も呼び起こされていた。
朦朧とする意識の中で最後に聞いた愛野の言葉は、どこか遠く、すべてを聞き取ることは出来なかった。
「だからこれは恩返しだと思ってもらえると、助かるかな。でも、夢だと思って忘れてくれてもいいよ」
夢とも現実ともつかない記憶の断片。
それは大切なもののようだったが、目を覚ますころにはすっかり希薄になってしまっていた。
翌朝、昨日の頭痛は幻だったかのように頭はスッキリとしていた。
凝り固まった身体を伸ばし、ベッドから身を起こす。
床の布団に目を向けると、愛野は猫のように丸くなり、くうくうと眠り込んでいた。
「あれは夢……だったんだよな」
思わず漏れ出た俺の声は、誰にも聞かれることなく、すっと空気に溶けるようにして消えてしまった。
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