第06話_水差し撮影人

 擬似デートをした際に、愛野が学校を『展望台』と表現していたのを思い出し、放課後にふらりと屋上を訪れた。

 あのときは結局、学校に来ることは叶わなかったが、愛野はなにを見せたかったんだろうな。


 屋上には昼食時に来るくらいで、周囲の景色なんて気にしたこともなかった俺は、フェンス沿いをゆっくりと歩き、眼下に広がる青座嶺の街並みを瞳に映していった。

 普段の生活で見慣れたはずの場所が、一変して非日常感を感じさせる眺望として映った。

 あくまでも俺の主観であって、的外れかもしれないが、愛野はこれを展望台と評したのかもしれない。


 日没が迫り、ポツポツと街灯が灯っていく様子を立ち止まって眺めていると、パシャリと背後でシャッター音がした。

 振り返ると高価そうなカメラを手にした女生徒が立っていた。


「お邪魔したようですね」


 見慣れない顔にクラスメイトではないのはわかったが、学年すらわからず、どう応じるのが正解なのか咄嗟には対応が浮かばなかった。


「私は1-3の鳩浦はとうら春留はるるです、太椋くん」


 俺の反応を察したらしい鳩浦さんは、わざわざ自己紹介してくれたようだった。

 同学年でも別クラスとなると、俺にはわかりようもなかった。

 ただかなり整った顔立ちをしているので、蘇明辺りなら彼女のことを把握しているかもしれない。


「そろそろここも施錠されてしまいますので、お早めに引き上げることをお勧めしますよ」

「そうだったのか。ご忠告ありがとう、鳩浦さん」

「いえ、お気になさらずに。私も何度か閉じ込められかけたことがあるので、他の方にもそれをお伝えしているだけですから」


 淡々とした口調に、表情の変化の乏しい鳩浦さんは、大きな瞳をした垂れがちな目に、困り眉が柔和な印象を与えていたが、どうにもつかみどころがなかった。


「よい機会に恵まれましたので、ひとつ太椋くんにお伝えしたいことがあるのですが」

「俺に?」


 俺に用件があるとして、鳩浦さんとは面識はなかったはず。

 首を捻っていると彼女は思いもしないことを抑揚もなく告げて来た。


「私は貴方のことが好きです」

「それは……」


 愛野の仲介で何度か告白を受けたことはあったが、今回はなんの前触れもなかったこともあって困惑が強かった。

 なにより平静過ぎる鳩浦さんからは、恋慕の感情のようなものは微塵も感じられなかった。


「異性として好ましいと思っているということです」

「とてもそうは思えないが、冗談で言ってるわけじゃないんだよな?」

「ええ、至って至極真面目ですよ。私は」


 恥じらいも躊躇いも一切ない告白に、俺はどう返答すべきなのかまるで考えが及ばなかった。


「ですが、交際を申し込んでいるわけではありませんので安心してください」

「えーっと、それじゃあ。なんの目的であんなことを」

「単に胸の内に燻っている感情を吐露したに過ぎません。私の自己実現の一環ですね」


 なんだろうな、無表情で淡々と告げられる内容に理解が追いつかない。

 そもそもひととしての在り方が根本的に俺と違っているために、相互理解も困難を極めそうだった。


「私は横恋慕してまで、恋愛を成就させようとは思いませんので」

「横恋慕?」

「太椋くんには愛野さんがいらっしゃいますからね。そこに割り込むような、野暮なことはしませんよ」

「いや、なにか勘違いしているんじゃないか」


 鳩浦さんの中では、どうやら俺と愛野は付き合っていることになっているらしい。


「愛野さんは学校を早退してまで太椋くんの看病されていたそうですし、休日にはおふたりでよく買い物デートを楽しんでいるともお聞きしました。勘違いの余地もなにもないと思うのですが」


 はたから見たら、そう見られても仕方がない立ち回りかもしれないが、あくまでも俺と愛野の関係は友人だと自認している。

 それをどう伝えればいいのだろうか?

 鳩浦さんの告白を受けるわけでもないので、別に誤解を解く必要もないのかもしれないが……。

 そんなことを考え込んでいると完全下校時刻を知らせる鐘が鳴った。


「下校時刻ですね、それでは私はこれで失礼させてもらいますね。太椋くんもお早めに」

「……」


 一方的に言いたいことを言うだけ言った鳩浦さんは、何事もなかったかのように、俺をひとり残してスタスタと屋上を去って行った。


 翌日、登校すると愛野が落ち着きない様子で詰めかけて来た。


「太椋くん、春留ちゃんのことふったんだってね」


 事実とは異なる内容に、昨日の今日でどこでそんな話を聞いたのかと問いただしたくなった。


「いや、ふったとかふってないとか、それ以前の話だったと思うぞ」

「えっと、どゆこと?」


 なにを言ってるのとでも言いたげな愛野は、きょとんとしていた。


「それはそうと愛野は鳩浦さんとは知り合いなのか?」

「うん、何度かモデルお願いされたりしてるしね」


 そういえば昨日もカメラを持っていたなと思い至る。


「それよりもさ、太椋くんに聞きたいんだけど……ボクがいるから付き合えないってどーゆーことなのかな?」


 愛野は恥ずかしげに頬を染め、なぜかそんなことを言ってきた。

 事実がどこをどう寄り道したらそんな内容に早変わりするのだろうかと、頭を抱えたくなった。


「誰から聞いたんだ、そんなこと」

「春留ちゃんからだよ。昨日の夜に『太椋くんに振られてしまいました』ってメッセージ来て、その流れで聞かされたんだけど」


 本人から直接歪曲したことを聞かされているとは思わなかった。

 しかし、なんの目的でそんなことをしたのかは見当もつかない。

 昨日の告白は、告白というより独白で、完全に自己完結しているようなものだったしな。


「すみません、少し逸り過ぎてしまったようです」


 あわあわとしている愛野の背後から当人が姿を現す。


「鳩浦さん」

「春留ちゃん」

「あまりにも焦ったいので、愛野さんを焚き付けようと思ったのですが、少々方向性を間違えてしまったようです」

「えっ、どゆこと!」


 愛野は鳩浦さんの発言に翻弄され、困惑しきりだった。


「それって、春留ちゃんはウソの告白したってことなの?」

「いえ、太椋くんに好意があったのは事実です」

「それならなんで」

「強いて言うなら愛野さんのことも好きだから、ですかね。私は私が好ましいと思っているおふたりが仲睦まじくされている様を遠くから鑑賞したいのです」

「えっと、それはどうすればいいんだろ。ねぇ、太椋くん」


 もう対処しきれないと判断したらしい愛野は俺に話を振って来た。


「俺に聞かれてもな」


 今回ばかりはどうにも対処しようがないと、答えに窮して後ろ頭を掻く。


「簡単なことですよ」


 そう言って鳩浦さんは、ずいっと身を取り出して来た。


「おふたりの写真を撮らせて欲しいんです」

「そんなことでいいの?」

「はい、もともとそれをお願いするつもりでここへ来たので」

「それで春留ちゃんが満足するのならお手伝いするのもいいと思うんだけど、太椋くんはどお?」


 愛野の瞳は楽しそうだからやりたいと暗に訴えかけていた。


「わかった、付き合うよ」

「言質が取れましたね、愛野さん」


 やってやりましたよ、とばかりに愛野にお伺いを立てる鳩浦さんは、表情こそ変わらなかったが、どこか楽しげだった。


 昼休みになり、珍しく愛野と屋上で昼食を摂っていた。

 今日の昼食は愛野が用意したもので、ハムきゅうりサンドの他にツナマヨサンドやたまごサンドなどが、弁当箱に納まっていた。


「太椋くんはどれが食べたい?」

「じゃあ、たまごを貰おうかな」

「はい、あーん」


 愛野が俺の看病をして以降、じゃれ合いのハードルが下がったのか、こうして食べさせる行為がナチュラルに混ざるようになった。

 俺の中での難易度もかなり下がったらしく、抵抗感が薄れていた。

 差し出されたたまごサンドをぱくりと口にする。


「美味しい?」

「ああ、美味いよ」

「よかった。じゃあ、ボクはハムきゅうりがいいかな」


 愛野はわかってるよね、とばかりに上目遣いを寄越して来る。

 昼食を用意してもらったこともあり、そのお返しも兼ねて愛野の期待に応える。

 目を閉じて雛鳥のように口を開けて待つ愛野にハムきゅうりサンドを差し出す。

 それを愛野がぱくりと口にした瞬間、パシャリとシャッターが切られる音がした。


 その音に驚いたように愛野は目を見開き、次第に頬を染めていった。

 鳩浦さんはいつからここに居たのか、カメラを構えて俺たちのやり取りを写真に収めていた。


 ハムきゅうりサンドを頬張っていた愛野は、急いで飲み込もうとしてのどに詰まりそうになり、胸元をとんとんと叩いていた。

 俺はもう半ば諦めも入り、鳩浦さんのことは気にせず食事を続けることにした。


 今朝から鳩浦さんは神出鬼没に現れては、俺たちの写真を撮っていくのである。

 俺はいい加減に慣れて来たが、愛野の方はそうもいかないらしく、今も動揺がおさまらないようだった。


「春留ちゃん、もっとふつーに撮影しない?」

「私が撮りたいのはつくられた絵ではなく、思春期の若人からしか得られない青春のきらめきですので、こればかりは妥協出来ません」

「鳩浦さんも、その思春期の若人だろうに」

「私が求めているのは、ひとりでは生み出せない、恋い慕う方々の青い微熱なんです」


 俺には理解出来ないこだわりを語る鳩浦さんは、なんというかかなり変わったひとだった。


「それで満足いく写真は撮れたのか?」

「及第点ではあるのですが、今ひとつ物足りないものを感じますね」


 そう言った鳩浦さんは、じっと俺を見つめてきた。


「太椋くんは、愛野さんのことをどう思ってらっしゃいますか?」

「……質問の意味がわからないな」

「抱き締めたいとか、押し倒したいといったような、性的な欲求を掻き立てられるようなことはないのでしょうか。思春期の男性であるのなら、そういった衝動を内に秘めているものだと聞いていたものですから」


 鳩浦さんの率直な物言いに閉口してしまう。


「……ああ、わかりました。私は誰かの胸の奥底に眠る青くさい色が欲しかったのかもしれません。愛野さんはわかりやすいのですが、太椋くんはどうにも隠すのが上手いようです。ずっとそれが見たかったのかもしれません」


 自己分析を済ませたらしい鳩浦さんは、構えていたカメラを下ろした。


「撮影のご協力ありがとうございました。ようやく私の中に蟠っていたモノの正体を知ることが出来ました」


 鳩浦さんはぺこりと深く頭を下げると踵を返した。


「写真はあとで送りますね」


 それだけ言い残すと、なんの名残も残すことなく、鳩浦さんは屋上を後にしてしまった。


「なんだったんだろうね」

「さぁな」


 呆気に取られた俺たちは、どちらともなく顔を見合わせ、ふたりして首を傾げた。


「でも、納得してくれたみたい」

「だな」

「それよりさ、太椋くん」

「なんだ」

「さっきの春留ちゃんの質問、どう答えるつもりだったのか、ボク気になっちゃうな〜」


 愛野は俺の脇腹をつんつんと続きながらそんな事を言ってきた。


「どうもこうもないと思うが」

「えー、つまんない。もっとこう、なんかないの」


 愛野は俺の返答が不満らしく、大きな身振り手振りで大袈裟なジェスチャーを披露していた。


「それより早く食べないと昼休み終わっちまうぞ」

「それはそうなんだけどね」


 すっかり拗ねてしまった愛野は、もごもごとツナサンドを口にしながら頬を膨らませていた。


 愛野のスマホがメッセージを受信したらしい通知音が鳴る。

 食事に身の入らない愛野はスマホを取り出し、メッセージを確認していた。


 かと思うと、急に機嫌が治ったらしく、不貞腐れたような表情を消し、ニコニコとした笑顔に変わっていた。


「なにかいいことでもあったのか?」


 気まずいままなのもどうかと思い、愛野に質問を投げかける。

 すると愛野は、立てた人差し指を唇に押し当てた。


「ふふ、ひみつだよ」


 そう答えながら愛野はスマホを手早く操作すると、画面を見つめながらちいさく首肯していた。


 後日、放課後の屋上で顔を合わせた鳩浦さんから、プリントアウトされた写真の束が入った封筒を渡された。

 どうやら写真を渡すために、わざわざ俺を探していたらしい。


「太椋くんとは連絡先は交換してませんでしたので、データではなく現物になってしまいましたが、よろしいですか?」

「そういえばそうだよな。せっかくだし、連絡先交換して貰えるか」

「ええ、構いません」


 連絡先を交換すると、用件を済ませた鳩浦さんは一礼して去って行った。

 俺は手元の封筒を開け、鳩浦さんが撮影した写真に目を落とした。


 当然なのだが、写真の大半は俺と愛野のツーショットだった。

 はたから見た俺を客観的に見せられ、俺はなんとも言えない気分になった。


 写真に写る俺が愛野に対して向ける目は、どこか愛おしいものを見守ってるようだった。


 愛野も同じ写真を受け取ってるんだよな。

 愛野はこんな俺の姿を見て、どう思ったんだろうな。


 それが少しばかり気になった。

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