第2話 祈りの時間、逃げる余地

 朝の鐘の音で目が覚めた。

 腹の底に響く、重たい音だ。目覚ましにしては主張が強すぎる。


 教会の中は、朝の光で少しだけ印象が変わっていた。

 色の抜けたステンドグラスを通した光が、床に歪な模様を落としている。埃が舞い、その中をゆっくりと光が漂っていた。


「おはよう、クオン」


 あくび混じりの声が、すぐ横から聞こえる。


「……おはようございます」


 反射的に丁寧語が出た。

 相手が天使だと、敬語の扱いに困る。


「そんなにかしこまらなくていいよ。ここじゃ僕、ただの置物みたいなもんだし」


 セラは柱にもたれ、翼をぱたぱたと動かしていた。羽根が落ちる気配はない。


「置物が喋るな」


「喋れる置物は貴重だよ?」


 どう返すのが正解かわからず、久遠は黙った。


 やがて、教会の扉が開き、人の気配が流れ込んでくる。

 村人たちだ。老若男女、皆似たような服装で、似たような表情をしている。


 静かで、整っていて――どこか揃いすぎている。


「祈りの時間だ」


 昨日の司祭が前に立つ。

 低い声が教会に響き、村人たちは一斉に膝をついた。


 久遠も、周囲に倣って頭を下げる。


(拒否はしない。否定もしない)


 ただ、混ざるだけだ。


 祈りの言葉は、理解できない部分が多かった。

 だが、繰り返される単語だけは耳に残る。


 ――秩序。

 ――役割。

 ――正しき生。


「……重いね」


 祈りの最中、セラが小声で言った。


「天使が言うな」


「だからこそ言えるんだよ。ここ、真面目すぎる」


 祈りが終わり、村人たちは静かに立ち上がる。

 何人かが、ちらちらと久遠を見た。


 好奇心と、警戒。

 混ざり合った視線。


「君は、しばらくこの村に滞在する」


 司祭が言った。

 命令ではない。だが、提案とも言い難い。


「働けるなら、仕事も用意しよう。共同体の一員としてな」


「……考えます」


 即答は避けた。

 逃げ道を残すための、曖昧な返事。


 司祭は満足そうに頷いた。


「神は、迷える者にも道を示される」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ冷える。


(示される、か)


 示される道が、一本だけとは限らないはずだ。


 教会を出ると、朝の村は穏やかだった。

 石畳の道。木造の家々。井戸で水を汲む女たち。子どもの笑い声。


 一見すれば、平和そのものだ。


「悪くない村に見えるでしょ」


 セラが言う。


「見えるだけだな」


「うん。見えるだけ」


 天使はあっさり同意した。


「ここはね、“正しい人”には優しい。でも、正しくなろうとしない人には……ちょっと狭い」


「俺は、正しくなりたいわけじゃない」


「知ってる」


 セラは久遠を見て、肩をすくめた。


「君はね、“間違えたくない”人だ」


 図星だった。


「だから逃げる。だから考える。

 ――悪くない生き方だと思うよ」


「天使に言われても、信用しにくい」


「じゃあ、低級天使の個人的意見ってことで」


 軽い口調。

 だが、その視線は、村の奥を見ていた。


「いずれ、選ばされる」


「何を?」


「ここに属するか、出ていくか」


 久遠は、空を見上げた。

 雲ひとつない青空。逃げ場がないくらい、よく晴れている。


(……早めに考えた方がよさそうだ)


 この村は、長居する場所じゃない。


 その確信だけが、胸に残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る