第3話 祖母と姉




志道しどう、あなたね。私はまだ20代よ。しかも前半!それを“ばあちゃん”呼ばわりとか、喧嘩売っているわけ?」


 俺は脇腹を押さえながらうずくまった。普通に痛えぇぇ。


 ばかな、目の前の女性は間違いなくばあちゃんなのに、ばあちゃんがこんなに凶暴なはずはない。


「ばかな、ばあちゃんがこんなに凶暴なはずはない――」

「おい、声に出ているわよ。」


 あ、やべ。声に出ていた。


「普通にお姉ちゃんって呼んでよ。いつもそうしているでしょ。」


 そう言って、呆れた顔で促してくる。


 いかなる魔法を用いたのか。

 目の前の女性は、ばあちゃんのはずだが、見た目は確かに20代前半と言われても疑いようがない。


 ばあちゃんであり、姉ちゃんでもある――

 俺はひとまず、“ばねえちゃん(仮)”とよぶことにした。


「まあ、いいわ。とにかく志道しどう、あまり心配かけないでちょうだい。明日はだから、お祈りしたい気持ちは分かるけど――」


 ばねえちゃん(仮)にしては珍しく、後半は言いよどむような声で、よく聞こえなかった。


「それより、ばねえちゃん!鏡持っていない?」

「さらっと、とんでもない呼び方をしてくるわね、あなた――ほら、これ使いなさい。」


 そう言って、小さな手鏡を渡してくれた。

 ずいぶんとレトロなデザインだが、使えれば問題ない。


 俺は手鏡を受け取り、鏡面をのぞきこんだ。




 そこには――




「…………まじか。」


 俺は昔、ばあちゃんから大叔父おおおじさんの写真を見せてもらったことがある。

 その写真と、目の前の鏡に映る人物は全く同じ顔をしていた。

 ここまで来れば、さすがにある可能性が頭をよぎる。


「ばねえちゃん、今日って西暦何年?」

「はあ。もうここまで来ると何を聞かれても驚かないわよ。昭和51年だから――西暦でいうと1976年。ついでに8月7日よ」

「………………」


 どうやら、その可能性は現実のものとなりそうだ。


 ばねえちゃん(仮)は、人に対して無意味な嘘をつくような人じゃない。

 もし嘘をつくことがあれば、それは必要に迫られた、愛のある嘘だけだ。


 これまでの判断材料を踏まえ、そろそろ結論を出しても良いだろう。


 すなわち、俺は2025年の現代日本から、1976年という約50年前の日本にタイムリープしたのだ。




 そして――




 8月7日は、大叔父さんの、志道しどうさんの命日だった。つまり、俺は亡くなるはずだった、あるいは亡くなった志道さんの肉体に、魂なり記憶なりで入り込んだのだ。


 つまり、今の俺は広瀬ひろせ 志道しどうということになる。




 客観的に考えて、とんでもない事態だが、俺は不思議と落ち着いていた。

 それはたぶん、ばねえちゃん――いや、もう姉ちゃんと呼ぼう。

 こんな訳のわからない状況でも、姉ちゃんがそばに居てくれているからだ。


「教えてくれてありがとう。姉ちゃん。」

「――お姉ちゃんと呼んで欲しいけど、まあ、姉ちゃんでもいいわ。」


 少し不満そうにしつつも、姉ちゃんは言葉を続ける。


「それで?あなたの様子がおかしいことはよく分かったけど、何があったの?」

「それが姉ちゃん、実は――」


 そこで気がつく。


 俺は、事実をそのまま伝えて良いのだろうか?


 過去にタイムリープして、そして志道さんに乗り移った。


 俺は、ばあちゃん――姉ちゃんであれば、こんな荒唐無稽こうとうむけいな話であっても真剣に聞いてくれて、そして信じてくれるという自信がある。

 他の誰が信じなくても、姉ちゃんなら信じてくれるはずだ。




 でも――




 もし、万が一、信じてくれなかったら。


 その僅かな可能性がとても怖い。

 もし姉ちゃんが信じてくれなかったら、俺はこの世界に一人ぼっちだ。




 それに――




 俺が事実を告白することは、姉ちゃんに、かけがえのない自分の弟がこの世から消えたことを告げるに等しい。

 姉ちゃんは、表面上は気丈に振る舞うだろうが、内心は深く傷つくだろう。


 情けないことに、今の俺には、その決断をする勇気が持てずにいた。

 だから、姉ちゃんには悪いと思いつつ、今はこう返事をしておく。


「――実は、俺、記憶喪失になったみたいなんだ。」






 その後、さすがに驚いた姉ちゃんと一緒に、自宅へ帰ることにした。


 景色を見たら何か思い出すかもしれない、という姉ちゃんの提案で、最寄りの駅まで徒歩で向かった。

 ひたすら海沿いの道を歩くが、もちろん何も思い出さない。

 だが、ビルやマンションのような高い建物はなく、ほとんどが素朴な木造建築だった。やはり過去に来たのだ。


 最寄り駅は、俺もよく知っている路線の駅だった。

 そうか、ここは神奈川県の横須賀よこすかだったのか。さすがに俺でも横須賀は知っている。

 よく考えると、ばあちゃんは昔、横須賀に住んでいたと言っていた気がする。


 そのまま駅から電車に乗る。

 ここで少し気になることが出てきた


「――姉ちゃん。なんというか、横須賀ってこんな街だっけ?」

「へー、ここが横須賀なのは分かるわけね。まあ、看板とかに書いてあるものね。それで、どうかしたの?」

「いや、なんかその、やたら“海軍”とか“兵隊”とか“軍用品”とか、そんな感じの看板やポスターが多いけど……」


 横須賀には前に一度来たことあるが、こんな感じではなかった。

 まあ、確かに基地がある街として有名ではあるけど。50年前だからかな?


「そう?横須賀はもう100くらいからこんな感じよ。」

「ふーん。」


 そう教えてくれた。




 姉ちゃんに連れられてやってきた家は、木造アパート2階の角部屋だった。

 なんというか、古き良きおもむきを感じる、あるいはびの分かる風流な家というか――




 ――まあ、ぶっちゃけボロかった。


 と言っても、姉ちゃんが両親を亡くして、弟と2人きりで苦しい生活をしていたのは知っていたので、想像の範囲内ではあった。


「おじゃましまーす!」

「あなたの家だけど――はあ、それも忘れちゃったのね。」


 姉ちゃんが今日何度目かわからないため息をつく。


 本当にすみません……。



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