第8話 校外学習(後編)

 森の散歩コースへと戻る。

 獣道ができており、それをたどれば簡単に帰れるようになっているこの道では、いくら方向音痴の月城さんと言えど迷うとは思えない。


 つまり、これは何かのきっかけで道に迷ったというより、姿を消したんだ。

 こんな簡単なことに気づけなかったのか、俺は。

 月城さんが少し落ち込んでいる様子なのには気づいていたのに。それなのにくだらない言い訳を並べていた。

 頭が真っ白になっていた。そんな中で焦り、慌てながら、道なき道をかき分けて進んでいく。

 途中、低い位置に生えた枝で足を擦りむいたが、そんなことには一切気づかないまま、彼女を探そうと必死になった。


 ――居た。

 森の奥の奥。川へと行く方向とはほぼ逆。背の高い大木の木陰で、ボーっと立っている。

 いや、そういうわけじゃない。何か、いろいろなことを考えているんだろう。

 周囲は静かで、そよ風の音すらよく聞こえるほど。――彼女はずっと、ここに居たのか。


「最近、君はずっとそんな感じだ」


 思わず、そんな言葉が最初に俺の口から飛び出した。驚いたのか、パッと振り返る。月城さんの目の周りは少しだけ赤くなっていた。


「……見つかっちゃった」


 そんな風に言う彼女の声には、いつもの元気がない。


「ああ、見つけられてよかった。でも、遅くなってごめん」


 月城さんはゆるゆると首を横に振る。ラベンダーのふんわりとした匂いが漂ってくる。


「何か嫌だったこと、あった? 川が苦手、とか?」

「大外れ」


 困ったような表情で笑う。月城さんは、今日だけでいろんな初めて見せる表情を俺に向けてくれている。

 でも、本当の笑顔は、そのどこにもないような気がした。

 やがてポツポツと月城さんは語り始めた。


「……美香ちゃんと、その、仲良さそうで」

「戸塚さん? ……ああ、そうだな。話してて楽だなぁ、とは思う」

「なんだかそれが、すごく特別な時間のように見えて、さ……鷹野くんも言ってたの。橘くんがあんな風に活き活きしてるの、珍しいって」

「え、そんなこと言ったの? あいつが? そんなに?」


 どういうことなんだろう? 彼女の言おうとしていることの意図が分からない。そんな中で、月城さんは気持ちを吐き出せば吐き出すほど、どんどん俯いていく。

 ダメだ、ダメだろ、そんなの。


「今日の班での自由時間、2人を見てて鷹野くんが言ってた、友達に新しい友達ができたのがうれしいって、本当にその通りだと思う」

「うん」


 それは、俺もそう思う。


「でも、私はそれが全然素直に喜べなくて。なんでか分かんなくて、モヤモヤしてて、そんな自分が嫌で……私、きっと今邪魔だな。美香ちゃんと橘くんの特別な時間に水を差しちゃうと思って」

「違う」


 はっきりとそう伝えた。月城さんの言葉を遮ってしまったけど、どうしても伝えたかった。


「俺は、戸塚さんと一緒の時間を特別な時間だなんて思ってない。どんな人と過ごす時間だって、等しく大事な時間だろ」

「うん、それは、そうなんだけど……」

「なんだったら、俺は今日の校外学習、あんまり楽しんでないよ」

「え? どうして?」


 再び、月城さんと目が合う。顔には出ていないが、瞳が心配そうに潤んだ。

 俺はそんな彼女を安心させたくて、真っすぐに見つめて言う。


「月城さんが笑顔じゃないから」

「……わ、私、いっつもこんな感じ、だよ?」

「それでも、俺には分かるよ。君が心から笑えてないことが、今日の1番の問題だ」


 思わずもう2,3歩体が前に出る。月城さんとの距離が近くなりすぎていることに気づいて、慌てて距離を取った。


「あ、ごめん。びっくりさせたかも」

「ううん、いいの。……ありがとう」


 そう言って笑顔になった月城さんは、ようやく嬉しそうに見えた。


「私、ダメだ。橘くんのことになると、なんだかいつもの私じゃないみたい」

「それは俺もそうかも」

「へ?」


 丸い瞳をさらに丸くして、月城さんが驚く。


「俺、どうも月城さんのことになると、必死になっちゃうみたいでさ」


 今になって、滅茶苦茶痛くなってきた足を見てみると、ズボン越しにも血がにじんでいるのがなんとなく分かった。

 まずい。悟られないように笑顔を作る。月城さんはもしかすると、これを知ったら責任を感じてしまうかもしれない。


「……ねぇ、足のとこ。見せて?」


 そう思った時に、月城さんはすぐ違和感に気づいた。俺はもう少し粘ってみる。


「いや、大丈夫大丈夫」

「大丈夫かどうかは、私が見てから決める。見せて?」


 ここまで強引な月城さんは初めて見た。案外、頑固なところもあるのかもしれない。

 真剣な眼差しで、月城さんがズボンをめくる。

 足は枝で少し擦りむいてしまっているが、いかんせん傷が大きめで出血していた。


「……座れそう? 一応消毒しとこ?」

「あ、あぁ」


 肩にかけていたミニバッグから、月城さんは消毒液を取り出した。大き目のばんそうこうも出てくる。念のためで用意していたのか、すごいな。


「じっとしててね」

「いだだだっ!」

「がまんして」

「いや、結構容赦ないな……いぃっ!」

 

 少し……いや、かなり染みたが、おかげで痛みも楽になったような気がする。


「ふぅ……ありがとう。いやぁ、用意がいいな」

「川遊びとかも聞いてたから、あった方がいいかなって思って」

「そっか。月城さんは優しいな」

「……それを言うなら、橘くんこそ」


 穏やかな表情で言う彼女に、俺は頷くことができなかった。


「俺はただ、何もないから」

「……え?」


 考えてみれば、こんな話を誰かにできたのは初めてかもしれないな。俺は、月城さんから目を逸らして語り始める。


「月城さんみたいに、何が好きって言えるものもないし、趣味とかもほとんどない。俺らしいといえるものというか、そういうのって何にもなくって」


 ちらりと見た月城さんの目は、怖いくらい真っすぐに俺を見つめていた。


「……俺は、空っぽなんだよ」

「そんなことない!」

 

 俺の言葉を遮るように、月城さんが立ち上がる。月城さん、声を張り上げることもあるんだな。


「……そんなこと、ないよ。……私、橘くんのおかげで……今、すっごく楽しいもん」


 だんだんと尻すぼみに声が小さくなっていく月城さんに、また気を遣わせてしまったな、と反省。俺がしっかりしなくちゃ。

 

「……そっか。ありがとう」


 痛みも大分楽になった。十分に体も動かせる。言いながら俺も立ち上がり、笑顔を見せた。


「行こう。皆心配したんだぞ?」

「うん、ごめんなさい」


 そう言って微笑む彼女の顔には、もう悩んでいる様子はなかった。




 無事に合流してから、月城さんはすぐに皆に謝罪した。

 2人から理由を問われたときには、俺が「探検したくなったらしい」なんてフォローを入れておいた。

 「心配かけてごめんなさい」と月城さんが謝ると「次からは絶対単独行動禁止」って、戸塚さんにきつく叱られていた。

 少し予定からは遅れたが、俺たちはようやくカレー作りを始めることができたのである。


「待った。はんごうの時は、一度水を入れてしばらく置いといてからの方がいいよ。そうするとお米に芯が残りにくくなるからね」

「へぇ、戸塚さん詳しいな」

「ま、キャンプはちょっとね」 


 俺と戸塚さんがお米を炊こうとしている間、遠くで光一と月城さんが話している。


「はは、本当に響は、2年生に上がってから楽しそうにしてる時が増えたなぁ」

「うん、美香ちゃんと話してるときは特にね」

「んー、でも、叶奏ちゃんと話してるときも笑ってること多いよな~」

「へ? そうなの?」

「え、気づいてなかった? というか俺、班分けの日に言わなかったっけ?」

「……言ってない、と思う」

「うわマジか! 言ったつもりだったなぁ~」


 光一は月城さんとなにを話してるんだ? というか、お前はこっちを手伝えよ。火起こし大変なんだから。

 

「おい、光一! こっち来い! 火を強くするの手伝えよ!」

「ほ~い!」

「私もやる」


 みんなで協力して何かをするっていうのは、たいへんなことでも楽しかった。

 結局、カレーを食べるのはほかのチームに比べて1時間ほど遅れてしまったが、それでも俺は、この4人でチームを組めてよかったなと本気で思う。


「ごめんね、私が遅らせちゃったみたいで」

「いいや、大丈夫だよ。俺、晩御飯は19時くらいだし」


 温かい空気の中、そんな風に話をした。

 この時、小さく月城さんの口角が上がっているのに、俺だけが気づいていたと思う。

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