第2話 通学電車

 始業式が終わった翌日。

 今日は午前中に教科書が配られ、早速授業が始まるらしい。

 一応、担任の教科になるらしいので、俺のクラスは生物になるのか。

 起きて軽く身支度を済ませて、テーブルを見る。

 仕事に行く前の母さんがおにぎりをラップしてくれていた。これは有難い。

 良い塩加減の朝食を食べて後片付けをすれば、ちょうどいい時間。少し遅れても余裕で始業に間に合う時間に登校可能だ。

 清々しい気持ちで電車に乗る。4号車の3番ドア。1年間通っていた俺は、この位置が楽に改札に行ける場所だと知っていた。

 電車に乗って、まず視界に入る。

 綺麗な姿勢で角の席に座っている、月城さんのことが。

 月城さんは俺に気づいていないだろう。音楽を聴きながら、文庫本を読んでいる。まさしく文学少女、といった感じだ。

 そういえば、昨日一緒に帰ったけど、俺は月城さんが好きなもののこと、結局なんにも知らないな。

 ――もっと知りたいな、と思った。


「おはよう、月城さん」


 だから、声をかけた。不意にかけられた声に眉を一瞬動かす。俺の方を見上げると、パッと表情が明るくなった。


「あ、おはよう、橘くん。そっか、最寄りがさっきの駅だっけ?」

「うん、そう。声かけるか迷った」

「……それで、声かけてくれたんだ。嬉しい」


 月城さんはふぅと息をついて安心したように、両耳につけていたイヤホンを外してケースに入れようとする。


「なに聞いてたの?」

「WORLD ENDっていうバンドの曲なんだけど、知ってる?」

「……いや、まったく知らない。光一なら知ってるかな?」

「うーん、どうだろう? 鷹野くん、インディーズ聞くのかな?」


 意外とバンドの曲とか聞くんだ。しかもインディーズってことは、結構広く聞いてるよな?


「バンド好きなの?」

「うん。私、軽音部だから」


 もっと意外な新事実だ。


「意外って思った?」


 俺の心を見透かしているかのように、口角が上がる。

 それを見て、少しドキリとした。


「……うん、まぁ。でも待って、なんの楽器やってるか当てたいな」

「ふふ、なんでしょう?」

「……ベース?」

「当たり」

「よし」


 なんでか分からないけどガッツポーズしてしまった。そんな俺の仕草を見て、月城さんはコロコロと笑う。

 ……本当に、優しい人だな。


「似合わない?」

「え?」

「私がベースしてるの」


 月城さんがそんな風に聞いてくるなんて思っていなくて、俺は少し考えた。


「……今、頭の中で、月城さんがベース弾いてるの想像してみようとしたけど……できないな、俺には」

「ふふ、本当? 5月にライブあるよ」

「え、そうなの?」

「うん。新歓ライブ。新入生呼ぶためのやつ。2,3年も見ていいから、よかったら」

「マジで? 行こうかな」

「うん。私も、橘くんが来るなら頑張らないとな」

「俺が来る来ない関係なく、月城さんは多分頑張るでしょ」

「ふふ、そうかも」


 にへらと笑った彼女に、俺もなんだか安心した。

 そんな風に電車に乗っていたら、あっという間に学校の駅に着いていた。体感、いつもの半分くらいの時間だった。

 月城さんは教室に入るとまた真顔になって、皆に「おはよう」と返している。

 俺も俺で、光一や他の男子たちと話したりしてその日は終わった。

 狩谷先生もあの感じなので、「初日から授業は俺も面倒くさいから」と、自分の授業中のルールなんかを話すだけ話して終わった。

 放課後になり、皆が教科書で重くなるカバンを持って帰ろうとする中で、光一に声をかけられる。


「ひーびっきちゃん!」

「なんだよ、気持ち悪いな」

「いやぁ、今日はどうかなーって。帰りに寄り道したりしない? モックとかどう?」

「あー、どうするかな」


 昨日は断っちゃったし、モックならコーヒー1杯でも大丈夫だからな。


「……じゃあ行くか」

「よっしゃー! 今日は最高だな! カバン軽けりゃ心も軽し! つってなぁ〜」

「え、お前教科書は?」

「ふっ……初歩的な推理で分かるはずだぜ? 橘くん」


 光一の机を見てみると、そこには大量の教科書や資料集がはみ出ている。


「置き勉は感心しないな」

「いやー! 固いこと言うなって! ちょっとずつ持ち帰るからよ!」


 光一はそう言いながらスキップ気味にモックへと向かい始める。きっとこいつ、ずっと置き勉し続けるんだろうな。


「えー、鷹野くん達もモック? あたしらも入れて〜」


 輝山さんが人懐っこい笑顔でそう言う。可愛い女の子からの誘いを光一が断るわけがない。


「いいぜ! 響もいいよな?」

「ああ、もちろん」

「やった〜♪ 叶奏も一緒だよ〜」

「え?」


 輝山さんの背中に、クールな表情の月城さんがいた。この2人、元同じクラスってだけじゃなくて、かなり仲良いんだな。


「よかったね叶奏♪」

「……うん」


 変わらない表情で頷く彼女の顔が、少し緩んだ気がした。




 結局、モックで俺と光一は他愛のない会話で盛り上がるだけだった。


「だから、俺はその時にコーチにさぁ……」

「はは、なんだそれ」


 その話を聞きながら、時には「置き勉がデフォでしょ」と乗ってくる器用な輝山さん。

 そんな輝山さんと色々話している月城さん。

 月城さんは、俺と同じSサイズのコーヒーを片手に、ルーズリーフを広げて何かを書いている。


「月城ちゃん、何書いてんの?」


 と、光一が聞いた時には、パッと隠して「秘密」と真っ直ぐな目で言い放つ。


「お、秘密かぁ。気になる相手にラブレターとか?」

「あはは、叶奏はねぇ。今度のライブで曲作るんだよねぇ」

「え、ライブ!?」


 光一が目を丸くして驚いている。俺もそうだったからよくわかる。

 別に秘密にしてるっていうわけではないのか。まあ、そりゃそうか。


「そう。あたしと叶奏、同じバンドだからねぇ~♪」

「えええええええ!?」


 これまた意外な新事実だ。光一は気持ちいいくらいのリアクションで驚いている。


「ガールズバンドやってんの。よかったら見に来てね」


 輝山さんがパチンとウィンクしてそう言う。ああ、月城さん、彼女と仲が良いのはそういうことか。


「マジか、じゃあ見に行っちゃおっかな! いついつ?」

「えっとね、5月の終わりくらい? 学校の体育館で」

「あー! 新歓か! そっかぁ、新歓……懐かしいなぁ、あれから1年経つのかぁ~」


 光一はいつも通り、楽しそうに会話をしているし、輝山さんもそれに応じている。なんだか2人、いい感じにも見えてきたぞ。


「ね、橘くん」


 真剣な表情で、月城さんが俺を手招きする。じっと大きな瞳に見つめられると、なんだかこちらが目を逸らしたくなった。


「どうしたの?」

「橘くんは、どんな音楽聞いてるの?」

「へ? 音楽かぁ。流行りのポップスとかばっかり聞くし、だいたい光一に教えてもらうことが多いかなぁ」


 思い返してみれば、なんとなく俺は趣味と呼べるものがない気がする。


「そっか」


 仮面をつけているように顔が変わらなかった月城さんが、俺に向かって微笑んだ。


「じゃあ、橘くんにロックを好きになってもらえるよう、私頑張ろっかな」

「え? あ、あぁ、うん」

 

 好きになってもらえるように、か。――どうだろう、好きになれるかな。

 俺に頷いて、すぐに元の顔に戻ると、今度は真剣にルーズリーフと向き合い始めた。

 その時俺が口にしたコーヒーは、すっかり飲みやすい温度になり、少し酸っぱかった。

 ――ところで、俺と月城さんがどうして他クラスだったのに、お互いの名前をなんとなく知っていたか、そろそろ話をしておくべきだよな。

 少し印象的な出会い方をしたから、俺はよく覚えている。彼女もきっと覚えていたのだろう。

 たしかアレは、1年の文化祭でのことだった――。

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