第五章(二)

「先輩は予言とか信じます?」

「信じない。現にノストラダムスも当たらなかったろ? 未来は常に不定だよ。現状を分析してある程度の予測は出来ても、時期を特定してある事象が起こるのを予知するのは不可能だ」

「なるほど。里見先輩らしい意見ですね」

「真弓はどうなの? もしかして信じてるわけじゃないだろうね?」

「わたしは一応気にしちゃう人です。もちろん、信じこんでるわけじゃないけど……でも、多くの宗教は予言的な宗教的真実を掲げていますよね。それはどうしてですか?」

「多くの信者を獲得するために、明確な未来像を呈示して教義をより魅力的にするためだろうね。人格神の呈示と一緒だ。もう一つの目的は、神のいる理想社会と実際の世界のギャップを埋めるためだ。幻惑するためと言ってもいい。つまり、この世は『仮の世』だっていう思想だね」

「里見先輩の言う後者のタイプは、キリスト教における『審判の日』とかですね。一信者として、それについてはどう思ってるんですか? キリスト教だけは特別扱い?」

「いいや。他の予言と同じだ。『審判の日』も確定的な未来ではない。当たるも八卦当たらぬも八卦ってとこだね。もっとはっきり言えば方便に過ぎない。もともと、僕は宗教が予言的真実を呈示することに反対の立場だ。人々の心を安んじるのが宗教の役目。それなのに、時期が来ればやがて壊れてしまうような真実を教義に盛り込むのはいただけないね。宗教はどのような形であれ、人々を信じさせてやらなきゃいけない。たとえその教義が嘘であってもだ。嘘なら嘘で騙し続ける義務がある」

「不敬ここに極まれりってやつですね」

「予言信奉者の真弓さんに言われる筋合いはないよ」

「盲信してるわけじゃないですってば」

「少しは気に掛かってるんだろう?」

「それはそうだけど……」

「真弓は退屈しなくていいよ。終末予言なんて、数え上げたらきりがない。千九百年代に入ってからは、五年に一回は世界の終わりだと騒ぐ予言があったんだから」

「本当ですか?」

「そうさ。そして、そのことごとくが当たらなかった。二十一世紀に入ってからも終末予言はたくさんあるよ。聖マラキの予言だとか、ピラミッドの回廊解析だとか、ケネディ暗殺を言い当てたジーン・ディクスン夫人の予言だとか、諸説紛々だ。今回外したノストラダムス氏も二〇三八年に世界の終わりが来るって言ってるし、『大いなる数七の年』という一文から始まる予言詩も残ってる。これを西暦七千年と解釈してる人もいるよ」

「うーん。確かに不健全だわ」

「だろ? だから、余計なことに気を奪われる脆弱な精神を改めなさい」

「はーい……そうします。そうなると健全な宗教は仏教だけかしら?」

「仏教も『審判の日』タイプの予言があるだろ?」

弥勒菩薩マイトレーヤ降臨の予言ですか?」

「そうだよ」

「でも、あれはお釈迦様の入滅後、五十六億七千万年後のお話でしょ? あと五十六億六九百万年以上先の話ですよ。そのくらい遠い未来の話なら、その宗教的真実は壊れようがないと思う。それより先に太陽系の寿命が終わってるもの」

「思想は人が生きている限り生き続けるよ。あと数世紀もしないうちに恒星間宇宙旅行も実現するだろうから、地球がなくなっても人類の歴史が続く可能性は残っている」

「うーん。それは詭弁だわ。詭弁じゃないにしても不毛な議論です」

「わかった。じゃあ、原始仏教においては五十億年くらいの時間はそれほど長い時間じゃないのかも知れないと言いかえよう」

「どういうことですか?」

「真弓は『こう』っていう言葉を知ってるかい?」

「コウ? 庚申講とか伊勢講の『講』ですか?」

「いいや。この場合、濁点がついちゃうけど、未来永劫の『劫』だよ。仏教における時間の単位を表す言葉だ。『劫波こうは』とも言うんだけど……知らなかった?」

「うん。初耳です。じゃあ、一劫、二劫って数えるんですか?」

「そうだよ」

「うーん、まだまだ勉強不足だわ。ちなみに一劫ってどのくらいの期間なんですか? 千年くらい?」

「いいや、桁が違うよ」

「じゃあ、一万年?」

「全然、お話にならない。僕も劫の長さを正確に何年ですって答えることはできないけど、一億年とか十億年単位の時間じゃないことは確かだ。そうだね、劫はインドにおける最長の時間の単位なんだけど、『雑阿含経ぞうあごんきょう』では芥子劫とか盤石劫という喩えを使ってその長さを表現してる。真弓は芥子の実を見たことあるかい?」

「うん。栗饅頭とかの表面についてるちっちゃい粒々のことでしょう?」

「そうだ。その小さな芥子の実を一辺が一由旬ゆじゅんの箱、真弓にわかるように現代の尺度に換算すると約七キロメートルの立方体の箱一杯に詰める」

「わ、何個入るんだろう・・・えっと、芥子の実一粒の大きさを直径〇・六ミリとして、球体の体積が三分の四πrの三乗だから・・・〇・一一三立方ミリメートル。一辺が七百万ミリメートルの立方体の体積は三四三にゼロが十八個ついて、芥子の実の体積を簡単に〇・一としたときに、ゼロがもう一個増えるから――」

「あはは。不毛な計算をしてるね。箱の高さは七キロになるんだよ、下の方の芥子粒は相当圧縮されるんじゃない? まあ、話を最後まで聞けってば。その箱の中に入った芥子粒を百年に一回、一粒だけ取り除くんだ」

「ということは、あと二つゼロがつくんですね。十の十六乗が京だから、まだあと七桁も上か。うーん、そんな大きい数の単位は知らないわ」

「不毛な計算はやめろって。普段馴染みのない単位に直すよりは、真弓の数学的能力を超えた莫大な数だというぼんやりした理解の方がピンとくるだろ?」

「失礼しちゃう。もう……要するに、百年に一回、箱の中の芥子粒を取り去って、それがなくなったら一劫経ったってことですね。もうわかりました」

「わかってない」

「ええっ? どうしてですか?」

「それでも、まだ劫は終わらないんだ」

「わー。すっごく、仏教的」

「何が?」

「その……なになにしても、まだ終わらないってところ」

「あはは、そうだね。言われてみれば、本当に仏教的な表現方法だ」

「でしょう? じゃあ、先輩、盤石劫っていうのはどんな喩えなんですか?」

「うん。これも一辺が一由旬の盤石、つまり立方体の石をまず用意する」

「用意するって簡単に言うけど、高さだけでも富士山二個分ですよ。石って感じじゃないわ」

「そこは真弓さんの想像力に期待しよう。その石をだね、迦尸劫貝かしこうばいというやわらかい布で百年に一回拭う。そして、その結果その石が磨滅してなくなったとしても――」

「まだ終わらないんですね?」

「その通り」

「うーん。やっぱり仏教的だわ」

「こうして考えると、たかだか五十億年くらいそんなに長い時間じゃないんだって思えてこない?」

「何となく詭弁に聞こえないこともないけど、確かにそうですね。時間って相対的なものだから、大昔の人の時間感覚では五十億年先の未来も結構身近に感じたのかも知れないなあ」

「だろう? 認知動物である人間にとって時間はどんどん過密になっている。歴史年表を見ても、近代に近づくほど記述されてる歴史的事象の時間的なスパンは短くなっているだろう? 情報化があまり確立されてなかった大昔は、現代よりも時間が早く流れていたんだと思うよ」

「うん。本当にそう思う」

「と、まあ、一応の結論に達したけど……」

「不毛な議論でしたね」

「違いない。さて、ビールでも付き合うかい?」

「うん」

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