第五章(一)

「次は真弓の番だよ」

「うーん。わたし、里見先輩みたいに怪談ってあんまり知らないもの。もうネタがありません」

「それじゃ、リハーサルの意味がないだろ? 百話会ひゃくわかい、もう来週だぜ」

「ねえ、さっきの先輩の話、わたしにくれない?」

「いいけど、百話会じゃ『逆柱さかばしら』って結構メジャーな話だよ。鳥山石燕も描いてるし、『西鶴織留さいかくおりどめ』の第四巻にも『家主いへぬし殿の鼻ばしら』として出てる。オリジナルの話はそんなに怖くないけど、現代風にもアレンジしやすいから、きっと、宿老あたりが先にすると思うな」

「……もう。どうして、話す順番が上回生から始まるのかなあ? ネタいっぱい持ってるくせに――」

「百話会は上下関係の希薄な民研の中で唯一封建制が生き残ってる行事だからね。それに回数重ねてるだけあって、上の人は月並みな怪談をさせてもやっぱり上手いよ。妖怪などを題材にした怪談は一種の民俗芸能だろう? だから、落語と同じように何度も繰り返し話してるうちに味が出てくる」

「むう。ずるいなあ……。ねえ、ちなみに百話会って本当に九十九話で止めるの?」

「そうだよ。民研には現代人にしては迷信深い人が多いからね。それに蝋燭も百本は用意しない。一晩中燃え続ける大きなやつは高いから」

「うーん。怖くなくなってきちゃった」

「いやいや、やっぱりそれなりに怖いよ。毎年、九十九話目の話が終わった後で『さて、もう一話』って切り出す某氏がいるけど、みんなに袋叩きにあってる。白状すると僕も多少は怖い」

「里見先輩が? まさか?」

「本当だって。怪談話なんか信じちゃいないけど、それでも背筋が寒くなる。場の雰囲気っていうのかな? 吉崎よしざきさんとか毎年泣くよ」

「ええっ、見てみたい!」

「真弓は全然泣きそうにないね。どんなにきゃあきゃあ騒いでも喜んでるように思われるのが落ちだ」

「もう……ひどいなあ。みんな、陰ではわたしのこと『理屈っぽいお転婆』とか呼んでるんでしょう? 一応、か弱い女の子なんだけどなあ……」

「シチュエーションにもよるけどね」

「里見先輩まで、そういうこと言う……」

「むくれないの。さあ、身近な怖い経験でもいいから何かないかい? 民話や伝承にネタを求めるよりも、ああいう場では初出の話の方が怖いものだよ」

「うーん。夢の話くらいしかないかなあ?」

「真弓の悪夢は聞き飽きた」

「いつものやつじゃないんですよ。まだ、先輩には話したことがない夢です」

「悪夢の宝庫だね」

「悪かったですね。でも、あれ、本当に夢だったのかしら? 今でも夢か現実かわからないんです。もちろん、理論的に考えたら現実なわけないんだけど」

「――へえ、面白そうだね。話してごらん」

「うん。あのね、わたしがまだ小学生かな? ううん、もしかしたら、中学生のときかも知れない。そのへんははっきりしないの。だけど、季節が夏だってことだけは覚えてる。夏休み中のことだから」

「ほう。導入としたら、なかなかいいよ」

「全部、本当なんですよ。脚色じゃなくて」

「――本当のことなの?」

「うん。わたし、今でも目が堅いでしょう? 子供の時からそうだったの。十二時前に眠ったことなんてないくらい。だから、長い休みになると、だんだん生活時間帯がずれてくるのね」

「それは単純に、だらしがないってことじゃない?」

「失礼ね」

「あはは、なかなか可愛くていいよ。でも、ラジオ体操なんかはどうしてたの?」

「三日坊主。あ……やっぱりその夢を見たのは、中学の時かな? ラジオ体操なんてなかったから」

「なるほどね、続けてごらん」

「うん。夢かどうか判断できないから、現実に起こったこととして話すね。そのことが起きたのは朝の四時か五時くらいだったと思う。まだお日様は出てないけど、真っ暗じゃなかった。部屋の中の空気に蒼く色がついてたから。その日はそれから寝ようとしてたのかな? それともいったん眠ってすぐに起きたのかな? よく覚えてないけど、何となく台所に行こうと思って、二階の寝室から下に降りたの。そしたら、階段を下りる途中でね、お母さんと鉢合わせした。鉢合わせって言っても、わたしは階段の踊り場にいて、母親は一階の廊下にいたんだけどね。彼女はわたしを待ちかまえるようにして立っていたの」

「うん。それで?」

「わたしは自分がどうして台所に降りようとしてるのか、その理由もはっきりしないくらい、ぼおっとしてたんだけどね、そのときお母さんが言った言葉だけは覚えてる。彼女は確かこう言ったの。『あんた、まだ起きてたの?』……ううん、『もう、起きたの?』だったかな? とにかくそんな感じの言葉。それに対して、わたしは『うん』って虚ろな返事をして、結局台所に行くのは諦めて自分の部屋に戻った。そして、ベッドに入って眠ったの。次に起きたのは、眠りについた時間からすれば意外と早くて、朝の八時か九時くらいだったわ」

「なるほど。で、それから?」

「話としてはそれでおしまい。でもね、わたし、朝起きてから何となく違和感を感じてた。だって、階段の下にいたのは、お母さんじゃなくて、大きな人形だったから。わたしの家に昔からある古い日本人形。それが階段の下に立ってたの。今でもはっきり覚えてる。若草色の着物を着た等身大のそれが、いつもは眠ったように見える半目を、そのときは豁然と見開いてた。そして、凍りついたように動かない唇から声が漏れたの。――あんた、まだ寝てないの、って」

「――わっ! 人形モノは苦手だ」

「そうなんですか? うわあ、いいこと聞いちゃった。弱点発見。里見雅彦、日本人形に敗る」

「男だったら誰でも人形モノは駄目だと思うけど」

「へえ、そんなものなんですか? やっぱり子供の頃から親しんでないからかな? 性別の差って変なところにも出るんですね」

「確かにそうだ。――で、真弓はそれからどうしたの?」

「別に何も。遅い朝御飯を母親と一緒に食べました。もちろん、本物のお母さんだよ」

「怖くなかったの?」

「うーん。全然怖くないって言ったら嘘になるけど、でも、それほど恐ろしくは感じなかったなあ。確かに、今、わたしがしたような話を人から聞かされると怖いと思いますよ。だけど、そのとき当事者だったわたしはあんまり怖くなかったの。だから、逆にそれが怖かった。それは今でもそう思う。不気味な人形を特別疑問にも思わずに母と認識してしまった自分の意識がすごく怖い」

「なるほどね……。最初、夢か現実かわからないって言っただろう? 今でもわからないの?」

「うん。だって、すごくリアルだったんだもん」

「長年の謎を解き明かしてあげようか?」

「ふふっ。それは無理ですよ。そうね、例えば、先輩、こういうことを言いたいんじゃない?」

「――え?」

「入眠時レム睡眠――」

「何だ、知ってたか」

「うん。夢関係の心理学とか大脳生理学ならね。きっと、里見先輩にも負けないと思う」

「そうか。何と言っても、悪夢の宝庫だ。それくらいは調査済みってわけだね」

「そうです。でもね、たとえそうだったとしても、辻褄が合わないところもあるの。入眠時レム睡眠が起こったときに見る現実感のある幻覚って、普通、金縛りを併発するっていうでしょう? だけど、わたしの場合、金縛りなんてなかったし、第一、自分の足で階段まで歩いた」

「うん。それについてはどう思うの?」

「わからない。単純に特別な例だと思ってる。現実感があるという点では共通してるし、それに人間の記憶なんてあやふやなものでしょ? 金縛りにあった事実を忘れてるだけかも知れないわ。その夢を見た時期だって、今日先輩と話してて、やっと中学生の頃だって思い出したくらいなのよ」

「確かにね。記憶の捏造は実際に起こるらしいから、何が本当かなんて結局わからないか」

「――でしょ?」

「でも、それだけ知ってて、どうして現実かも知れないって思うんだい?」

「それ、里見先輩とは思えない言葉。幻覚だと理屈ではわかっていても、どうしてもそうとは思えない。それが現実感のある幻覚でしょう? それに、わたしの体験を第三者が横で観察してたりビデオで撮ったりしてない限り、それを現実に起こったかどうか判断するのはわたししかいない。その個人の体験を本人が現実だって認識すれば、それはもう錯覚ではなくなるわ。すなわち、それがリアルです」

「参った。失言と認めます」

「やったあ。――ねえ、そんな素直に認めずに、もっと口惜しがって。ふふ、何だか今日は調子がいいわ。もしかして、真弓さん、突然賢くなったのかしら?」

「得意分野の話だからだろ。じゃあ、ちょっとリベンジさせてもらおうか。真弓はさ、人は一体何を恐れているんだろうって考えたことはない?」

「人の怖がるもの?」

「そう。人の怖がる、その根源的な正体」

「え? 幽霊とかじゃなくて?」

「よしよし、いつもの真弓さんに戻ってきたぞ」

「えーん。里見先輩の意地悪。ほんのちょっと優越感に浸っただけなのに」

「あはは。攻守ところを変えたね。でも、さっき、真弓は正解を言ったんだよ。人形をお母さんだと認識した自分の意識が怖かったって。つまり、それは意識の変容だ。催眠なんかの変性意識状態を指しているわけじゃないよ。言葉を変えて言うなら、精神や観念の変容かな。人はたぶんそれを恐れてる」

「うーん。そっか……でも、里見先輩、ずるいです。ただ言葉を変えてるだけじゃないですか」

「解答の体裁に気を使うのが、大学生だ」

「どうせ、女子大生には見えません」

「そうは言ってないだろ? 確かに三つ編みにしたら中学生だけど」

「失礼すぎです」

「ごめんごめん。じゃあ、気分直しにその解答を他の方向から求めてみようか。例えば、殺人事件の捜査や裁判、それから報道なんかでは動機の解明に焦点が絞られるよね。それはどうしてかな?」

「すぐそうやって話題を変えるんだから――」

「答えられないのかな?」

「もおっ。それを解明しなければ、検察側が裁判で不利になるからです」

「そうかな? 確かに真弓の説も間違ってはいないよ。でも、それは『精密司法』と呼ばれる日本の裁判制度に由来する。陪審制が導入されてる欧米の裁判では、犯罪認定に不可欠でない限り、犯行動機や細かい経緯などの立証はさほど重要ではない。間違いなく犯人とわかっているのにその動機や犯行方法なんかをいちいち立証してたら、時間がいくらあっても足りないからね。現在の日本の裁判制度じゃ、人を一人殺すよりも一〇〇人殺した方が死刑になるのが遅くなる。ちょっと歳のいった犯人なら、裁判が終わる前に天寿を全うできるなんて矛盾も起こりかねない。凶悪犯罪がこのまま増加していけば、ラフ・ジャスティスへの移行が日本にも必要になってくると思うよ」

「うーん、そうか。このまま話を続けてもいい?」

「ああ、いいよ」

「どうして日本には陪審制がないんですか?」

「太平洋戦争の影響さ。戦時下で陪審員を何日も缶詰にできないだろう? 実際、戦前はあったんだよ。ちなみに今でも陪審法は生きてる。六法全書を開いてごらん。ちゃんと載ってるよ。ただ、『其ノ施行ヲ停止ス』という条文で眠らされてるだけだ」

「そうなんですか? わあ、陪審法復活すればいいのになあ」

「陪審員、やってみたいんだろ?」

「うん。不謹慎かも知れないけどやってみたい。だって、何だかわくわくしませんか?」

「人を裁くのが、そんなに楽しいかなあ?」

「違う。いろいろ推理して、無実を証明するの」

「そいつが間違いなく犯人だったらどうするんだよ?」

「そういう場合は、デミ・ムーアみたいに脅しには屈しないパターンね。あくまで、真弓さんは真実の人を貫くの」

「ったく、誰が脅すんだよ。――まあ、陪審制は国民の究極的な司法参加と言える。だから、陪審制導入については、僕も異論はないけどね。確か去年、自民党が陪審制導入を検討する司法制度改革審議会の設置を謳ったから、二十一世紀には日本でも陪審制が導入されるよ」

「――本当!?」

「たぶんね。上手くすれば、あと五、六年ってとこじゃない?」

「わあ、待ち遠しいわ。陪審員に選ばれるのってどのくらいの確率なのかなあ? 生きてるうちに一回くらい選ばれてみたいけど」

「変なやつ。選ばれたりしたら、面倒なだけだと思うけどな。ああ、話が大きくそれたね。そろそろ元に戻そうか? ――いい?」

「はい。モード、切り替えます」

「よし。殺人事件などにおける動機の解明については、日本の裁判制度も確かに影響してるんだろうけど、それよりも人間の意識が大きく関係してると僕は思う。つまり、人は殺人などの事件に出会ったとき、どうしてもそれに至った理由を欲しがるんだ。果たして、それは何故だろう?」

「うーん。あ、答えは『人間は意識の変容を恐れている』でしたよね。――なるほど。殺人なんかの非日常的事件に触れた人間は、人が人を殺す正当な理由を求める。それは、つまり、そうした犯行に至った納得できる理由を求めて、それで自分の中の世界を安心させるってことですね。再び、日常に戻るために」

「そうそう、そういうことだよ。わかってるじゃないか。人はね、自分の理解を超越した不気味な知性や感情に起因する殺人の動機が出現するのを恐れてるんだよ。怨恨や物盗りなど、自分の理解しやすい動機を求めるのはそのためだ。そうした理解可能な動機のない殺人は通り魔だとか心神喪失状態なんかの言葉で片付ける。馬鹿げてると思わない? 殺人の動機なんて、当人にしかわからないよ。いや、もしかしたら、当人でさえわからないかも知れない。なのに、ましてや他人がそれを理解できるわけがないだろう?」

「うん。わたしもそう思う。逆を言えば、その犯人はお金が欲しかったから人を殺したんだって自分を納得させることは、自分もまたお金のためなら人を殺すかも知れないって言ってるのと同じことですものね。わたし、そっちの方が怖いなあ。理解可能な動機があれば殺人という凶行をある意味で容認することができちゃうってことが」

「そうだね。人は何か勘違いしてる。――どうだい? 動機の解明っていう問題からも人が意識の変容を恐れているっていうことがわかるだろう? 意識の変容、つまり、それは精神の進化だ。人はたぶんそれを恐れているんだよ」

――か。うん、そうかも知れませんね」

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