第2話 帰還

王都の冒険者ギルドは、相変わらずの喧騒に包まれていた。 汗と酒の臭い、怒号と笑い声。 懐かしい空気だが、なぜだろう。昔感じていたような「圧倒されるような熱気」を感じない。 むしろ、全ての動きが止まって見えるほど、緩慢に感じられた。


ギギィ、と重い扉を開けて中に入る。


一瞬、入り口付近の空気が凍りついた。 そりゃそうだ。山から降りてきたばかりの浮浪者みたいな男が入ってきたのだから。


「おいおい、なんだあの汚ぇおっさんは」


「乞食なら裏口へ回れよ」


嘲笑が飛んでくる。昔の俺なら、顔を真っ赤にして怒鳴り返していただろう。 だが、今の俺にはその声すらも、どこか遠くの出来事のように感じられた。 彼らの嘲笑には悪意があるが、それすらも「生きて喋っている」という事実に、不思議と感謝の念が湧いてくる。


「……依頼掲示板は、変わってないな」


俺が掲示板に向かおうとした、その時だ。


「おい、テメェ! その装備でSランクの依頼を受けようってのか!? 死にに行くようなもんだぜぇ?」


聞き覚えのある、下卑た声が響いた。 俺は足を止めた。 声の主は、かつての俺のパーティメンバー、戦士のガストンだった。


彼は今、ギルドの隅で、一人の小柄な少年冒険者に絡んでいた。 少年の装備は真新しい革鎧。かつての聖女のように、田舎から出てきたばかりなのが見て取れる。


「ひ、人手が足りないって書いてあったから……荷物持ちでもいいと思って……」


「あぁん? 荷物持ちだぁ? テメェみたいなヒョロガリがいたら、足手まといになって全滅しちまうんだよ! わかったら置いてけ! そのなけなしの準備金をよぉ!」


ガストンが少年の胸倉を掴み、拳を振り上げる。 周りの冒険者はニヤニヤと見ているだけだ。 ……ああ、変わっていない。 俺がいた頃と、何も変わっていない。


俺は小さくため息をつくと、彼らの方へと歩き出した。


「……おい、やめろよガストン」


俺が声をかけると、ガストンが不機嫌そうに振り返った。


「あぁ!? 誰だテメェ、俺の名を……って、お前、まさか……」


ガストンが目を丸くする。 ボロボロの髭面だが、声でわかったらしい。


「あの『逃げ腰』のリックか!? お前、山で死んだんじゃなかったのかよ!」


「生きてるさ。それより、その子を離してやれ」


「ハッ! 落ちぶれて乞食になった分際で指図すんじゃねぇよ!  大体なぁ、お前が抜けたせいで俺たちのパーティランクが下がったんだぞ!  慰謝料代わりにテメェの身ぐるみ剥いでやる!」


ガストンが少年を放り出し、代わりに俺に向かって戦斧を振り上げた。 Dランク上位の実力を持つガストンの戦斧は、岩をも砕く威力がある。 周りの冒険者が「おい、殺す気か!?」と悲鳴を上げる。


ガストンの腕が振り下ろされる。 俺の頭蓋を粉砕する軌道。


――遅い。


あくびが出るほど、遅い。 止まっているように見える。 俺は一万回の素振りの間に、もっと速いものを斬ってきた。 風を、雨粒を、そして己の限界を。


俺は無意識に腰の木刀に手をかけ――ガストンの戦斧が俺の額に触れる前に、木刀を一閃させた。


「――感謝」


パァンッ!!


乾いた音が響いた。


「……は?」


ガストンの間抜けな声。 彼の手には、戦斧の「柄」だけが握られていた。 巨大な斧の刃の部分は、いつの間にか天井の梁に突き刺さっていた。


俺は木刀をすでに腰に戻している。 木刀の先端がわずかに白煙を上げていたが、刃こぼれ一つない。


「な、なにが……?」


ガストンが自分の手と天井を交互に見る。 周囲の冒険者たちも、何が起きたのか理解できていないようだった。 彼らの目には、俺が動いたことすら映らなかったらしい。


「お、おい! 今、斧が勝手に……!」


「魔法か!? いや、魔力の光なんて見えなかったぞ!」


ざわめきが広がる中、俺は腰を抜かしている少年冒険者に手を差し伸べた。


「大丈夫か?」


「は、はい……あ、ありがとうございます……!」


少年の瞳。 かつての俺が持っていて、そして捨ててしまった、希望に満ちた瞳。 それが今、まっすぐに俺を見つめている。


「……待てやリック!!」


我に返ったガストンが、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。


「テメェ、何か卑怯な手品使いやがったな! そんなボロい木っ端で俺の斧を弾けるわけがねぇ!」


「手品じゃない。ただの素振りだ」


俺は正直に答えた。


「嘘つけ! Dランク万年最下位のテメェができる動きじゃねぇんだよ! ……あ、そうか。わかったぞ。お前、俺たちに内緒でパーティに戻りてぇんだろ?」


ガストンがニタリと笑う。どういう思考回路をしているのかわからないが、彼は勝手に納得し始めた。


「へっ、その少しはマシになった腕に免じて、戻ることを許してやってやってもいいぜ? ただし、これからは雑用係として――」


「断る」


俺は即答した。


「あ?」


「俺はもう、誰かの踏み台にはならないし、誰かを踏み台にもしない。俺は……」


俺は天井に刺さった斧の刃を見上げ、それから自分の掌を見つめた。 マメだらけで、ゴツゴツとした、不格好な手。 だが、この手はもう、腐ってはいない。


「俺は、S級冒険者になる。……今度こそ、本当にな」


シーンと静まり返るギルド。 数秒後、ドッと爆笑が起きるはずだった。


「万年Dランクが何を言うか」と。


だが、誰も笑わなかった。 俺から放たれる、静かだが圧倒的な気配。 そして、天井に突き刺さった斧という動かぬ証拠。 本能が理解してしまったのだ。目の前の男が、かつての「噛ませ犬」ではないことを。


「……行くぞ」


俺は少年を促し、ギルドの出口へと向かう。 ガストンたちは、もはや俺を止める言葉すら見つけられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

――――――


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