万年Dランクの冒険者の俺、新米イジメはもうやめます。心を入れ替えて【1日1万回、感謝の素振り】を続けていたら、いつの間にか剣聖を超えていた。

羽田遼亮

第1話 かつて夢を見ていた噛ませ犬

「S級冒険者に俺はなる!」


そのように勇ましく夢を語っていたのはいつまでだろうか。


田舎から出て数年? 


努力を続けてDランク冒険者になるまで? 


それともダンジョンの下層で強大な魔物と対峙するまで?


自分でも覚えていないが、ここ数年はその台詞を口にしていない。


それよりもうだつの上がらない仲間と一緒に新米いびりに精を出していた。


田舎から出てきた冒険者には「その報酬で牛でも飼うつもりか? ここじゃ土地代にもならないぜ」と小馬鹿にしたり、装備が貧弱な冒険者には「その装備でダンジョンに潜る? おまえらはピクニックでも行く気なのか?」と煽ったり、明らかに気が弱い冒険者には頭からエール酒を引っ掛けることもあった。


――最低だ。自分でも分かっている。


自分がやっていることがいわゆる新米いびりというやつで、噛ませ犬と呼ばれる小物が好んでやる行為だと熟知していた。


自分でもなぜこんなくだらないことをするのか分からない。


――いや、最近はその理由も分かるようになっていた。


俺に取って新米冒険者の輝いた目が眩しいんだと思う。


かつて自分も持っていたその瞳を思い出し、イライラしているのだと思う。いや、イライラしているのだ。


それを思い出させてくれたのが目の前にいる聖女だった。


彼女は田舎から都会にやってきたばかりの純朴な娘で金貨と銀貨のレートも知らない世間知らずだった。


小悪党である俺はそれを利用して小銭を巻き上げていたのだが、ある日、聖女が金貨と銀貨のレートを知っている事実を知ってしまう。俺は驚愕の表情で尋ねた。



「すべてを知った上で俺に金を渡したのかよ……」


聖女は答える。



「私はあなたにお金を渡していたのではありません。あなたに時間を与えていたのです」


聖女は瞳を閉じ、荘厳な表情で言う。


「あなたは他の新米いびりをする方々とはどこか瞳が違う。魂の色が違う気がするのです」


「………………」


「あなたの夢はお金で買えないもののはず。しかし、夢を叶えるのには時間が必要です。どうかそのお金で時間を捻出してください」


毅然と言い放つと聖女は冒険者ギルドを出て行った。以後、俺は彼女と再会することはなかった。


「……俺の夢は金じゃ買えないか」


冒険者となり、勇壮に剣を振るう姿を思い出す。子供の頃、頭に鍋を被り、木の棒を振って勇者ごっこをしていたことを思い出す。


それを思い出した俺は金貨を握りしめて新米いびりをしていた仲間に言った。


「――俺、このパーティーから抜けるわ」


彼らは不思議そうに尋ねた。


自分たちのもとから去ってどうするのか、と。


俺は分からないと首を横に振ると有り金をはたいて食料を買い込み、山に籠った。

そこで自分と向き合うように、一日一万回、感謝の素振りを始めた。


聖女の言葉が、呪いのように、あるいは祈りのように俺の胸に焼き付いていた。


霊峰の麓、人里離れた森の中。 俺は適当な広場を見つけると、手頃な樫の木を削り、一本の木刀を作った。 愛用の鉄の剣では、一万回も振れば自重で腕が壊れるし、研ぐ時間も惜しいからだ。


「……よし」


朝日が昇る。 俺は木刀を構え、誰にともなく祈った。 俺のような人間に、更生する機会(時間)をくれた聖女へ。 そして、今日まで五体満足で生きてこられた世界へ。


「感謝」


一回。 気を整え、構え、振り下ろす。 フォームを確認し、残心。


「感謝」


二回。


最初は順調だった。体には冒険者として培った筋肉がある。一万回など、気合で乗り切れると思っていた。


だが、甘かった。 地獄は五百回を過ぎたあたりから始まった。


肩が熱を持ち、鉛のように重くなる。 千回を超える頃には、掌の皮が破け、柄が血でぬるりと滑った。 二千回。足の感覚がなくなり、ただ立っているだけで精一杯になる。 五千回。日が傾き始めた。空腹と喉の渇きが理性を削り取る。


「なんで……俺は……こんなことを……」


雑念が湧く。 やめてしまえと悪魔が囁く。誰も見ていない。一日一万回なんて馬鹿げた数字、適当に誤魔化せばいいじゃないか。


だが、そのたびに聖女の言葉が脳裏をよぎる。 『あなたに時間を与えていたのです』


俺は歯を食いしばり、破れた皮の上からさらに皮が剥ける痛みごとその木刀を握りしめた。


初日、一万回を振り終えたのは、朝日が昇ってから十八時間が経過した深夜だった。 俺は泥のように眠った。


          †


三日目。筋肉痛で腕が上がらない。 それでも振る。激痛が走るたびに、過去の自分への戒めだと念じた。


一週間。 腕の感覚が消えた。機械のように、ただ上げ下げを繰り返す。 食事は森の木の実と、川の水だけ。 痩せこけた体は、しかし余分な脂肪が削ぎ落とされ、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを帯び始めていた。


一ヶ月後。 変化が訪れた。 一万回を振り終えても、日が沈まなくなったのだ。 十八時間かかっていた素振りが、十二時間で終わるようになった。 無駄な力が抜け、遠心力と重力を味方につけるコツを体が覚えたのだ。


「……ありがたい」


素振りを終え、夕焼けを眺めながら俺は呟いた。 美しい夕日を見られる時間ができたことへの感謝。 風が心地よいことへの感謝。


俺の「感謝」は、聖女への贖罪から、徐々に世界そのものへの畏敬へと変わっていった。


          †


半年後。 俺の生活は、祈りそのものになっていた。


起床。水垢離。 素振り。一万回。 食事。就寝。


ただそれだけの繰り返し。 だが、その濃度は以前とは比べ物にならなかった。


構える。 吸う息と共に、世界の大気を取り込む。 吐く息と共に、己の濁りを吐き出す。 振り下ろす。


ブンッ!!


木刀が風を切り裂く音が、重低音から高音へと変わっていた。 一万回を振り終えるのに、六時間を切るようになっていた。


余った時間は何をするでもなく、ただ森の動物たちを眺めたり、瞑想をして過ごした。 リスが肩に乗ってくるようになった。 鹿が俺の隣で草を食むようになった。 俺という存在から「殺気」が消え、自然の一部として同化し始めていたのだ。


          †


一年後。 一万回の素振りが、二時間を切った。 もはや、目に見えるのは残像のみ。 通りかかった熊が、俺の素振りを見て恐怖し、逃げ出すレベルの速度と圧力。


音も変わった。 以前は「ブンッ」や「ヒュッ」という風切り音がしていた。 だが今は違う。


――パンッ!


鞭が空気を叩くような、乾いた破裂音。 木刀が音速の壁を越えようとしていた。


だが、俺は満足していなかった。 まだだ。まだ「抵抗」がある。 空気が、風が、俺の剣を邪魔している。 もっとスムーズに。もっと滑らかに。もっと、感謝を込めて。


俺は雑念を捨てた。 「速く振ろう」という意識すら捨てた。 ただ、木刀の重さに従い、重力の恋人になり、空気の友人になる。 逆らわず、導かれるように。


          †


そして、二年が経ったある日。


俺はいつものように木刀を構え、振り下ろした。


「――感謝」


一万回目の一撃。 振り抜いた瞬間、俺は違和感を覚えた。


音が、しない。


いつもなら響くはずの破裂音が聞こえない。 手応えもない。 まるで、真空の中を振ったかのように、何の抵抗もなかった。


「……?」


失敗したか? そう思い、顔を上げた俺は、目の前の光景に息を呑んだ。


俺が木刀を振り下ろした延長線上。 そこにあったはずの空間が、陽炎のように揺らいでいる。 そして、十メートルほど先にあった大木が、音もなくズレた。


ズズズ……ドォォン!!


大木の上半分が滑り落ち、地響きを立てて倒れた。 切断面は鏡のように滑らかだった。


「…………」


俺は自分の木刀を見た。 ボロボロだった樫の木刀。だが、今は不思議な光沢を帯びているように見える。 刃などついていない、ただの木の棒だ。 それが、離れた場所にある大木を両断した。


「……そうか」


俺は理解した。 置き去りにしたのだ。 音を。衝撃を。そして、常識を。


一万回の感謝は、俺を人の身には余る領域へと押し上げていたらしい。


「よし」


俺は木刀を腰に差した。 髪は伸び放題、髭も胸まで届くほどになっている。服はボロ布だ。 だが、心は澄み渡る秋空のように晴れやかだった。


聖女よ。 あなたがくれた時間は、確かに俺を変えたようだ。


俺は山を降りることにした。 まずは、彼女に金を返し、礼を言うために。 そして、今度こそ胸を張って夢を追うために。


俺の足取りは、まるで風に乗るように軽かった。


――――――


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