日常ってのは突然崩れるものらしい

 上司からのパワハラがひどく、自己都合退職。自己都合の方が今後の就活に有利、なんて人事部の言葉に騙されたと気づいたのは退職してから二日後のことだった。

 ビールの空き缶なんかが転がる汚い部屋で、俺はひとり虚しく声を上げる。


「あんのクソ人事……。結局会社の評判気にしてただけだろうが……っ!」


 丸めた毛布をぼすぼすと殴る。周りの物や壁に当たることすら出来ないのは、他人ひとの目を気にしてしまう悲しき現代人ゆえのさがだろうか。

 外気温と大して変わらないほど冷えきったワンルームのボロアパートで、広げ直した毛布を被って通帳を眺める。


「どう考えても足りないんだよなぁ……」


 大きくため息をついて頭を抱える。やっぱり退職は早計だったのか。

 目の前の預金通帳に印字されているのは二十一万三千円。次の仕事が決まっていない今、この金額は心もとないなんて言葉じゃまるで言い表すことはできない。


 俺はぐしゃりと通帳を握る手に力を込めながら、自分の行動を振り返る。

  

 上司からの暴言やら無視やらには耐えられた。だがやってもいないミスを押し付けられたこと。そしてそれが原因で俺の担当していたプロジェクトから外されたことは許せなかった。

 その怒りのままに翌日人事部へと直談判しに行ってしまったのは確かに俺が悪かったし、貯金をしてなかったのも会社の給料が安いとはいえ俺の責任だ。

 それでも人には、全部他人のせいってことにして現実から目を背けたい時もある。

 

 だって現実を見てしまったらそこにいるのは、二十五歳の無職、佐伯晃さえきあきらだけなのだ。


「……マジでどうすっかなぁ」


 ごろん、と仰向けに寝転がって宙を眺める。次の仕事なんて決まっていない。つまり、失業保険が出るまでは貯金を食いつぶしながら仕事を探さなければならないのだ。


「はぁ……。ほんっと世知辛い世の中だわ」


 外はもうだいぶ暗くなってきていて、冬の陽の短さを実感する。明日になったら仕事探そう、なんて自堕落な思考をめぐらせながら毛布を被って丸くなったそのとき、突然インターホンの音が部屋に響いた。

 宅配かなんか頼んでたかな? 勧誘だったら断んないと、と考えながら、念の為にとドアチェーンを掛けたまま玄関のドアを開け、扉の向こうを確認する。俺の姿を見ると、ドアの前に立っていたソイツは驚いたように目を見張る。そして、嬉しそうに顔をほころばせた。


「ア、キ……。あー……。よかったらさ、家あげてくんない?」


 ソイツは顔にガーゼを貼り付けたまま、下手くそに笑う。青黒く腫れた頬は、酷く痛々しかった。

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