骨壺

二ノ前はじめ@ninomaehajime

骨壺


 骨壺が置いてある。

 

 卓袱台ちゃぶだいの上に置かれた白い骨覆こつおおいの中に、妻の遺骨が入っている。火葬を終え、脱力感にさいなまれた体を引きずってアパートへと連れ帰った。蛍光灯に照らされ、真新しい布地が白々しらじらとしている。

 着替える余力もなく、喪服のまま畳の上に座りこんでいた。二人で暮らすには手狭な部屋だ。寝室と居間、風呂場に台所。蛇口の先端からシンクへとしずくしたたり落ちる。

 

 仕事から帰ると、妻がエプロンを身に着けて夕飯の支度したくをしていた。彼女もパート終わりで疲れているだろうに、この丸い卓袱台の上で白飯や味噌汁が湯気を立てていた。焼き魚の匂いが鼻腔びこうをくすぐり、食欲を誘った。

 

 将来のことを考えて、引っ越しも検討した。いずれ生まれる我が子のために、もっと広い家へ移り住もうと話し合った。

 妻の死によって、何もかもが水泡にした。骨壺を前にうなだれる。何も食べていないのに、空腹は感じなかった。そのまま何時間を過ごした。

 

 アパートのドアが開く音がした。中身が詰まったビニール袋が立てる音。靴を脱いで、見慣れたチェスターコートを着た妻が帰ってきた。


「もう、鍵をかけないと駄目じゃない」

 

 居間を抜けて、スーパーの買い物袋を冷蔵庫の前に置く。コートを脱いでハンガーにかけながら、彼女は言った。

「どうしたの、着替えもしないで。会社で何か嫌なことでもあった?」

 

 帰宅して早々、エプロンを身に着けて夕食の準備に取りかかる。返事が少し遅れた。


「いや、何もないよ」

「そう。とにかく背広を脱いで。お風呂もまだでしょう」

 

 言われるがままに喪服を脱いだ。立ち上がる気力が湧かず、いつもの妻の後ろ姿を眺めた。休日でもないのに、台所に立つ彼女を目にするのは随分ずいぶんと久しぶりだった。


「今日は特売だったの。肉じゃがを作るから、待ってて」

 蛇口をひねって、じゃがいもを洗う。手際てぎわ良く調理する彼女に声をかける。


「何か手伝おうか」

「良いからテレビでも見てて。あなた、料理できないじゃない」

 言われてみれば、家事はほとんど妻に任せきりだった。出勤するときに、ごみ袋を持っていく程度だ。今になって申し訳ない気分になった。

 

 卓袱台に置かれたリモコンに手を伸ばす。テレビを点けると、野球中継をやっていた。ペナントレースで争っている。打球が飛ぶたびに、歓声が上がった。

 片手を上げながらホームを踏む選手を眺めていると、火をかけられた鍋からこうばしい匂いが漂ってきた。急に食欲が湧いてきて、腹が鳴った。

 妻が笑いながら言う。


「やだ、もう待ち切れないの」

 

 少し恥ずかしくなった。今日一日、何も喉が通らなかった。どうしてだろう。もうその理由を思い出すことができなかった。

 

 我が家の小さな食卓に、炊き立ての白飯がよそわれた茶碗と味噌汁が置かれる。遅れて肉じゃがが入った皿が登場する。よく汁が染みた牛肉にじゃがいも、玉葱たまねぎ人参にんじん、インゲン豆。湯気を立てて、冷め切った部屋の空気を温める。

 エプロンを脱いだ妻が対面に座る。白い包みの向こうから、笑顔で言う。

「さあ、食べましょう」

 

 言われるがままに、両手を合わせた。握った箸の先を伸ばす。肉じゃがを割り、口に運んだ。よく味がみている。口の中で温かさが広がり、視界がにじんだ。その先で、顔の歪んだ妻が言う。


「何で泣いているの。今日のあなた、本当におかしいわよ」

 

 少し困った様子だった。「何でもないよ」とシャツの袖で目を拭い、黙々と箸を動かす。食事をする妻を盗み見た。白い布地が、彼女の姿を半分遮っている。

 

 これは、誰の骨壺だっけ。テレビの中でナイターが湧いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

骨壺 二ノ前はじめ@ninomaehajime @ninomaehajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画