4

「……凛花!」

 目を覚ますと、私は冷たく湿った倉庫のような場所にいた。

 手足は縄で縛られ、目の前には、下卑た笑みを浮かべる健二が立っていた。


「やっと起きたか。お前のおかげで、最高の獲物が釣れそうだよ」

「健二……。どうしてこんなことを」

「うるさい! お前が久条なんて大物を捕まえたせいで、俺の計画が狂ったんだ。あの男から慰謝料代わりに数億ぶんどって、高飛びしてやる」


 健二が私の頬をなでようとしたその時――。

 ドォォォォン! と、重厚な鉄扉が凄まじい音を立てて吹き飛んだ。


 砂埃の中から現れたのは、息を切らし、瞳に凍てつくような怒りを宿した蓮だった。


「蓮さん……!」

「待たせたな、凛花。……その汚い手を彼女から離せ」


 健二は怯えながらも、私の首元にナイフを突きつけた。

「来るな! 動いたらこの女の命はないぞ! 早く不正融資の証拠隠滅の誓約書と、金を……!」


 しかし、蓮は止まらなかった。

 彼は嘲笑うかのような冷笑を浮かべ、一歩、また一歩と近づいてくる。


「不正融資? ……ああ、あの捏造データのことか。お前の裏にいる白鳥家の残党も含め、すでに全ての手を打ってある」

「な、なんだと……?」


「お前が凛花に手を出した瞬間に、お前の人生は終わったんだ。お前が使い込んだ会社の公金、裏カジノでの借金……。すべての証拠を検察に回した。今頃、お前の自宅には捜査員が入っているだろう」


「ひっ、あ、あああ……!」

 絶望に顔をゆがめる健二。

 その隙を見逃さず、蓮の背後から控えていたSPたちが一斉に飛び込み、健二を取り押さえた。


 蓮は真っ先に私のもとへ駆け寄り、震える手で縄を解いた。

「凛花……! すまない、怖い思いをさせた。俺の不徳の致すところだ」


「……いいえ、助けてくれて、ありがとうございます。蓮さん」

 安堵で涙が溢れる私を、彼は壊れ物を扱うように優しく、けれど二度と離さないと言わんばかりの強さで抱きしめた。


「……もう、誰にもお前を傷つけさせない。たとえ世界を敵に回しても、俺がお前を守り抜く」




 事件から数日後。

 健二と白鳥沙織は、それぞれの罪によって社会的に完全に抹殺された。

 久条グループの不正疑惑も、蓮が用意していた圧倒的な反証によって、逆にグループの信頼を高める結果となった。


 そして、例の「契約期間」が終わろうとしていた。


 マンションのリビングで、私は蓮と向き合っていた。

「……蓮さん。契約、今日までですね」

 私は寂しさを隠しきれず、俯きながら切り出した。


「ああ、そうだな。契約書によれば、今日でお前は自由の身だ。慰謝料も口座に振り込んである。どこへでも好きなところへ行けばいい」


 あまりにも冷淡な言葉に、胸が締め付けられる。

 やっぱり、あの告白も、助けてくれたのも、ただの責任感だったんだろうか。


 私が立ち上がり、部屋を出ようとしたその時。


 ガシッ、と腕を掴まれ、そのままベッドに押し倒された。


「……っ、蓮さん!?」

「どこへ行く。俺が、お前を逃がすと本当に思っているのか?」


 蓮の瞳は、これまでにないほど熱く、執着に満ちていた。

 彼は私の目の前に、一枚の新しい書類を突き出した。


「それは……?」

「新しい契約書だ。……いや、『遺言状』と言ってもいい」


 そこには、こう記されていた。


【乙(佐藤凛花)は、甲(久条蓮)の心臓、魂、人生のすべてを無期限で所有する。甲は乙を一生甘やかし、溺愛し、決して悲しませないことを誓う。報酬は、甲の永遠の愛とする】


「……これ、は……」

「前の契約は破棄だ。あんなものはただのまやかしだ。凛花……俺は、お前がいない世界なんて、もう一秒も耐えられない」


 彼は私の髪に指を通し、狂おしげに囁いた。

「一生、俺のそばにいてくれ。契約じゃない。一人の男として、お前を愛しているんだ」


「……私も、蓮さんが大好きです。契約なんてなくても、ずっと一緒にいたい……っ」


 私の答えを聞くやいなや、蓮は深く、深いキスを落とした。

 それはこれまでのどんなキスよりも甘く、独占欲に満ちていて……。


「覚悟しろ。今夜からは、寝る時も、起きる時も、お前のすべてを俺が独占する。もう『奥様』のフリをする必要はない。お前は俺の、本物の妻になるんだからな」


 彼の大きな手が私の肌を滑り、熱が伝わっていく。

 カーテンの隙間から差し込む月光が、重なり合う二人を祝福するように照らしていた。




 一年後。

 都内の一流ホテルで、私たちは改めて結婚式を挙げた。

 かつて私を「無能」と呼んだ親戚や元同僚たちは、日本一の富豪に溺愛される私を見て、ぐうの音も出ないようだった。


「凛花、あまり動き回るな。お前には俺がついているんだから、じっとしていろ」

 披露宴の間中、蓮は少しでも私が一人になると、すぐにどこからか現れて腰を抱き寄せる。相変わらずの過保護ぶり。


「蓮さん、過保護すぎます。お友達と話すくらい大丈夫ですよ」

「ダメだ。お前は隙があるから、すぐに悪い虫が寄ってくる」


 そう言って彼は、皆の前で堂々と私の額に口づけをした。

 会場から歓声が上がる中、私は幸せな溜息をつく。


 あの雨の夜、すべてを失った私を救ってくれたのは、氷のような冷徹な仮面を被った、世界で一番不器用で優しい皇帝だった。


「……愛してる、凛花。一生、俺の腕の中で幸せになれ」

「はい……私も愛しています、蓮さん」


 私たちの「契約」は、死が二人を分かつまで続く、最高に甘い「永遠」へと変わったのだった。






fin

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