身代わりの出来損ない令嬢は、冷酷皇帝の最愛という檻に囚われる
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その日、リゼット・エルンストは冷たい石畳の床に膝をついていた。
「いいこと、リゼット。あんたはただの『身代わり』。あんな恐ろしい『氷の皇帝』に、私の大切で美しいシルヴィアを差し出せるわけないでしょう?」
義母の甲高い声が、豪奢な広間に響く。
隣では、リゼットの異母妹であるシルヴィアが、勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
リゼットはこのエルンスト公爵家において、「出来損ない」の烙印を押された存在だった。
亡き実母から引き継いだ魔力は微々たるもので、見た目も地味。華やかな義母や妹とは対照的に、いつも煤けた灰色のドレスを着せられ、屋敷の離れで図書整理や雑用を押し付けられてきた。
そんな彼女に下された、非情な命令。
それは、隣国バシュタール帝国の皇帝、ジークフリート・フォン・ノイシュタインへの嫁入りだった。
ジークフリート。
通称「氷の皇帝」
戦場では血も涙もない冷酷な決断を下し、気に入らない貴族は一族ごと滅ぼすという噂。
さらには、かつて彼に嫁いだ女性たちは皆、あまりの恐ろしさに数日と持たず逃げ出したか、あるいは精神を病んで幽閉されたとも囁かれている。
「……承知いたしました。私がお供いたします」
リゼットは静かに頭を下げた。
反論など許されない。
むしろ、この地獄のような家庭から出られるのであれば、相手が怪物だろうと構わなかった。たとえその先が、死より辛い場所だとしても。
一週間後。
ガタガタと揺れる馬車に揺られ、リゼットは帝都へと向かっていた。
持たされた荷物は、古びたトランク一つ。
婚礼衣装すら、シルヴィアが「趣味が悪い」と捨てた古いドレスをリメイクしたものだ。
やがて馬車が止まり、重厚な城門が開く。
出迎えたのは、漆黒の軍服に身を包んだ騎士たち。
その中央に、圧倒的な威圧感を放つ一人の男が立っていた。
銀糸のような髪。
射貫くような、冷徹なまでの蒼氷(そうひょう)の瞳。
彫刻のように整っているが、一切の感情を排したその顔は、見る者を凍りつかせる。
彼こそが、ジークフリート・フォン・ノイシュタイン。
「……エルンスト家の娘か」
低く、深く、体の芯まで響くような声。
リゼットは震える足を叱咤し、馬車を降りて最敬礼をした。
「初めまして、ジークフリート陛下。リゼット・エルンストでございます。本日より、貴方様のお傍に……」
リゼットが顔を上げた瞬間、ジークフリートの眉がわずかに動いた。
彼は無言のままリゼットに歩み寄る。
一歩、また一歩。
そのたびに、リゼットは死の予感に喉が詰まりそうになる。
彼はリゼットの目の前で足を止めると、乱暴に彼女の顎をクイと持ち上げた。
「顔を見せろ」
逃げ場のない視線が交差する。
ジークフリートの瞳が、リゼットの煤けたドレス、手入れの行き届かない髪、そして……怯えながらも、どこか諦観を湛えた瞳を執拗に観察する。
「……ふん。公爵家が寄越したのは、宝珠(ほうじゅ)ではなく、使い古しの石ころか」
吐き捨てられた言葉に、周囲の騎士たちが嘲笑の混じった視線を送る。
リゼットは拳を握りしめ、視線を逸らさなかった。
石ころ。
その通りだ。
私は捨て石としてここに来たのだから。
「期待外れだ。今すぐ追い返してもいいが……」
ジークフリートの指が、リゼットの首筋に触れた。
その指先は驚くほど熱く、リゼットは思わず小さく吐息を漏らす。
「その、死を待つような目が気に食わん。……来い。お前の住処は、後宮の端の塔だ。そこで一生、埃にまみれて朽ち果てるがいい」
リゼットは突き放されるように解放された。
冷酷な歓迎。
だが、リゼットの心には小さな、不思議な高揚感が生まれていた。
(……この人、私の目を見たわ)
誰もが「出来損ない」として素通りし、背景の一部としてしか扱わなかった自分を。
この冷酷な皇帝は、確かに「個」として見定めた。
それから数日、リゼットは宣言通り、城の最果てにある古びた塔に閉じ込められた。
食事は粗末。
侍女も一人もつかない。
だが、リゼットにとっては、義母たちの虐待がないこの場所は天国だった。
彼女は塔にあった膨大な古書を整理し始め、独りで静かな時間を楽しんでいた。
しかし、その平穏は長くは続かなかった。
深夜。
塔の扉が、凄まじい音を立てて蹴破られた。
「……っ!?」
飛び起きたリゼットの目に飛び込んできたのは、肩で息をし、理性を失ったような赤い瞳を光らせるジークフリートの姿だった。
彼の周囲には、制御しきれない強大な魔力が黒い霧となって渦巻いている。
「陛下……? 何事ですか……っ」
「寄るな……。死ぬぞ……」
ジークフリートの声は苦痛に歪んでいた。
これは「魔力暴走」
強すぎる魔力を持つ者が、その負荷に耐えきれず自我を失う現象だ。
リゼットは本能的に察した。
このままでは、彼は死ぬ。
あるいは、この城を破壊し尽くす。
周囲の騎士たちも恐れて近づけない中、リゼットは裸足のまま、渦巻く魔力の中へと足を踏み出した。
「下がれと言っただろう! 死にたいのか!」
ジークフリートの怒号。
だが、リゼットは止まらない。
彼女は、かつて母に教わった「ある魔法」を思い出す。
自分に魔力はほとんどない。
けれど、「流す」ことだけは得意だった。
リゼットはジークフリートの胸元に飛び込み、その逞しい体に細い腕を回した。
「……大丈夫です。私が、全部受け止めますから」
「なっ……!?」
次の瞬間、リゼットの体を、焼けるような熱さが貫いた。
次の更新予定
溺愛時代 26年 1月 あおとあい @SHIN_SKI_
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