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久条家の本邸は、広大な敷地にそびえ立つ古風な洋館だった。
「……すごい。ここ、本当にお家なんですか?」
「ああ。呪われた伝統という名の、ただの巨大な牢獄だ」
車のドアを開けた蓮の横顔は、いつにも増して険しい。
今日、私たちがここへ来たのは、久条グループの最高権力者であり、蓮の祖父である久条宗一郎に「結婚の報告」をするためだ。
豪華な応接間に通されると、そこには威圧感の塊のような老人が座っていた。
「……その女が、お前が選んだ『妻』か」
宗一郎の鋭い眼光が私を射抜く。
あまりの恐怖に足が震えそうになったその時、蓮が私の手を力強く握った。
「そうだ。佐藤凛花。俺が一生を添い遂げると決めた唯一の女性だ」
「一生だと? 蓮、お前も焼きが回ったな。身元調査の結果は聞いている。家柄も財産もなく、職すら失った、ただの路傍の石ではないか。そんな女が、久条の正妻にふさわしいと思うのか?」
宗一郎の言葉は、氷の塊をぶつけられたように冷たく、残酷だった。
「身代わりなら白鳥家の娘でも、他にいくらでもいただろう。そんなゴミを拾ってきて、何のつもりだ。今すぐその女を追い出せ。さもなくば、次期社長の座はお前の従兄弟に譲る」
頭の先から冷や水を浴びせられたような感覚だった。
私のせいで、蓮さんが積み上げてきたすべてが壊れてしまう。
「……あの、おじい様、私は……っ」
私が口を開こうとした瞬間、蓮の怒りが爆発した。
「ゴミだと? 二度とその口で彼女を侮辱するな!」
蓮の低い声が部屋中に響き渡り、空気がピリリと張り詰める。
彼は私の肩を抱き寄せ、祖父を真っ向から睨みつけた。
「社長の座? そんなもの、くれてやる。凛花のいない未来に、何の価値がある。俺が欲しいのは、久条の看板じゃない。……この女だけだ」
「……何だと?」
「彼女は、お前たちが求めるような『家柄』という名の虚飾を持っていない。だが、誰よりも優しく、真っ直ぐに俺を見てくれる。俺を『久条の跡取り』としてではなく、ただの『久条蓮』として必要としてくれたのは、世界中で彼女だけだ」
蓮の言葉が、私の胸に熱く響く。
(……嘘。私はただ、契約に従っているだけなのに。どうしてそんなに、切なそうな声で……)
「行くぞ、凛花。ここにいると、心が腐る」
蓮は驚愕する祖父を置き去りにし、私の手を引いて屋敷を飛び出した。
夕暮れ時の庭園を、彼は一度も振り返らずに突き進んでいく。
その大きな背中が、どこか泣いているように見えて、私はたまらず彼の腕を掴んだ。
「蓮さん、待ってください!」
「……離せ。今のお前には、俺の醜い感情を見せたくない」
「見せてください! 私だって、あなたの妻なんですから……っ、契約だとしても、今の言葉は嬉しかった。だから……一人で抱えないで」
蓮の足が止まった。
彼はゆっくりと振り返り、力なく私を抱き寄せた。
彼の顔が私の肩に埋められ、熱い吐息が首筋にかかる。
「……怖かった。お前まで、俺の家柄や力だけを見て、俺自身を捨てていくんじゃないかと」
「そんなこと……」
「俺の両親は、家柄争いの末に互いを憎み合って死んだ。俺にとって『家族』とは、利用し合うだけの道具でしかなかった。だが……雨の中でお前に出会った時、ボロボロになっても母の形見を握りしめていたお前を見て、初めて『守りたい』と思ったんだ」
(……え? あの夜、彼は偶然私を見つけたわけじゃ……?)
「凛花。俺は、嘘をついていた」
蓮が体を離し、私の両目をじっと見つめる。
その瞳には、もう「氷の皇帝」の冷たさはなかった。
「『契約』なんて言えば、お前が逃げないと思った。居場所のないお前を縛り付けるための、卑怯な口実だったんだ。……俺は、最初からお前を愛していた」
衝撃の告白だった。
震える私の唇を、彼の長い指がそっとなぞる。
「一年経っても、お前を離すつもりなんて毛頭ない。お前を一生、俺の檻の中に閉じ込めて、愛し抜く。……これでも、俺と一緒にいてくれるか?」
「……っ」
返事をする代わりに、私は彼のシャツの胸元をぎゅっと掴んだ。
自分でも気づかないうちに、私の心も、この孤独な王様に奪われていたのだ。
「……逃げません。どこにも。……蓮さん」
その瞬間、彼は飢えた獣のような熱っぽさで、私の唇を奪った。
先日の未遂とは違う、深く、熱く、こちらの理性を溶かしてしまうような、激しいキス。
夕焼けに染まる庭園で、私たちは何度も何度も、愛を確かめ合うように唇を重ねた。
マンションに戻ると、蓮はさらに甘く、独占欲を剥き出しにした。
「今日はもう、部屋には返さない」
寝室のベッドに押し倒され、彼が私の上に覆い被さる。
「蓮さん、あの……っ、心の準備が……」
「ダメだ。さっきあんなに可愛い顔で俺を求めておいて、今さら逃げられると思うな」
彼は私の首筋に顔を寄せ、吸い付くように痕をつけていく。
「ここに、俺の印をつけておく。誰が見ても、お前が俺のものだとわかるようにな」
低い、熱を帯びた声。
首筋に走る痺れるような快感。
冷徹な彼が見せる、狂おしいほどの情熱。
私はもう、彼の腕の中から逃げ出すことなんて、できそうになかった。
しかし、幸せの絶頂にいる私たちに、さらなる影が忍び寄っていた。
蓮のスマホに届いた一通のメッセージ。
『久条蓮の不正融資疑惑。証拠は手元にある。彼女を救いたければ、明日の夜、一人で指定の場所へ来い』
差出人は、私を捨てたあの元婚約者、健二だった。
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