雨の夜に拾われたどん底女子ですが、冷徹CEOに契約妻として狂愛されます
1
冷たい雨が、私のボロボロになったスーツを濡らしていた。
「……もう、本当に全部なくなっちゃったな」
佐藤凛花(さとう りんか)、24歳。
今日、私は人生のどん底にいた。
勤めていた会社は倒産し、あろうことか婚約者には「もっと家柄のいい、役に立つ女が見つかった」と、私の貯金をすべて持ち逃げされた。
住んでいたアパートも家賃滞納で追い出され、手元にあるのはわずかな小銭と、母の形見の安っぽいブローチだけ。
都会の喧騒の中、華やかな街灯が私をあざ笑っているようだ。
視界が涙でぼやけ、足に力が入らなくなったその時――。
キィィィッ!
激しいタイヤの摩擦音が響き、目の前に一台の漆黒の高級車、ロールス・ロイスが止まった。
中から現れたのは、仕立てのいいスリーピースのスーツに身を包んだ、彫刻のように整った顔立ちの男。
ただ、その瞳は零下を思わせるほど冷たく、周囲を威圧するようなオーラを放っている。
(あ……この人、テレビで見たことある。日本最大のコンツェルン、久条グループの若き総帥、久条蓮(くじょう れん)……)
「邪魔だ。死にたいなら他所でやれ」
低く、心地よく響くバリトンボイス。
しかし、その言葉は容赦なく私を突き放す。
「……すみません。すぐに、どきますから……」
立ち上がろうとした瞬間、空腹と疲労で意識が遠のき、私は冷たいアスファルトに崩れ落ちた。
……温かい。
次に目を覚ました時、私は見たこともないような豪華な寝室の、雲のように柔らかいベッドの上にいた。
「気がついたか」
ソファに座り、書類に目を通していた久条蓮が顔を上げる。
「あ、あの、ここは……?」
「俺のマンションだ。路上で倒れられては寝覚めが悪い」
彼は立ち上がり、私の枕元まで歩いてくると、品定めするように私をじっと見つめた。
その視線の鋭さに、心臓が跳ねる。
「佐藤凛花。24歳。元・東和商事勤務。親の借金を肩代わりし、婚約者に裏切られ、現在は無職。……間違いないな?」
「えっ、どうしてそれを……」
「身元を調べるなど、俺にとっては造作もないことだ」
彼は不敵な笑みを浮かべ、私の顎を指先でクイッと持ち上げた。至近距離で見つめる彼の瞳は、吸い込まれそうなほど美しい。
「お前に、一つ提案がある。……俺と、結婚しろ」
「……はい?」
頭が真っ白になった。
今、この日本で最も結婚したい男ナンバーワンに選ばれるような人が、私にプロポーズをした?
「勘違いするな。期間は一年の『契約結婚』だ。俺は祖父から、年内に結婚しなければ次期社長の座を剥奪すると脅されている。だが、女という生き物はどいつもこいつも強欲で反吐が出る。……その点、お前なら好都合だ」
「好都合……?」
「家もなく、職もなく、頼る当てもない。俺に逆らえば路頭に迷うしかない立場だ。それに、お前のその『死んだ魚のような目』がいい。俺に惚れて面倒を起こす心配もなさそうだ」
あまりにも失礼な言い草にカチンときたが、今の私に拒否権などないのは事実だった。
「……条件は?」
「衣食住の完全保証。そして、一年後の離婚時には、一生遊んで暮らせるだけの慰謝料を支払う。お前はただ、俺の妻として、周囲を欺き続ければいい」
彼は懐から一枚の書面を取り出した。そこには、信じられないほどの桁の数字が並んでいる。
「……わかりました。その契約、お受けします」
「話が早くて助かる。では、まずはその薄汚い格好をどうにかしろ」
彼がパチンと指を鳴らすと、控えていたメイドたちが一斉に部屋に入ってきた。
「彼女を磨き上げろ。今夜のパーティーに連れて行く」
三時間後。
全身をプロのスタッフによって磨き上げられ、最高級のシルクサテンのドレスを纏った私は、鏡の中の自分を見て息を呑んだ。
ボサボサだった髪は艶やかに整えられ、地味だった顔立ちは洗練されたメイクによって、まるで見違えるような「貴婦人」へと変貌していた。
「……悪くない」
背後から、着替えを終えた蓮が現れる。
タキシード姿の彼は、恐ろしいほどに完璧だった。
彼は私の腰に、所有権を主張するかのように力強く手を回した。
「今日からお前は、俺の愛妻だ。いいな? 一瞬たりとも俺から離れるな」
会場となる超高級ホテルの宴会場。
扉が開いた瞬間、何百人という参列者の視線が私たちに注がれた。
「おい、あの久条が女を連れてるぞ」
「誰だあの美女は? モデルか?」
ざわめきの中を、私は彼にエスコートされながら胸を張って歩く。
すると前方から、見覚えのある、見たくもなかった顔が現れた。
私を捨てた元婚約者、健二と、その浮気相手だ。
「……凛花!? お前、なんでこんなところに……!」
健二が驚愕のあまり声を荒らげる。
私は足がすくみそうになったが、腰を抱く蓮の手が、グッと力を強めた。
「私の妻に、何か用か? ……下俗な男が」
蓮が氷のように冷たい声で言い放つ。
その圧倒的な覇気に、健二は一歩後退り、顔を青ざめさせた。
「つ、妻……!? 久条代表の……!? 嘘だろ……」
「凛花、行こう。こんなゴミ溜めの臭いを嗅いでいると、鼻が曲がる」
蓮は私を優しく、それでいて強引に引き寄せ、健二たちの前を悠然と通り過ぎた。
生まれて初めて、自分をゴミのように扱った人間を見返した瞬間だった。
心臓がうるさいほどに鳴っている。
それは恐怖ではなく、今まで感じたことのない高揚感――ドーパミンが溢れ出すような感覚。
パーティーの喧騒から少し離れたテラス。
二人は夜風に当たった。
「……ありがとうございました。助けていただいて」
「礼には及ばない。お前を安っぽく扱われるのは、俺のプライドが許さないだけだ」
そう言って、彼は私の頬を不意に指先でなぞった。
「……だが、先ほどのドレス姿、思った以上に……俺の好みに仕上がっていた」
至近距離で囁かれた声に、背筋が震える。
冷徹なはずの彼の瞳の奥に、一瞬だけ、熱い火が灯ったように見えた。
「……契約は、始まったばかりだ。覚悟しておけよ、凛花」
私の初めての「契約結婚」生活は、こうして衝撃的な幕を開けた。
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