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極夜帝国の国境。
そこには、かつてないほど無様に荒れ果てた、アルトリア王国の軍勢がいた。
先頭に立つエドワード王子は、かつての端正な顔立ちを焦りと疲労で歪ませ、泥にまみれた馬上で叫んでいる。
「エフィアを出せ! あいつは私の婚約者だ! 聖女の義務を果たさず逃げ出すなど、万死に値するぞ!」
彼の背後には、同じくやつれ果てた妹のミラと、私を捨てた父の姿もあった。
彼らが縋っているのは、もはや「正義」ではなく「生存本能」だった。
私がいなくなったアルトリア王国は、急速に瘴気に侵食され、今や国全体が腐った沼のようになり果てていたのだ。
城壁の上に、ゼノス様がゆっくりと姿を現した。
その隣には、彼の手をしっかりと握った私が立っている。
「……まだ生きていたのか、アルトリアの羽虫ども」
ゼノス様の声は、低く、地獄の底から響くような冷徹さを孕んでいた。
「エフィア! そこにいるのか!」
エドワードが私を見つけ、身勝手な希望に瞳を輝かせる。
「見ろ、私が迎えに来てやったぞ! 極夜帝国のバケモノに脅されているんだろう? 安心しろ、戻れば公爵令嬢の地位も、聖女の座も返してやる。さあ、今すぐこちらへ来て、この瘴気を消せ!」
私は、彼の言葉を聞いて、ただ静かに首を振った。
「エドワード殿下。一つだけ訂正させてください。私は脅されているのではありません。私は――この方を、心から愛しているのです」
「……っ、何を言っている! 洗脳でもされたのか!?」
「いいえ。洗脳されていたのは、私の方でした。あなたたちの身勝手な理想を押し付けられ、使い潰されることを『幸福』だと思い込まされていた。……けれど、ゼノス様は違いました。彼は、聖女としての力ではなく、私という人間そのものを必要としてくださった」
私はゼノス様の方を向き、微笑んだ。
ゼノス様は私の腰を抱き寄せ、エドワードたちに向かって残酷な笑みを浮かべる。
「聞こえたか。エフィアはもう、お前たちの所有物ではない。……さて、せっかくここまで来たのだ。お前たちが欲しがっていた『聖女の奇跡』を、特等席で見せてやろう」
ゼノス様が私の背中に手を添える。彼の強大な魔力が、私の体へと流れ込んでくる。
これまでは一方的に与えられるだけだったけれど、今の私なら分かる。彼の魔力は、私の光を増幅させるための「鍵」なのだ。
「エフィア、行け。この国をお前の色に染めろ」
私は目を閉じ、胸の奥に眠る光を解き放った。
かつてアルトリアで「無能」と呼ばれた細い魔力の糸が、ゼノス様の闇と混ざり合い、太い黄金の奔流となって空へと駆け上がった。
ドォォォォォン!!
空を覆っていた重い雲が、一瞬で吹き飛んだ。
数百年もの間、極夜帝国が忘れていた「太陽の光」が、地上へと降り注ぐ。
「な……太陽!? 極夜に、太陽が……!?」
帝国の人々が、城下町から、畑から、空を見上げて涙を流している。
光はそれだけでは止まらない。
私の光が大地に染み込むと、凍てついていた土が一気に解け、黄金色の麦穂が波打つように芽生え、実っていった。
一瞬にして、帝国は世界で最も豊かな「豊穣の地」へと変貌を遂げたのだ。
一方で。
その光を浴びたアルトリア王国の軍勢には、悲劇が訪れた。
「ぎゃああああああっ! 熱い、熱いぃぃ!」
エドワードたちの体が、光に焼かれていく。
といっても、私の光は清らかなものを傷つけることはない。彼らが焼かれているのは、彼ら自身の内に溜まった「悪意」と、聖女を蔑ろにしたことで体にこびりついた「瘴気」のせいだった。
「お姉様! 助けて! わたくしの顔が、顔がぁっ!」
ミラが叫びながら地面を転がる。
彼女の肌からは黒い泥のようなものが噴き出し、自慢の美貌は見る影もなく崩れていった。
「エフィア! 私だ、お前の父だ! 悪かった、私が間違っていた! だから助けてくれ!」
父も無様に這いつくばるが、その声が私に届くことはない。
ゼノス様が冷たく言い放つ。
「お前たちに与える救いなどない。……エドワード。お前には、その醜い姿のまま、一生をかけて自分の犯した罪を数えてもらう。お前たちの国は、本日をもって我が帝国の属領……いや、家畜の放牧地とする。王族としての誇りなど、二度と持てると思うな」
「そ、そんな……。私が、私が王になるはずだったのに……」
エドワードは絶望の表情で崩れ落ちた。
彼らは兵士たちに見放され、逃げ惑う群衆に踏みつけられながら、歴史の闇へと消えていった。
***
それから、一年後。
かつての「極夜帝国」は、今や「光の聖帝国」と呼ばれ、世界で最も平和で美しい国として知られていた。
一年中、柔らかな太陽が降り注ぎ、エフィアの魔力によって育てられた薬草や果実は、あらゆる病を癒すと言われている。
城の奥深く、秘密の花園。
私は今、愛する夫となったゼノス様の膝の上に抱かれていた。
「……ゼノス様、そんなにじっと見つめられると、恥ずかしいです」
「一秒でもお前から視線を離すと、どこかへ消えてしまいそうで怖いのだ」
相変わらずの重すぎる愛。
ゼノス様は、皇帝としての公務以外の時間は、文字通り一分一秒たりとも私を離そうとしない。食事も、お風呂も、そして寝る時も、常に彼は私に触れている。
「エフィア、お前は私の命だ。お前を捨てたあの国を滅ぼすだけでは、まだ足りない……。世界中の男からお前を隠してしまいたい」
彼は私の首筋に深く顔を埋め、独占欲を露わにする。
その声は少し震えていて、彼がどれほど私を大切に思っているかが伝わってくる。
「大丈夫ですよ、ゼノス様。私はどこへも行きません。あなたの隣が、私の唯一の居場所ですから」
私は彼の銀髪を優しく撫で、その唇に応えた。
かつてゴミのように捨てられた少女は、今、世界で一番傲慢で、世界で一番不器用な皇帝に、狂おしいほどの愛を捧げられている。
窓の外には、黄金色の麦畑が風に揺れている。
もう二度と、私の心が凍えることはない。
この温かな光の中で、私たちは永遠に、愛し合い続けていくのだから。
fin
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