3

 翌朝、私が目を覚ますと、視界に入ってきたのは見慣れない豪華な天蓋と、すぐ目の前にある「壁」のような胸板だった。


「……あ」


 昨夜の記憶がフラッシュバックする。

 冷え切った私をゼノス様が抱きしめ、魔力を分け与えてくれたのだ。そのおかげか、体は驚くほど軽く、指先の痛みも完全に消えている。


「起きたか、エフィア」


 頭上から降ってきたのは、まだ少し眠気の残る、けれど甘く低い声。

 見上げると、銀髪を乱したゼノス様が、蕩けるような眼差しで私を見つめていた。


「おはようございます、ゼノス様。あの……本当に、お隣で寝ていらしたのですね」

「言っただろう、お前を離すつもりはないと。……顔色が良くなったな。昨夜の光は、やはりお前の真の力だったようだ」


 ゼノス様が指差す窓の外を見て、私は言葉を失った。

 昨日まで吹雪で白一色だったはずの中庭に、色とりどりの花が咲き乱れている。

 凍てついていた噴水は清らかな水を湛え、小鳥たちがさえずっているのだ。


「これ……私がやったのですか?」

「そうだ。お前が眠っている間に、この城の周囲だけ呪いが解けた。極夜帝国の歴史始まって以来の快挙だぞ、我が妃(きさき)よ」


 妃、という言葉に心臓が跳ねる。

 けれど、驚くのはそれだけではなかった。


「さて、今日は忙しいぞ。帝国の重鎮たちにお前を披露し、正式に私の婚約者として発表する。……まずは、その薄汚れた格好をどうにかせねばな」


 ゼノス様がパチンと指を鳴らすと、待機していた侍女たちが一斉に部屋へ入ってきた。

 彼女たちの手には、眩いばかりの宝石、最高級のシルクで作られたドレス、そして見たこともないほど繊細な化粧道具が握られていた。


「陛下、エフィア様をお預かりいたします!」

 昨日まで「ゴミ」と呼ばれていた私を、彼女たちは尊敬と憧れが入り混じった目で見ている。


 数時間に及ぶ身支度の後、姿見の中に映っていたのは、自分でも信じられないような「お姫様」だった。


 淡い若草色のドレスは私の瞳の色を引き立て、アルトリアでは「地味」と言われていたプラチナブロンドの髪は、帝国の魔力を含んだ化粧油で真珠のような輝きを放っている。


「……信じられない。これ、本当に私……?」


「ああ、世界で一番美しい私の宝だ」


 いつの間にか背後に立っていたゼノス様が、私の腰を強く引き寄せた。

 鏡越しに見る彼は、漆黒の正装に身を包み、まるで絵画から抜け出してきた騎士のよう。


「行こう。お前を無能と嘲笑った世界に、真実を見せつけてやる」




 ***


 ゼノス様にエスコートされ、私は謁見の間へと向かった。

 そこには帝国の貴族や騎士たちが詰めかけていたが、私の姿を見た瞬間、場内は静まり返った。


「あれが……アルトリアから送られた供物?」

「なんて美しいんだ。まるで春の女神そのものではないか……」

「見ろ! 彼女が歩く絨毯から、花の香りが漂ってくるぞ!」


 ざわめきが驚嘆へと変わる。

 私はかつて、アルトリアの夜会では常にミラの引き立て役でしかなかった。壁の花として無視されるのが当たり前だった。

 けれど今、この国で最も高貴な男の隣で、私は誰よりも輝いている。


 ゼノス様が玉座の前で足を止め、冷厳な声で宣言した。


「聞け! これより、エフィア・ルミナスを私の唯一の婚約者、そして帝国の聖女として迎える。彼女を侮辱する者は私を侮辱するも同義。その首が胴体と繋がっていると思うな」


 その言葉と共に、広間の窓から黄金色の光が差し込んだ。

 エフィアの魔力が無意識に溢れ出し、城全体を包み込んだのだ。


 人々は感極まったように膝をつき、祈りを捧げ始めた。

「聖女様……! 極夜に光を運んでくださった、真の聖女様だ!」


 その時。

 広間の入り口から、空気を読まない傲慢な声が響いた。


「おい、どけ! アルトリア王国からの特使であるこの私を通せ!」


 現れたのは、かつて私を「無能」と罵り、妹のミラと共謀して私を追い出したエドワード王子の側近、バロン伯爵だった。


 彼は私を見て、一瞬呆然と目を見開いた。

「な……エ、エフィア!? その姿は一体……。いや、そんなことより、陛下! この女を今すぐアルトリアへ返していただきたい!」


 ゼノス様の瞳が、一瞬で氷点下まで冷え込んだ。

「……ほう。一度ゴミとして捨てたものを、今さら返せと言うのか?」


「そ、それは……! 実は、エフィアが去ってからというもの、我が国の結界が急速に弱まり、作物が枯れ始め、瘴気が溢れ出しているのです! ミラの聖女の力では、浄化が追いつかないのです!」


 バロンの言葉に、私は心の中で冷たく笑った。

 当たり前だ。私は十年間、一日も欠かさず自分の魔力を削って、あの国の土壌と空気を浄化し続けてきたのだから。


「エフィア、聞こえたか? 戻りたいか?」

 ゼノス様が私の耳元で囁く。


 私はバロンをまっすぐに見つめ、凛とした声で答えた。

「バロン様。私はもうルミナスの名を捨てました。エドワード殿下からは『二度と戻るな』と言われ、家族からも縁を切られました。……今の私は、極夜帝国の人間です」


「なっ、貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか! 国が滅んでもいいというのか!」


「お前たちが勝手に滅びる分には構わん」

 ゼノス様がバロンの前に一歩踏み出す。その圧倒的な威圧感に、バロンは腰を抜かして床にへたり込んだ。


「エフィアは私の妃だ。アルトリアの汚物どもに貸し出す義理はない。……貴様、戻って主人に伝えろ。これ以上エフィアに付きまとうなら、この極夜帝国の全戦力をもって、アルトリアを地図から消し去ってやるとな」


「ひ、ひいぃぃっ!」


 バロンは無様に逃げ出していった。

 その背中を見送りながら、私はゼノス様の腕をそっと掴んだ。


「……ありがとうございます、ゼノス様」

「礼などいらん。……だがエフィア。一つだけ覚悟しておけ」


 彼は私の顎をくいっと持ち上げ、深い口づけを落とした。

 大勢の貴族が見ている前で、情熱的に、独占欲を誇示するように。


「お前を苦しめた奴らには、死よりも辛い絶望を与えてやる。それまで、私の隣で一番幸せな女として笑っていればいい」




 ***


 数日後。

 アルトリア王国の王宮では、地獄のような光景が広がっていた。


「どういうことだ、ミラ! なぜ聖水が腐っている!」

 エドワード王子の怒号が響く。


「わ、わかりませんわ! わたくしは祈っているのに……お姉様が、お姉様が呪いをかけていったに違いありませんわ!」


 ミラの美しい顔は、恐怖で引きつっていた。

 彼女の指先からは、かつての輝きは失われ、代わりにおどろおどろしい黒い霧が漏れ出している。


 そこへ、逃げ帰ったバロンが報告を届けた。

「で、殿下! エフィアが……エフィアが極夜帝国の皇帝の寵愛を受け、驚異的な聖女の力を発揮しております! 彼女がいなければ、我が国はあと一ヶ月も持ちません!」


「なんだと……!? あの無能が、そんなはずはない!」


 エドワードは拳を机に叩きつけた。

 彼はまだ認めたくなかったのだ。

 自分が手放したものが、実は唯一無二の至宝であったことを。

 そして、その宝を手に入れたのが、世界で最も恐ろしい「死神」のような皇帝であることを。


「……全軍を招集しろ。力ずくでもエフィアを連れ戻す。あいつは私の婚約者だったのだ、私の言うことを聞く義務がある!」


 破滅への足音が、すぐそこまで迫っていた。

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