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 ゼノス様に抱きかかえられたまま、私は城の奥へと進んでいく。  

 廊下ですれ違う騎士や侍女たちは、皇帝が薄汚れた女を――それも、まるで壊れ物を扱うように大切に抱えている姿を見て、幽霊でも見たかのように目を見開き、慌てて平伏した。


「陛下、そちらの女性は……?」  

 初老の執事が恐る恐る尋ねる。


「私の部屋へ連れて行く。最高級の湯浴みの用意と、消化に良い温かい食事をすぐに準備しろ。それから、国一番の医師を叩き起こしてこい」

「は、はいっ! 直ちに!」


 私の部屋?  

 思考が追いつかないまま、通されたのは城の最上階にある、皇帝の私室だった。  


 黒と銀を基調とした、広すぎて落ち着かないほど豪華な部屋。

 けれど、暖炉には赤々と火が燃え、部屋全体が春のように暖かい。


「……下ろして、いただけますか?」  

 さすがに恥ずかしくて小声で言うと、ゼノス様は不満げに眉を寄せたが、ふかふかの絨毯の上に私を立たせてくれた。


「まずはそのボロ布を脱げ。見ていて不愉快だ」  


 彼は私の修道服の襟元に手をかけた。


「ひゃっ!? ご、自分てやります!」

「お前の指は凍傷で動かんだろう。それに、これから私のものになる女の体を、侍女ごときに触れさせるつもりはない」


 えええっ!?  


 抵抗する間もなく、私の服は魔法のように脱がされ、私は下着一枚の姿になってしまった。

 恥ずかしさで顔から火が出そうだ。


 しかし、ゼノス様の視線に邪な色はなかった。  

 彼は私のやせ細った腕や、青白く変色した指先を見て、紅い瞳を痛ましげに歪めた。


「……アルトリアの豚どもめ。よくもここまで国宝を粗雑に扱ったものだ」


 彼は私をそのまま浴室へと連れて行った。

 湯船には、芳しい香りのハーブと花びらが浮かんでいる。  

 温かいお湯に浸かると、凍りついていた体の芯がじんわりと解けていくようで、思わず涙がこぼれた。


 湯上がりの私を待っていたのは、最高級のシルクで織られたネグリジェと、温かいスープだった。  

 夢中でスープを飲み干すと、急激な眠気が襲ってきた。

 長旅の疲れと、緊張の糸が切れたせいだろう。


「眠いか。ならば、寝るがいい」


 ゼノス様は私を、天蓋付きの巨大なベッドへと運んだ。  

 絹のシーツに沈み込む感覚は、まるで雲の上にいるようだ。  


 けれど、彼は部屋を出て行こうとはしなかった。

 それどころか、軍服の上着を脱ぎ捨て、なんと私の隣に横たわったのだ。


「ぜ、ゼノス様!? あの、何を……」

 心臓が口から飛び出しそうになる。

 まさか、このまま……?


 ゼノス様は私の硬直した体を、背後から強く抱きしめた。

 彼の体温は驚くほど高く、まるで暖炉そのもの。


「勘違いするな。お前の魔力は枯渇寸前だ。このままでは、この国の寒気に耐えられず死ぬぞ」

 彼の低い声が、耳元をくすぐる。

「我が一族は、接触することで他者に魔力を譲渡できる。私の魔力を分けてやる。だから、大人しくしていろ」


 魔力譲渡……。

 そんな高度な技術、お伽話の中でしか聞いたことがない。

 けれど、彼の体に触れている部分から、熱い奔流のような力が私の体内に流れ込んでくるのが分かった。

 それは、アルトリア王国で感じていたどんな魔力よりも強大で、そして荒々しい。


「……っ、熱い……です」

「我慢しろ。お前の空っぽの器を満たすには、これでもまだ足りん」


 彼は私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。

「……それにしても、良い香りだ。お前からは、春の陽光のような匂いがする」


 冷酷皇帝と恐れられる男が、子供のように私に甘えている。

 そのギャップに、私の心臓は早鐘のように鳴り続けた。

 彼の腕の中は、これまでの人生で一番安全で、温かい場所だった。


(ああ……もう、何も考えられない……)


 私は彼の体温と魔力に包まれ、深い眠りに落ちていった。




 ***


 異変が起きたのは、私が眠りに落ちた直後だった。


 ゼノスは、腕の中の少女が安らかな寝息を立て始めたのを確認し、自嘲気味に笑った。

(魔力譲渡などと、我ながら苦しい言い訳だ。ただ、この光を独占したかっただけだろう)


 彼、ゼノス・フォン・ドラグーンは、生まれながらにして強大すぎる氷と闇の魔力を持っていた。その力は彼自身をも蝕み、常に体の内側から凍りつくような苦痛と、破壊衝動を与え続けてきた。


 これを彼は「呪い」と呼んでいる。


 この呪いを鎮められるのは、対極にある「光の魔力」だけ。

 しかし、極夜帝国に光の魔術師は存在しない。


 だからこそ、アルトリア王国から廃棄されたというこの元聖女に、わずかな期待をかけたのだ。


 だが、現実は彼の予想を遥かに超えていた。


「……なんだ、これは」


 エフィアの体から、柔らかな黄金色の光が溢れ出した。

 それは、ゼノスが与えた魔力に呼応するように、爆発的に膨れ上がった。


 光は部屋中を満たし、窓の外へと広がっていく。

 信じられない光景が広がった。


 窓辺に飾られていた、永久凍土でしか育たない氷の花が、一瞬にして美しいピンク色の薔薇へと変化した。

 さらに、窓の外――一年中吹雪が止むことのない中庭の雪が溶け、そこから青々とした若草が芽吹き始めたではないか。


「馬鹿な……。城の結界すら超えて、環境そのものを変えただと……?」


 そして何より、ゼノス自身の体に変化が起きていた。

 生まれてから一日たりとも止むことのなかった、体の奥底の「凍える痛み」が、消えていたのだ。

 代わりに満ちてくるのは、これまで感じたことのない安らぎと、充足感。


「……くくっ、ははははは!」


 ゼノスは低く笑い声を上げた。

 歓喜と、そして怒りが入り混じった笑いだ。


「アルトリアの王族は、目玉が腐っているのか? これほどの力を『無能』だと? 雑草を枯らすどころか、死の大地に春を呼ぶ力ではないか!」


 彼は眠るエフィアの額に、恭しく口づけを落とした。


「やはりお前は、私の宝だ。エフィア。お前の力は、私が必ず守り抜く。そして――」


 彼の紅い瞳が、獰猛な光を帯びる。


「お前を捨てた愚か者たちには、それ相応の『対価』を支払わせなければな」




 ***


 一方その頃。アルトリア王国の王都では、小さな異変が起きていた。


「きゃあっ! 何よこれ!」


 新しい聖女となったミラが、王宮の庭園で悲鳴を上げた。

 彼女が自慢の「光の魔法」で咲かせたはずの花壇が、一夜にしてドス黒く枯れ果て、そこから微かな瘴気が立ち上っていたのだ。


「エドワード様! これはどういうことですの!? わたくしの力が通じませんわ!」


 駆けつけた第一王子エドワードも、顔色を青くする。


「落ち着けミラ。たまたま調子が悪いだけだろう。君は真の聖女なのだから」


 二人はまだ気付いていなかった。

 彼らが追い出したエフィアこそが、この国の瘴気を一身に引き受け、浄化し続けていた「要」であったことに。

 そして、その要を失った王国が、ゆっくりと、しかし確実に腐敗へと向かい始めたことに。

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