2
ゼノス様に抱きかかえられたまま、私は城の奥へと進んでいく。
廊下ですれ違う騎士や侍女たちは、皇帝が薄汚れた女を――それも、まるで壊れ物を扱うように大切に抱えている姿を見て、幽霊でも見たかのように目を見開き、慌てて平伏した。
「陛下、そちらの女性は……?」
初老の執事が恐る恐る尋ねる。
「私の部屋へ連れて行く。最高級の湯浴みの用意と、消化に良い温かい食事をすぐに準備しろ。それから、国一番の医師を叩き起こしてこい」
「は、はいっ! 直ちに!」
私の部屋?
思考が追いつかないまま、通されたのは城の最上階にある、皇帝の私室だった。
黒と銀を基調とした、広すぎて落ち着かないほど豪華な部屋。
けれど、暖炉には赤々と火が燃え、部屋全体が春のように暖かい。
「……下ろして、いただけますか?」
さすがに恥ずかしくて小声で言うと、ゼノス様は不満げに眉を寄せたが、ふかふかの絨毯の上に私を立たせてくれた。
「まずはそのボロ布を脱げ。見ていて不愉快だ」
彼は私の修道服の襟元に手をかけた。
「ひゃっ!? ご、自分てやります!」
「お前の指は凍傷で動かんだろう。それに、これから私のものになる女の体を、侍女ごときに触れさせるつもりはない」
えええっ!?
抵抗する間もなく、私の服は魔法のように脱がされ、私は下着一枚の姿になってしまった。
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
しかし、ゼノス様の視線に邪な色はなかった。
彼は私のやせ細った腕や、青白く変色した指先を見て、紅い瞳を痛ましげに歪めた。
「……アルトリアの豚どもめ。よくもここまで国宝を粗雑に扱ったものだ」
彼は私をそのまま浴室へと連れて行った。
湯船には、芳しい香りのハーブと花びらが浮かんでいる。
温かいお湯に浸かると、凍りついていた体の芯がじんわりと解けていくようで、思わず涙がこぼれた。
湯上がりの私を待っていたのは、最高級のシルクで織られたネグリジェと、温かいスープだった。
夢中でスープを飲み干すと、急激な眠気が襲ってきた。
長旅の疲れと、緊張の糸が切れたせいだろう。
「眠いか。ならば、寝るがいい」
ゼノス様は私を、天蓋付きの巨大なベッドへと運んだ。
絹のシーツに沈み込む感覚は、まるで雲の上にいるようだ。
けれど、彼は部屋を出て行こうとはしなかった。
それどころか、軍服の上着を脱ぎ捨て、なんと私の隣に横たわったのだ。
「ぜ、ゼノス様!? あの、何を……」
心臓が口から飛び出しそうになる。
まさか、このまま……?
ゼノス様は私の硬直した体を、背後から強く抱きしめた。
彼の体温は驚くほど高く、まるで暖炉そのもの。
「勘違いするな。お前の魔力は枯渇寸前だ。このままでは、この国の寒気に耐えられず死ぬぞ」
彼の低い声が、耳元をくすぐる。
「我が一族は、接触することで他者に魔力を譲渡できる。私の魔力を分けてやる。だから、大人しくしていろ」
魔力譲渡……。
そんな高度な技術、お伽話の中でしか聞いたことがない。
けれど、彼の体に触れている部分から、熱い奔流のような力が私の体内に流れ込んでくるのが分かった。
それは、アルトリア王国で感じていたどんな魔力よりも強大で、そして荒々しい。
「……っ、熱い……です」
「我慢しろ。お前の空っぽの器を満たすには、これでもまだ足りん」
彼は私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「……それにしても、良い香りだ。お前からは、春の陽光のような匂いがする」
冷酷皇帝と恐れられる男が、子供のように私に甘えている。
そのギャップに、私の心臓は早鐘のように鳴り続けた。
彼の腕の中は、これまでの人生で一番安全で、温かい場所だった。
(ああ……もう、何も考えられない……)
私は彼の体温と魔力に包まれ、深い眠りに落ちていった。
***
異変が起きたのは、私が眠りに落ちた直後だった。
ゼノスは、腕の中の少女が安らかな寝息を立て始めたのを確認し、自嘲気味に笑った。
(魔力譲渡などと、我ながら苦しい言い訳だ。ただ、この光を独占したかっただけだろう)
彼、ゼノス・フォン・ドラグーンは、生まれながらにして強大すぎる氷と闇の魔力を持っていた。その力は彼自身をも蝕み、常に体の内側から凍りつくような苦痛と、破壊衝動を与え続けてきた。
これを彼は「呪い」と呼んでいる。
この呪いを鎮められるのは、対極にある「光の魔力」だけ。
しかし、極夜帝国に光の魔術師は存在しない。
だからこそ、アルトリア王国から廃棄されたというこの元聖女に、わずかな期待をかけたのだ。
だが、現実は彼の予想を遥かに超えていた。
「……なんだ、これは」
エフィアの体から、柔らかな黄金色の光が溢れ出した。
それは、ゼノスが与えた魔力に呼応するように、爆発的に膨れ上がった。
光は部屋中を満たし、窓の外へと広がっていく。
信じられない光景が広がった。
窓辺に飾られていた、永久凍土でしか育たない氷の花が、一瞬にして美しいピンク色の薔薇へと変化した。
さらに、窓の外――一年中吹雪が止むことのない中庭の雪が溶け、そこから青々とした若草が芽吹き始めたではないか。
「馬鹿な……。城の結界すら超えて、環境そのものを変えただと……?」
そして何より、ゼノス自身の体に変化が起きていた。
生まれてから一日たりとも止むことのなかった、体の奥底の「凍える痛み」が、消えていたのだ。
代わりに満ちてくるのは、これまで感じたことのない安らぎと、充足感。
「……くくっ、ははははは!」
ゼノスは低く笑い声を上げた。
歓喜と、そして怒りが入り混じった笑いだ。
「アルトリアの王族は、目玉が腐っているのか? これほどの力を『無能』だと? 雑草を枯らすどころか、死の大地に春を呼ぶ力ではないか!」
彼は眠るエフィアの額に、恭しく口づけを落とした。
「やはりお前は、私の宝だ。エフィア。お前の力は、私が必ず守り抜く。そして――」
彼の紅い瞳が、獰猛な光を帯びる。
「お前を捨てた愚か者たちには、それ相応の『対価』を支払わせなければな」
***
一方その頃。アルトリア王国の王都では、小さな異変が起きていた。
「きゃあっ! 何よこれ!」
新しい聖女となったミラが、王宮の庭園で悲鳴を上げた。
彼女が自慢の「光の魔法」で咲かせたはずの花壇が、一夜にしてドス黒く枯れ果て、そこから微かな瘴気が立ち上っていたのだ。
「エドワード様! これはどういうことですの!? わたくしの力が通じませんわ!」
駆けつけた第一王子エドワードも、顔色を青くする。
「落ち着けミラ。たまたま調子が悪いだけだろう。君は真の聖女なのだから」
二人はまだ気付いていなかった。
彼らが追い出したエフィアこそが、この国の瘴気を一身に引き受け、浄化し続けていた「要」であったことに。
そして、その要を失った王国が、ゆっくりと、しかし確実に腐敗へと向かい始めたことに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます