溺愛時代 26年 1月

あおとあい

ゴミのように捨てられた無能聖女は、隣国の冷酷皇帝に「世界の宝」と愛し抜かれる 〜今さら戻れと言われても、あなたの居場所はもうありません〜

1

「エフィア・ルミナス! 貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」


 豪華絢爛な王宮の夜会。

 シャンデリアの輝きが、私の絶望をこれ以上ないほど鮮明に照らし出していた。

 私の婚約者――このアルトリア王国の第一王子、エドワードが、私の妹であるミラをその腕に抱き寄せ、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「殿下……それは、どういうことでしょうか。私は今日まで、聖女としてこの国の結界を守り続けてきました。それなのに……」

「黙れ、無能が! 貴様の聖女の力は、日を追うごとに衰え、今や雑草を枯らす程度の価値もないと聞いている。それに引き換え、ミラを見ろ! 彼女こそが真の『光の聖女』として目覚めたのだ!」


 ミラの、可憐で、けれど蛇のように冷たい瞳が私を射抜く。

「お姉様、ごめんなさいね。お姉様が力を失ったのは、きっと日頃の行いが悪かったからだわ。お父様もお母様も、そうおっしゃっているのよ?」


 周囲を見渡せば、かつて私を「国の希望」と崇めた貴族たちが、今は汚いものを見るような目で私を見下している。  

 私の父――ルミナス公爵までもが、冷淡に言い放った。


「エフィア、我が公爵家に無能な娘はいらぬ。今すぐこの場から去れ。二度とルミナスの名を口にするな」


 胸の奥が、凍りつくような音を立てて砕けた。  

 私は、幼い頃から自由を捨てて修練に励んできた。指先から血が流れても、眠る間も惜しんで、この国に降り注ぐ瘴気を浄化し続けてきた。その結果、私の魔力が一時的に枯渇しかけているのを、彼らは「無能」と切り捨てたのだ。


「……わかりました。そこまでおっしゃるのなら、私は喜んでこの国を去ります」


 私はドレスの裾を掴み、最後のリベランス(お辞儀)をした。  

 もう、この国のために祈ることはない。

 そう決めた瞬間、心の中の重荷がすとんと落ちた気がした。


「ふん、強がりを。せいぜい野垂れ死ぬがいい。ああ、そうだ。お前を欲しがっている国が一つだけあってな。北の『極夜帝国』だ。あそこの冷酷皇帝、ゼノスへの『手土産』として送ってやる。死にたくなければ、あの化け物の相手でもしているがいい!」


 極夜帝国。  

 一年中が冬に閉ざされ、太陽の光が届かない呪われた地。

 そして、その支配者であるゼノス・フォン・ドラグーンは、戦場では鬼神の如く振る舞い、気に入らない者は身内であっても斬り捨てる「冷酷皇帝」として恐れられている。


 私はその夜のうちに、薄汚れた馬車に押し込められた。  

 持たされたのは、ボロボロの修道服が一枚と、わずかな水だけ。  

 かつての家族や婚約者が、温かいホールで祝杯を上げている頃、私は凍てつく吹雪の中、北へと向かった。




 ***


 馬車に揺られること三日。  

 窓の外は、すでに白銀の世界だった。

 空は重く、太陽の代わりに禍々しい魔力のオーラが渦巻いている。


 ついに馬車が止まり、荒々しく扉が開かれた。

「おい、着いたぞ。降りろ」


 護衛の兵士に突き飛ばされ、私は雪の上に倒れ込む。  

 目の前には、黒い石で作られた威圧的な城がそびえ立っていた。


「……ここが、極夜帝国の城……」


 寒さで指先の感覚がない。

 息をするだけで肺が凍りそうだ。  

 すると、城の巨大な門がゆっくりと開き、一人の男が歩いてきた。


 周囲の空気が、一瞬で張り詰める。  

 漆黒の軍服を纏い、銀色の髪を風になびかせたその男は、芸術品のように整った、けれど氷のように冷徹な美貌を持っていた。  

 紅い、血のような瞳が、雪の上にへたり込む私をじっと見下ろす。


「……それが、アルトリアから送られてきた『供物』か?」


 低く、地響きのような声。

 彼こそが、冷酷皇帝ゼノスだ。


 兵士が卑屈な笑みを浮かべて答える。

「はっ! 元聖女のゴミですが、顔だけは整っております。お好きに処刑するなり、慰みものにするなり……」


 ゼノスは私に近づき、無造作にその大きな手を伸ばした。


(殺される……!)  


 私は反射的に目を閉じた。


 けれど、訪れたのは痛みではなかった。

 私の頬に触れたのは、驚くほど熱く、けれど優しい指先だった。


「……ひどい有様だな。身体の芯まで冷え切っている」


 え……?  


 目を開けると、ゼノスが私を覗き込んでいた。

 その紅い瞳には、噂に聞いていた残虐さではなく、深い飢餓感と、それ以上に強烈な「欲望」の色が混じっている。


「アルトリアの王太子の言葉を覚えているか? お前をゴミとして捨てたあの言葉だ」


 私は震えながら頷いた。  

 ゼノスはふっと口角を上げ、残酷なまでに美しい微笑を浮かべる。


「いいか。この帝国において、お前を無能と呼ぶ者は一人もいない。なぜなら――」


 彼は私を軽々と横抱きに――いわゆるお姫様抱っこで抱え上げた。  

 彼の胸板の厚さと、そこから伝わってくる圧倒的な生命力。冷え切った私の身体が、一気に熱を帯びる。


「お前が纏っているその残り香のような魔力。それこそが、この数百年、我が帝国が待ち望んでいた『唯一の光』だ」


 ゼノスは背後の兵士たちを一瞥し、冷たく言い放った。

「アルトリアの使者に伝えろ。この女はこれより、私の妃……否。この帝国の『宝』として、私が直々に管理する。指一本触れる者は、一族郎党皆殺しだとな」


「ひいぃっ!」


 怯える兵士たちを捨て置き、ゼノスは私を抱えたまま城の中へと歩き出した。  

 暖かい毛皮の感触。そして、彼の首筋から漂う、冬の森のような凛とした香り。


「お前、名は?」

「……エ、エフィア……です」

「エフィアか。良い名だ。これからは私がすべてを与えてやる。食事も、衣類も、居場所も……。お前を捨てた者たちが、絶望でのたうち回るほどにな」


 彼の腕の中で、私は生まれて初めて「守られている」という確信を抱いた。  

 アルトリア王国で聖女としてすり潰されていた日々が、遠い過去のように感じられる。


 これが、私たちの始まりだった。  

 そして、私の内に眠る「真の力」が、この帝国の凍てついた大地を溶かす奇跡であることを、この時の私はまだ知らなかった。

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