08:覚醒の可能性


――悠斗はVRゲームをプレイ中の事故で意識が戻らない――。


 VR?事故?昨日? ⋯⋯嘘でしょ。

 今日、ボクと一緒に体験するはずだった、あのイベントのこと?なんで、ボクが来るのを待たずに一人で行っちゃったの⋯⋯?


「エリオットさん、いえ、エリスさんでしたわね。悠斗⋯⋯あなたと出かける前の『下見』をしてくるって言って、昨日一人で出かけて行ったんです⋯⋯」


 下見⋯⋯。

 ボクに怖い思いをさせないために、先に一人で確かめに行ったっていうの?

 馬鹿。ユートの馬鹿!


 ボクが来日しなきゃ、こんなことには⋯⋯。


「ユート君のお母サン、ユート君に会えますカ?病院はドコですカ?」

「帝王大学附属病院ですが⋯⋯エリスさん、場所はお分かりになりますか?」

「⋯⋯ワカリマセン。日本に来るの、初めてなのデ⋯⋯」

「でしたら、今どちらにいらっしゃいますか?私が車でそちらまでお迎えにいきますから、一緒に行きましょう」


 その申し出に甘え、ボクは新軸駅で美悠紀さんを待った。

 迎えに来てくれた彼女は憔悴しきっていたけれど、ユートによく似た面影を持つ、優しそうな人だった。


 病院へ向かう車の中で、彼女はさらに詳しい状況を教えてくれた。ユートは原因不明の昏睡状態に陥っており、医師たちも頭を抱えているのだという。


 一時間半ほど車に揺られ、ボクたちは帝王大学附属病院に到着した。

 広大なキャンパスに隣接した、近代的な巨大施設。ボストンの教授から「日本屈指の最先端医療を扱う病院だ」と聞いていた場所だ。


 美悠紀さんに案内され、長い廊下の先にある集中治療室(ICU)へと向かう。ガラス越しに見えたのは、無数の電極とチューブに繋がれ、ベッドで静かに眠るユートの姿だった。


 顔色は青白いけれど、その寝顔は驚くほど穏やかで⋯⋯本当に、いつもEIOで見慣れている彼のアバターにそっくりだった。


 特別な許可を得て病室に入り、ボクはそっとユートの手を握った。

 ⋯⋯少し、冷たい。


「ユート⋯⋯エリオット⋯⋯いえ、エリスだよ。日本に、会いに来たんだよ⋯⋯」


 話しかけてみたけれど、ユートからの反応はなかった。

 そこへ、白衣を着た医師――市川先生が入ってきた。


「ご家族の方ですね。⋯⋯悠斗君の現在の状況について、少しご説明したいことがあります」

「あ⋯⋯ボ、ワタシも、お話、聞いても良いですカ?」


 ボクは思わず身を乗り出した。市川医師は少し意外そうな顔をしたが、美悠紀さんの同意を得て、モニターの数値を指しながら説明を始めた。


「瀬島悠斗君は昨日、VRイベントに参加中、脈拍が異常に上昇しました。心拍数は百五十を超え、脳波には極度のパニック状態を示す波形が観測されています」「そのアトラクションの内容は、ドノようなものだったのですカ?」

「仮想空間での『バードビュー』⋯⋯空中散歩だそうです」


 やっぱり。ユートは極度の高所恐怖症だと言っていた。

 VRのリアルすぎる映像と浮遊感に、彼は逃げ場のない恐怖を感じていたんだ。


「その最中、会場で大規模な電力供給トラブルが発生しました。システムが不安定になる中、彼が使用していたデバイスはセーフティが正常に作動せず、脳に強いノイズを流し込んだまま強制終了した形跡があります。他の参加者は軽症でしたが、彼は⋯⋯パニックのピーク時に『支え』を失い、脳が自己防衛のために、外部からの情報を完全に遮断してしまったようです」


「⋯⋯光過敏性発作の可能性は、ありまスか?」


 VR機器の異常終了時に起こりうる、強い光刺激による発作。ボクの専門分野でもある質問に、市川医師は驚いたように頷いた。


「ええ、その疑いも考慮しています。ですが、現在最も不可解なのは、器質的な損傷がないにもかかわらず、深い昏睡⋯⋯JCSで三〇の状態から全く変化がないことです」


 ――JCS(ジャパン・コーマ・スケール)。

 ボクが学んできたアメリカの指標とは違うけれど、日本で主流のこの方式の意味は理解できる。


 それは、強い痛み刺激を加え続けて、ようやく辛うじて目を開ける⋯⋯二桁ランクでは最も重い数値。


 一瞬だけ開くその瞳には、光がない。

 呼びかけにも応じず、刺激をやめれば、彼はすぐにまた深い眠りの底へと沈んでしまう。


「まだ事故から二日目です。急性期の反応として一時的なものなら良いのですが⋯⋯このまま数週、数ヶ月と回復の兆しがなければ、いずれは長期的な意識障害を覚悟しなければなりません。現代医学では、彼が自ら『目覚めたい』と願わない限り、物理的に覚醒させる手段はないのです」


 市川医師の言葉が、冷たく病室に響いた。

 脳が、閉じこもってしまった。


 空中に放り出された恐怖の中で、縋るものも、握るべき手もなかった。

 独りきりで絶望に直面したユートの心は、自分を深い闇の奥へと閉じ込めてしまったんだ。


(⋯⋯ボクがいれば。ボクが、隣で彼の手を握ってさえいれば、こんなことには⋯⋯!)


 後悔が胸を締め付ける。

 でも、もし原因が「心の封鎖」なら。


 ボストンから持ち込んだ、ボクの研究室の試作機――脳の深層領域に直接介入するあのデバイスを使えば、ボク自身が彼の心の中へ入り込み、その「手」を握ることができるかもしれない。


 待ってて、ユート。 今度はボクが、君を救いに行くから。

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2026年1月10日 21:00
2026年1月11日 21:00
2026年1月12日 21:00

ヴァーチャル・バウンダリィ・クロニクル ~そのVRは人類の檻。騎士に覚醒した少年は、偽りの神を討滅する!~ 白石誠司 @sage_dialog

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