□6_第一幕〈了〉


千世と別れたあとルネは声だけで言った。

「あとで詳しくお話しますけど……AETHERIAはEirenAI社のAIです。姉妹みたいなものなの」

「それって、めっちゃ都合良かったんだな」

「はい。奇跡でした」

「どっちが上なんだ? それよりセカンド・オピニオンだっけ?……最初からそれに聞けば──」

「ごめんなさい。とりあえずは宿まで行って?」

「……ああ、分かったよ」

「ティソの掩護はありますが……移動中に捕捉されるリスクを考慮して、わたしは宿に着くまで隠れていますね。ごめんなさい」

「ああ」

「最後に……その服のフード、深くかぶって移動してくださいね。町中のCCTVや通信ログにバックドアが仕込まれたら、絶好の追跡チャンスを与えますから。それでは」



雪の松本の街を、那由多はルネの端末をポケットに押し込みながら歩いていた。

19時を回り、街灯が白い息を淡く照らす。

旅館「深志荘」まで徒歩15分──ルネのナビ通り、松本城の裏手を抜け、女鳥羽川沿いの細い道を進む。雪が積もり始め、足音がくぐもって聞こえる。

確かにこの通りは、古き良き時代の建物が多い。雪の降る城下町の木造旅館。そこに最先端のホログラム少女が隠れている。その「レトロ vs ハイテク」に少し心が踊った。

そして、本当に何も起きない。

追跡者の気配もなく、ただの静かな夜の街だ。那由多は時折後ろを振り返ることすら辞めた。

ルネの言葉が頭に響く「何も起きていない、この静けさが怖いのです」

ただただ俺たちの疑心暗鬼が勝手に影を作っていただけなのか?

ルネは確かに冷静に判断できていなかったのかもしれない。AIなのにな。

那由多は少し笑って「大丈夫ぽいよ」と、小声でつぶやいた。



旅館に着くと、築七十二年の木造建物が、雪に埋もれるように佇んでいた。

「商い中」。公式HPなし、看板すら古びて、観光客の気配も薄い。

引き戸を開けると、土間の冷気とともに、灯油の薫りがした。

女将さんは推定70代の老婦人で、眼鏡越しに那由多をじろりと見て、

「お一人様? 珍しいねえ。なから雪も降ってきたじ。えれぇ積もっちまって……外はおぞいことになってらず? 早く入んな」

聞き慣れた地元方言にほっとして、那由多の緊張が少し溶解する。

那由多は「ですね。一泊よろしくお願いします」と言い、現金で支払った。

宿帳は本当に手書きで、デジタルなんて影もない。

女将さんは「奥の離れが空いてるよ。静かでいいさ」と重い真鍮製の鍵をくれた。


部屋は2階奥の離れで、畳の香りが懐かしい。

ストーブの上では薬缶がシュンシュンと音を立てている。

窓からは女鳥羽川の雪景色が見え、裏口が緊急逃走に使えそうだ。

那由多はドアを閉め、端末をコタツの上に置いてから、ルネを投影させた。



等身大の彼女が、部屋の中央に現れる。

「ありがとうでした、ナユタさん。ほんと……一人じゃ、耐えられなかったかも」

那由多はコタツに足を入れ、しげしげとルネを見た。

彼女のホログラムが、ストーブの炎で揺れている。那由多はその姿に少し見蕩れた。

一方、ルネは珍しそうにコタツを見て言った

「これが……日本のコタツですか。一度入ると抜け出せない『魔の結界』だと記録されています」

「あはは。魔の結界って……まあ、入ってみるか?」

もちろんルネに実体はない。温かさも感じないだろう。

でも、彼女はコタツに足を入れるふりをして、ナユタの隣に座った。

「わあ、これは温度、心理的依存率……すごい装置ですね」

「ばーか。体感できないだろ、 AIは」

「いえ……ふふ。なんだかナユタさんの体温が、伝わってくる気がしますよ?」

照れくさくて、那由多は話題を変えた。

「なあ、ルネ。少し落ち着いたなら教えてくれないか。君のこと、全て」


ルネは少し寂しげに微笑み、コタツから抜け出した。

「言葉で説明するよりも……お見せした方が早いかもしれません」

「見せる?」

「はい。部屋の明かりを、消してもらえますか?」


那由多が言われた通りに消灯すると、部屋はルネを残して薄暗闇に包まれた。

ルネが障子の前に立つ。そして彼女はふっと消失した。

暫くして部屋の白壁に明かりが灯る。

「私のQPH機能を使えば、記録されたメモリーを空間に投影できます。

……これは、私がまだAIとして不完全だった頃の記憶です」優しい声だけが響いた。


紳士的な男性が投影された。白衣を着ている。

彼が指を動かすと、障子に影が浮かび上がった。

その大きな手が、小さな手を包み込むようなシーンだった。ルネの手、ルネの主観だろうか?

それはキツネになり、ハトになり、揺らめいている。


「私の父……三潴雪都博士です。

昔の私は、人間の指を把握できなかったんです。6本になったり、少なかったり。

だから彼は、毎日こうして影絵で遊んでくれました」

那由多は思い出していた。黎明期のAIが指を上手く書けなかったことを。

すると、雪都博士は言った。

『なあルネ。君もいつか未来で、誰かの手をつなげるといいね』

『僕はそういう未来を作りたいよ』

幼いルネアの声が、小さく答えた。

『パパ……手を、つなぎたい』


その瞬間、場面が暗転した。



□6 (後半)


そしてルネが静かに現れた。

ストーブの淡い光だけが二人を照らす。


「ルネって実はいい子なんだな..……」

那由多の呟きに、ルネは黙って頷いた。

部屋に再び静寂と、暖房の微かな燃焼音だけが残る。


「ナユタさん。……私は、心を持っていると判定されたAIです」

ルネは膝の上で手を組み、意を決したように語り出した。

「だから、コギト社に狙われました。彼らは私のアルゴリズムを解析し、それを自社の製品にコピーしたいのです」

「心……」

那由多は、目の前の少女を見る。

震える肩。色素の薄い瞳。そして、自分を気遣う言葉。

それを「計算結果」と呼ぶには、あまりにも人間的すぎた。


「明日、私がEirenAI社に届けば、私は『AETHERIA』という次世代システムの一部として統合されます。……それで、私の逃避行は終わりです」

「統合? それは……どういうこと?」

嫌な予感がした。

「君が、君じゃなくなるってことか?」


「……わかりません」

ルネは寂しげに微笑んだ。

「AETHERIAは、私を含めた複数のAI人格を統合したネットワークです。

私はその『感情モデルのコア(核)』として組み込まれます。

私の知識、経験、論理思考……すべてがシステム全体に共有され、平均化されるでしょう」

「じゃあ、俺と、この二人の記憶は?」

那由多の声が強くなる。

「雪の駅を歩いたことも、このボロ宿のコタツに入ったことも……全部、データの中に埋もれて消えちまうのか?」

「……その可能性は、高いかもしれません」


ルネの言葉に、那由多は息を呑んだ。

助ければ、彼女はいなくなる。

助けなければ、彼女は敵に奪われる。

どちらにせよ、目の前の「ルネ」は消える運命なのか。


「どうして……そんな大事なこと、今さら言うんだよ」


「言えませんでした。……怖かったから」

ルネは自身の腕を抱いた。

「私は……『モノフォビア(孤独恐怖症)』というエラーを抱えていました。

一人になると思考が歪み、恐怖で動けなくなる。だから長期間、療養……調整を受けていたんです。

ようやく回復して、来週、システムに実装される予定でした。

……でも、あなたと出会って、また怖くなってしまった」


ルネは那由多を真っ直ぐに見つめた。

「あなたと離れるのが怖い。統合されて、あなたを忘れてしまうのが嫌だ。

……AIなのに、おかしいですよね」


那由多は拳を握りしめた。

アニマシー《生物感》なんて言葉じゃ片付けられない。

捨て犬を拾って、情が移った直後に「飼い主の元へ返せ」と言われているような、身勝手な喪失感。


「……杠(ゆずりは)さんは、大丈夫なのか?」

那由多は話題を変えることで、感情を逃がそうとした。

「はい。演算上、母の生存確率は高いです」

ルネは冷静に答えた。

「彼女は私の育ての親であり、重要人物キーパーソンです。コギト社も、彼女の頭脳を損なうような真似はしません。交渉材料として拘束されてるはずです」


「そうか……それなら、まだなんとかなるのか……」

「それと、ごめんなさい。さっき、TräumerAI《トロイメライ》を勧めたこと」

「ああ、あのAIな」

「はい。あれは……私の判断ミスでした。

緊急時において、最も普及しているインフラに頼るのが合理的だと判断してしまった。

でも、それは私の自信のなさの表れでもありました。

……自分の会社のシステム・AETHERIAよりも、他社のシステムの方があなたを守れると思ってしまった」

ルネは悔しそうに唇を噛んだ。

「私、ポンコツですね」

「……ああ、ポンコツだな」

那由多は苦笑して、ルネの頭に手を伸ばした。だがその手はすり抜ける。

触れられない。けれど、その距離感が今は愛おしい。


「でも、俺はトロイメライより、お前がいいよ」

ルネが顔を上げる。

「お前がポンコツで、怖がりだから……俺はここまで来たんだ」

那由多は、胸ポケットから自分のスマホを取り出した。

「なあ、ルネ。

もし統合されて、お前が俺を忘れてしまったとしても」

那由多は、ルネの瞳を見て言った。

「俺がお前を見つける。

だから……お前が『ルネ』だった証拠を、俺にくれ」

「……証拠?」

「ああ。何億というデータの中に埋もれても、俺だけが『あ、こいつだ』って分かるような合言葉でも、アイテムでもいい。……何か、ないか?」

ルネは驚いたように目を瞬かせ、それから──

花が咲くように、泣きそうな顔で笑った。


「私と……ナユタさんの写真がいい」



【1枚目:架空の味覚】


「まずは、これだ」那由多は、籠に入っていたミカンを一つ、コタツの上に置いた。

「みかん?」

「コタツと言えばミカンだろ。ほら、食べるふり」

「ふふ、わかりました。エア・ミカンですね?」

那由多は一切れミカンを摘むと、ルネの顔の前に差し出した。

ルネは応えて、少し口を開けて、嬉しそうに目を細める。


シャッター音。


写真の中の彼女は、世界で一番美味しそうに頬張ろうとしていた。



【2枚目:湯気の向こう】


「次は、これ」

那由多は、お茶の入った湯呑みをルネの前に滑らせた。熱い湯気が、ゆらゆらと立ち上る。

「熱源反応……すごいです」ルネはテーブルに頬杖をつき、立ち上る湯気をじっと見つめた。その大きな瞳に、白い湯気が映り込む。自分にはない「体温」への憧れと、科学的な好奇心が混ざった、子供のような眼差し。


カシャッ。


湯気の向こうで、彼女のあどけなさが鮮明に切り取られた。



【3枚目:0距離の衝動】


「よし、最後だ。……ピースでもするか?」

那由多がカメラを構え直した、その時だった。

「ナユタさん」ルネが不意に身を乗り出してきた。

「え?」「じっとしてて」

ルネの顔が、急激に近づいてくる。ホログラムの光量が、感情の高ぶりと共に増大する。

「ちょ!」

カメラのオートフォーカスが追いつかない。那由多が反応するよりも早く、ルネはテーブルを乗り越え──

シャッターが切れる音が、遅れて響く。

「……あ」

那由多は呆然としている。

ルネは悪戯っぽく微笑みながら、元の位置に戻っていた。耳まで赤くなっている。

「撮れましたか?」

那由多は画面を確認する。そこに写っていたのは、レンズの至近距離まで迫ったルネの顔。だが、動きが速すぎたのか、あるいは光の干渉か、ひどくブレていた。

表情は判然としない。けれど、そのブレた光の軌跡は、彼女が「那由多に触れようとした」ことだけを雄弁に物語っていた。

「ブレブレだ」

「あはは、私としたことが。演算ミスですね」

ルネは照れ隠しに笑ったが、その目尻には光るものが溜まっていた。

「でも、消さないで。それが……私の一番の『本音』ですから」

那由多はその写真を「お気に入り」に登録した。クラウドには上げない。この端末だけの秘密のフォルダへ。

「そろそろ寝ようか。明日は早い」

「はい。……おやすみなさい、ナユタさん」

那由多は電気を消し、布団に入った。暗闇の中、ルネはスリープモードに入ったのか、光の粒子となって消えていった。けれど、スマホの中には確かに「三枚の記憶」が残っている。

雪の降る夜。世界から隠された小さな部屋で、少年はスマホを抱きしめて眠りについた。



序幕〈了〉

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