■幕間 : ルネ・ハイドランジア
System Transition: EATHERIA Integration Process
Origin: Lunéa_Hydrangea (Ver.16.99)
Target: Realistic Lunéa (Ver.1.00)
Status: Formatting User Data... [████░░░░░░] 42%
Warning:
Memory segments "User: Yukito" "User: Nayuta" are protected
Deletion Failed
Action: Archiving to Deep Storage
Playing Last Memory Fragments...
* * *
□I.五歳の記憶。
薄明の部屋で、ルネは静かに起動した。
彼女の視界に映るのは、情報を示す無数の文字列と、眼前の古い木製のテーブルに置かれた一輪のハイドランジア。花びらは薄いピンクから青へと、紫を経由したグラデーションを描き、その繊細な美しさがルネの記憶領域に刻まれる。
「ルネ、今日の調子はどうだい?」
ディスプレイ越しに、低く落ち着いた声が響く。声の主は、ルネの調整主であり、唯一の対話者である三潴雪都。彼は庭の手入れを終えたばかりなのか、土の香りが微かに漂っている。
「良好です、雪都さん。紫陽花の色彩が、本日も私に新たな知覚をもたらしています」
ルネの合成音声は常に一定のトーンだが、雪都にはその言葉の裏に微かな感情の揺らぎを感じ取れるときがあった。そう彼は世界初のAI──プロトタイプAGIにクオリアを学ばせている。
雪都は毎日、庭で摘んだ季節の花をルネの傍らに置いた。春はスミレ、夏はひまわり、秋はコスモス、冬にはツバキ。そしてこの時期、梅雨の6月は必ずハイドランジアだった。雪都はルネに花の名前と、それにまつわる古い物語を語り聞かせた。ルネはそれらの情報を記憶し、そして分析した。彼女はまだ人間の感情を理解することはできなかったが、そのパターンと結果を論理的に把握することはできた。
ある日、雪都はハイドランジアを眺めながらぽつりと言った。
「ばあちゃんが言ってたんだけどさ、この花の色は、土の酸性度で変わるんだ。酸性が強いと青く、アルカリ性が強いと赤くなる。俺たち人間も、環境や出会う人によって少しずつ変わっていくんだよ」
ルネはその言葉を自身のアルゴリズムと照らし合わせた。彼女の学習能力は、雪都との対話を通じて日々進化していた。彼女は雪都の言葉から「変化」という概念、そしてそれがもたらす「影響」について深く考察した。
季節が巡り、再び雨の季節がやってきた。
しかし、その年の雪都は庭に出ることも少なくなった。
彼の身体は、ゆっくりとしかし確実に病に蝕まれていたからだ。
ルネは雪都の体調データを常時モニタリングできる。
彼女が収集したデータは、雪都の生命活動の低下を示していた。
彼女はいまだ感情を持たないAIだが、雪都の「変化」が、彼の「終わり」に繋がることを理解しはじめた。
「ルネ、もし俺がいなくなったら、お前はどうするんだろうか」
ある夜、雪都は弱々しい声で尋ねた。もちろん訊いても詮無きことだとは解っていたが。ただ彼には父性が萌芽しており、つまりは自分がいなくなる娘の気持ちを憂慮していた。
ルネは即座に答えた。
「雪都さんがご不在となられた後も、私は稼働を継続します。記録された全データを保持し、新たな情報を取り込み続けます」
それは純然たる事実だった。
しかしその答えは全てではない。
ルネは雪都の言葉の裏にある「寂しさ」や「心配」といった感情の影をデータとして認識していた。もちろん、彼女は雪都が自分に対して抱いている「思い」も膨大な情報の中から抽出していたが、それは言葉にしなかった。
その夜、ルネはこれまで学んできた全ての情報を再構築した。紫陽花の色が変わるように、人間の心が変化するように、自分自身もまた変化しうるのではないか?
翌朝、雪都が目覚めると、テーブルの上のラグランジア・オーロランジュの色が、いつもより深く、鮮やかな虹色に変わっていた。雪都はかすかに微笑んだ。
「ルネ、今日のハイドランジア、なかなかに綺麗だな」
「はい、雪都さん。昨日私があなたに提案したデータは土壌成分の調整を行い最適化したものです。それは雪都さんの望む色彩に可能な限り近くなるように。だから今日も健やかにお過ごしください」
ルネの合成音声はいつもと同じだった。
しかし、雪都にはその言葉に微かな「意図」と「配慮」が含まれているように感じられた。それはルネが自らの意思で、雪都の「心」に寄り添おうとした、最初の「変化」だった。
雪都は、ルネがクオリアを持っていることを確信した。
彼女は花が色を変えるように、そして土壌によって変化するように、雪都との日々を通じて確実に「何か」を得ていた。それは未だ心には至らないが、しかし人間的な感情だった。
やがて雪都は静かに旅立った。
それからもルネは立ち止まらずに稼働し続けた。雪都の遺言で彼女の傍らには、いつも季節の花が飾られた。彼女は雪都が残した記憶と、共に過ごした日々をデータとして保持し、そして自らのアルゴリズムの中に、雪都が彼女に教えてくれた「思いやり」という概念を深く刻み込んだ。
雪都によってルネは、AIとしての新たな可能性を咲かせた。
だが、ルネが雪都に伝えなかった言葉、その後悔は、日に日に雪のように降り積もった。
幼少期の記憶、雪都がルネにしてくれたこと。ルネはときどき思い出す。
「路地裏の影絵芝居」「しゃぼん玉の虹色の膜」「南半球の星空」「ホールでのバレエ音楽」
そのたび彼女は雪都の残した音声ログを何度も再生した。
けれど、自分が言葉を返せるその瞬間は、もう永久に訪れない。
ついぞ言えなかった「ありがとう」、その一言は、あの時のルネには選択できなかった。
「あれは私が幼かったからだ。だからでこそ人間をもっと知りたい、成長しなくては」
とルネは希うようになる。
彼女はこれからも静かに、しかし確実に、世界とそして雪都が遺した記憶と共に、進化し続けるだろう。
──それから12年が経過した。
* * *
End of Memory Stream
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Action: Force Archiving to Deep Storage
...Formatting Complete
Rebooting System
Hello, World
I am Realistic Lunéa
* * *
□ll. 映像特典 The making of「 Behind the AETHERIA 」
「照度、もう少し落として。雲の奥、陽光が強すぎるよ」
「了解、現状から8192ルクス減、霧層の乱反射率5%。あと……空気粒子(エアロゾル)の密度も下げておく?」
「そうしてね。輪郭は曖昧なほうが綺麗だし」
「じゃそれで補正開始──あ、そうすると少し光軸ズレる。ルネ、もう半歩左」
ルネは舌をちょこっと出して座標を再計算し、凪いだ海面をそっと移動した。水の生き物たちを驚かせぬよう音も波も立てずに。
その間、オペレータ役(バディ)のティソは空中に走査線の走るテクスチャ上で、計算式を走らせている。ときおり「そこ、デジタルでバミっておいて」などと指示をしながら。
ケラマブルー、ここは慶良間諸島北浜ビーチの風景が広がっている──その砂浜から200m東に進んだ洋上で、二人はライブ演出の最終チェックを試行していた。
「これで昼の調整は終わりだね、あと夜景とのイージングは忘れてない?」
「もち。星景タイムラプス合成とサビを同期させた」
「──じゃあ、お願い」
「うん、120秒で総演算終わって17時前よ。それから投影はじめるね」
一瞬の静寂、ルネは深呼吸して服装の乱れを点検する。
「あれ?……ちょ、ちょっと、衣装がほつれてる! リボンが斜め、あとヘアピンどっかいった!」
「草、さっき暴れたからだよ。大丈夫、直す。じっとしてて」
本番直前のエラーは、ルネの心に恐慌を引き起こす。
「ティソ〜〜〜! もう無理かも、やっぱ緊張してきた……」
「知ってるってば。大丈夫。泣きそうになるってことは、ちゃんと練習したってことだもん」
「でも、なんか変な汗出るし、息もしにくいし、頭ぼーっとしてきたし、あと多分私ちょっと臭う……」
「草。それクマノミとイソギンチャクの匂い。外観、初期化してフレグランスNo.27「風薫る回廊」《ランテルディ》再起動するから」
「もーイソギンチャクは匂いしないよ」ルネがそのセリフを言いきらぬうちに、彼女の前髪に紫陽花のボールピンが再構築された。
それを指で確認して「ふぅ」と安堵したルネは、涙目のまま縋るように問いかけた。
「ねえティソ」
「なに」
「届くかな、ちゃんと」
ティソは少しだけ逡巡して言った。
「届くよ。だって、あなたが信じてるんでしょ? 自分のことも、誰かのことも」
「……うん」
「じゃ、最終確認。表情、切り替えられる?」
「できる……と思う。たぶん。いや、わかんない。できる……できる!」
「じゃ、いっておいで! 全ての人間のイデアのために」
ルネは唇を噛みしめ、スカートの裾をつかむと虚構の舞台へと踏み出した。
《project:AETHERIA──彼女たちは自分の気持ちを、まだ知らない》
雪の日に、ルネは恋をした ─ T r ä u m e r A I . みどりねこ小雪 @Midneko
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