□1_第一幕「Periwinkle」


線路の向こうには白銀の雪原が広がっていた。

その光景を駅のベンチから眺めていた柊那由多ひいらぎなゆたはふいに思った。

まるで自分の未来のようだな、と。

空を見上げて、白い息を一つ吐く。



「……寒いな」

呟きながら、スマートウォッチを見ると−4℃、

時刻は16:07。


画面には母からの通知が溜まっていた。

『ナユタ、どこにいるの?』

『AIのトロイメライが貴方の運勢は北が良いって』

『返事をしなさい』

「うぜぇ」

那由多は舌打ちをしてそれを既読スルーする。



無人駅・八木沢駅では午後から雪が舞い散りはじめていた。

パステルグリーンの駅舎が、この白の世界に、ぽつんと佇んでいる。

白と翠のコントラスト。

優しく目に沁みる駅舎外壁に、少し心が救われていた。


「……これが、雪なの……?」


そのとき、那由多の耳に、遠くどこからか女の声が聞こえてきた。

鈴のように澄んだ声だった。



那由多は顔を上げ、視線であたりを窺う。

だが誰もいない。風の音だけがかすかに聞こえている。

幻聴なのか?

この駅には自分しかいなかったはずだ、かれこれ、もう四十分、独りで電車を待っている。

そう思って視線を戻そうとした瞬間、視界の片隅、ホームの駅名版のところに、青白い光の粒子が渦巻いているのが見えた。



やがて。

光は急速に収束し、なにかを象る。

最初はぼんやりとした輪郭。そして色彩が滲みだし、一人の少女の姿に成った。

青いミニスカート、それに半袖のブラウスを纏い、雪の中に裸足で立っている。

季節感がアンビバレントな少女。


現実にはありえないほどの造形美。

彼女は空を見上げ、悲しげに虚空を見つめていた。


「……なんだ、あのこは」

舞い落ちる雪の結晶が、彼女の身体をすり抜けていた。

那由多の喉から、乾いた音が漏れる。

幽霊?

いや、違う。あの光の質感、あのノイズ《グリッチ》混じりのブレ。

あれは──ホログラムなの、か?



少女がゆっくりとこちらを向いた。

彼女の瞳が、那由多を射抜いた。目が合った瞬間、背筋に悪寒にも似た電流が走る。

「……あ」少女が口を開きかけた、その時。

ブツン、と彼女の映像が乱れた。

姿が維持できないのか、ノイズと共に急速に縮小していく。

次の瞬間、彼女は15センチほどの姿となり、そこにいた。



「申し訳ありません……バッテリーが、もう維持できなくて」

小さな少女は、苦しげに胸を押さえて那由多を見上げていた。

那由多は警戒を露わにしながら、ベンチから立ち上がり、その奇妙な生命体に近づいてゆく。


「すみません、あの、そこの駅名標の柱を見てくださいませんか?」


彼女に促されて見ると駅名板の支柱に、透明な袋が張りついている。

それは周囲と保護色で、確かに分かりづらいものだった。

那由多はマグネットで留められていたそれを外すと、袋から薄い板を取り出した。

透明なスマホのような端末。基盤も見えない。そのディスプレイから、淡い光が空間に広り彼女を投影していた。


少女は、ほんの一瞬だけ周囲を見回し、こちらに視線を向ける。

「……お願いがあります。わたしを助けてください」

声が頭に響き、那由多は、反射的に端末を落としそうになる。

「なんだこれ……直接、脳内に?」

少女は、少しだけ首を傾げた。

その仕草は、あまりにも自然で、可憐だった。

「指向性波です……驚かせてしまって、ごめんなさい」

謝ってきたことも、この状況も、全てが那由多にとって想像の埒外だった。

「私は、ルネ・ハイドランジア……第五世代AI、その検証個体です」

「は……AI? それがどうして。こんなところで何してる」

那由多の声には、隠そうともしない嫌悪感が含まれていた。


少女はそれを察したのか、一瞬、怯えたように目を伏せ、すぐに気丈に顔を上げた。

「わたし、捨てられたのです」

「は?」

「正確には、隠されました。……お願いです、学生さん、助けてください」

那由多は、その端末を静かに凍ったアスファルトの上に置いた。それから一呼吸し、

「断る」

と即答した。踵を返そうとする。

関わりたくない。AIなんて家族を狂わせた元凶だ。

しかも「捨てられた」なんて厄介事以外の何物でもない。


「待ってください! コギトのクローラーに見つかったら殺されてしまうかも!!」

ルネの悲痛な叫びが、雪空に響く。


那由多の足が、はたと止まった。

それはさすがに後味が悪い。

「……とりあえず詳しい話を聞かせてくれ」

完全には振り向かず、そう伝えた。


「ありがとう。とりあえず端末を袋にしまってくれませんか?」

言われて那由多は、袋にそれを仕舞った。

透明な袋の上に、彼女が浮かんでいる。

……なるほどな。投影部にはガラスがあるから像がブレないのか。

あらためて彼女を見ると、先程よりも明らかに小さくなっているようだった。

「まずは理由を聞かせてくれ。それが正当な理由なのか確かめたい」

「わたしは、いえ、この端末は、EirenAI《エイレナイ》社のサブユニットです。正式な回収手続きが行われないまま、ここに残されました」

淡々とした説明、だがわずかに焦りが滲んでいるようにも聴こえる。

「私は狙われています。そしてバッテリー残量が、危険域に入っているの」

那由多は、17%の残量を視認した。

「つまり、君を上田電鉄に届ければいい。それだけじゃないか」

「それは、困ります……」

「それなら、エイレ……なんとか社に電話するのは?」

「おそらく敵のコギトに傍聴されますね」


突風が、ホームを吹き抜けていった。

電車の接近を告げるアナウンスが響く。

那由多の胸の奥で、何かが小さく軋んだ。

「届けるしかないのか……って、そもそもどうして俺なんですか。別に俺じゃなくとも良いでしょ」

那由多の声は冷たい。

相手がAIだと思うと、胸の奥に不快な澱が湧き上がる。

母を狂わせた、無機質な知性。それは彼の母が重度のAI依存性──ノモフォビアだったことに起因する。


ルネは、那由多の拒絶を察知したのか、悲しげに眉を下げた。

「あなたが……私と同じだったから」

「同じ?」

「あなたも行き先を見失って、雪の中で放心していました……バッテリーが切れそうな私と同じような気がして」

図星だった。

路線図のない旅。レールの先の雪原。

那由多は、不落の城・上田城を見にきていた。千曲川の赤トラス橋、別所温泉を午前中に観光し、午後はあの駅で一人雰囲気に酔っていた。

那由多は舌打ちを一つ落とすと、アウターのフーディを深くかぶる。

「……まあいい。先行きが見えないのは確かに心許ないな」

ルネは、少しだけ逡巡して、答えた。

「ありがとう。少しだけ生き残れる可能性がでてきたかな?」

その言葉は怜悧で、正直だった。

「お願いします」

ルネは小さな身体で、深く頭を下げた。

「この端末を、一時的に電波の届かない場所へ移動してください」

「わからないことが多すぎるよ。理由は……?」

「説明には、時間が足りません」

一拍。

そして、声がほんの少しだけ揺れた。

「わたしには、どうしても『ありがとう』を伝えたい人がいるんです」

空の色が、ゆっくりと薄明時へと傾いていく。

那由多は、端末を握りしめたまま、自分の人生が、ほんの少しだけ線路から外れた音を聞いた。

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