第8話 帳簿が語るもの
夜更け。
レオンハルト公爵邸の書斎には、静かな灯りだけがあった。
重厚な机の向こうで、カール・レオンハルト公爵は書類に目を通している。
その前に立つのは、外套を脱いだばかりのシルヴィアだった。
「……以上が、ベリントン商会で得た話です」
淡々と。
感情を挟まず、事実だけを。
・最高級サファイアが市場に出回らないこと
・五年以上前から段階的に起きていること
・不況ではなく、意図的な操作であること
・国外流通を利用し、帳簿上は正しく見せていること
・神殿では、西の国の浄化札が主流になりつつあること
カールは、途中で一度も口を挟まなかった。
「……ふむ」
報告が終わると、短くそう言って、視線を上げる。
「ベリントンは、確信していたか」
「はい。
呼ばれた理由も、すでに察している様子でした」
「だろうな」
カールは小さく息を吐いた。
「老舗というのは、
風向きが変わる前に、帆を畳むものだ」
そして、低く続ける。
「――誰を敵に回したと思っている」
怒りはない。
声も荒れていない。
それが、かえって重かった。
「宝石の操作が五年以上前から、か……」
カールは指先で机を叩く。
「アルジェント侯爵家が、
徐々に弱っていった時期と一致する」
「偶然とは、思えません」
「思わん」
断言だった。
カールは椅子を引き、立ち上がる。
「シルヴィア。
お前は、よく役目を果たした」
それ以上の賛辞はない。
だが、その一言は重い。
「ここから先は、
大人の仕事だ」
「はい」
シルヴィアは一礼し、静かに部屋を下がった。
扉が閉まる。
カールは、壁際の小さな鐘を鳴らした。
ほどなくして入ってきたのは、
王国財務官――オズワルド・ハインリヒ。
痩身、無表情。
数字と帳簿だけを信じる男だ。
「お呼びでしょうか、公爵」
「アルジェント領の宝石取引を洗え」
唐突だが、命令は簡潔。
「過去十年分。
国外流通も含めてだ」
オズワルドの眉が、わずかに動く。
「……それは、
王妃殿下のご実家に触れますが」
「構わん」
即答だった。
「私は、政治の話をしているのではない」
「国の財の話だ」
一拍置き、続ける。
「国内市場を歪め、
国外へ利益を逃がす行為は、
王国の損失だ」
「調べよ。
裏が取れれば、次へ進む」
オズワルドは一瞬だけ考え、深く一礼した。
「承知しました」
そして、去り際にぽつりと告げる。
「……実は、公爵」
「神殿関係の支払いにも、
不審な点がございます」
カールの視線が鋭くなる。
「続けろ」
「西の国からの“浄化札”です。
購入数が、ここ一年で急増しています」
「……国内の祈りでは足りぬ、か」
「そのように見受けられます」
オズワルドが去ると、書斎には再び静寂が戻った。
カールは窓辺に立ち、夜の王都を見下ろす。
(聖女、宝石、札、商会……)
(全部、一本の線だ)
そして、低く呟いた。
「……ようやく、裏が見えてきたな」
その頃、
神殿では何も知らぬ王子が、
凱旋の機会をうかがっていることなど――
まだ、誰も知らなかった。
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