第3話 大神官アークスは、神託を信じない



王の生誕祭の喧騒が、ようやく遠のいた頃。


アークスは王宮の一室で、静かに手袋を外していた。

豪奢な装飾の施された部屋だが、彼の視線は机の上の書類にしか向いていない。


(……疲れた)


内心でそう思いながらも、顔には出さない。

これが習慣だった。


王宮という場所は、

感情を見せた者から食われる。


ましてや、彼は神官。

しかも最年少で大神官にまで昇り詰めた男だ。


「アークス様」


控えめな声がした。


「はい。どうしましたか?」


穏やかに応じると、若い神官が一歩近づく。


「先ほどの生誕祭での件ですが……

聖女様が少々、お疲れのご様子で」


(少々、ね)


「そうですか」


アークスは微笑んだ。


「では、今夜は無理をなさらぬよう、

侍女たちに伝えてください」


「はい!」


神官はほっとしたように頭を下げ、部屋を出ていく。


扉が閉まった瞬間、

アークスは小さく息を吐いた。


(疲れているのは、こっちだ)


机の上には、数枚の報告書。


・王宮回廊にて、聖女リーゼが侍女に手を上げた件

・その直後、レオンハルト公爵家長男による治癒

・治癒の際、浄化反応を確認


ペンを持つ手が、一瞬止まる。


(ヒールに、浄化が混じる……か)


普通はありえない。


ヒールは肉体を癒す術。

浄化は、瘴気や不浄を祓う力。


本来、別物だ。


(エルフか……)


フロリエル・レオンハルト。

あの公爵夫人が純粋なエルフだったことは、

ごく一部の人間しか知らない。


(なるほどな)


ガブリエルの力は、

本人が思っているより、ずっと危険だ。


――いや。


(正確には、

 “危険になりうる”だな)


使い方次第で、

世界を壊すことも、救うこともできる。


アークスは、そういう力を見慣れていた。


ふと、別の書類に目を移す。


【信託記録・聖女認定】


そこに記されている名。


リーゼ。


桃色の髪を持つ少女。

神官長オルフィスによる神託。

数名の神官が立ち会い、同意。


(……ふむ)


アークスは、この神託を信じていない。


そもそも彼は、

「神の声」なるものを、聞いたことがない。


信じているのは、

魔力の量、質、流れ、結果。


それだけだ。


(聖女とは、

 浄化できる存在だ)


これは、彼なりの定義。


だが、リーゼは違う。


彼女の祈りで回復した土地は、

数日後、再び瘴気を帯びる。


(浄化できていない)


だから、今は――


「お札」に頼っている。


西の国の巫女、

天野静音が作った札。


黒髪、黒眼の巫女。

聖女とは呼ばれないが、

その力は本物だ。


札を瘴気の地に置くと、

不浄がゆっくりと吸い取られていく。


一年ほどで効力は尽きるが、

確実に“効く”。


(……本物だ)


そして問題は。


(なぜ、

 リーゼの奇跡として報告されている?)


答えは、分かりきっている。


(商売になるからだ)


アークスは、そこだけははっきり理解していた。


彼は金の流れを見る。


信仰ではなく、現実を見る。


それができたから、

十八で神官長になり、

二十二で大神官になれた。


(神託を信じていたら、

 とっくに死んでいる)


そういう世界だ。


「アークス様」


再び声がする。


「聖女様から要望が……」


「はい」


彼は即座に笑顔を作った。


「聖女様が、どうなさいましたか?」


神官は少し困ったように続ける。


「次の浄化の場ですが、

もっと人目のある場所が良いと……」


(……ああ)


(そういうことか)


「分かりました」


アークスは穏やかに頷く。


「調整いたしましょう。

聖女様のお力が、より伝わるように」


神官は安心したように去っていった。


扉が閉まる。


アークスは、椅子にもたれかかった。


(……本当に、分かりやすい)


人目。

賞賛。

金。


(だが)


彼は視線を落とす。


(長くは、もたない)


本物と偽物の差は、

必ず、どこかで露呈する。


しかも今回は。


(レオンハルト家が、

 動き始めている)


ガブリエル。

シルヴィア。

そして――


(カール公爵)


面倒だが、

面白くもある。


アークスは小さく笑った。


(さて)


(無駄に敵は作らない。

 だが、備えはしておこう)


彼はペンを取り、

新たな記録を書き足した。


【レオンハルト家:要注意】

【特に長男ガブリエル】


そして、最後に一言。


(聖女とは、

 称号ではない)


(……選択だ)

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