第2話 聖女様は、平手打ちがお好き

王の生誕祭で賑わう王宮は、夜になっても熱気が冷めなかった。

音楽、笑い声、絹擦れの音。

祝祭の光が、回廊の奥まで溢れている。


「……まだですの?」


苛立ちを隠しきれない声で、リーゼは言った。


場所は人目の少ない柱廊。

あえて選んだ場所だった。


「聖女様、どうかお待ちください」


若い侍女が、必死に声を抑えて頭を下げる。


「まだ王族の方々へのご挨拶がお済みではありません。

王の生誕祭の最中に抜け出すのは……」


「だから、何だというの?」


リーゼは振り返り、侍女を見下ろした。


胸元を強調する純白の衣。

柔らかな桃色の髪。

――聖女に選ばれた自分。


(どうして、この立場が分からないのかしら)


「私は“信託の聖女”よ。

この国で、神に最も近い存在なの」


「……ですが」


その一言が、癇に障った。


次の瞬間。


ぱちん。


乾いた音が、石造りの回廊に響いた。


侍女の身体が揺れ、

そのまま膝をつく。


声は出なかった。

頬だけが、みるみる赤く染まっていく。


「……分を、わきまえなさい」


リーゼは冷たく言い放った。


「あなたは仕える側。

私は、選ばれた側なのよ」


侍女を一瞥し、

まるで興味を失ったかのように踵を返す。


(これでいいのよ)


誰もが、そうしてきた。

神官も、貴族も、王子も。


自分を疑う者など、いなかった。


「……大丈夫ですか?」


静かな声がした。


侍女が顔を上げると、

そこに立っていたのはシルヴィアだった。


深い青のドレス。

落ち着いた佇まい。


彼女は何も言わず、

そっとハンカチを差し出す。


白い布に、

侍女の震える指が触れた。


「……ありがとうございます」


声が、かすれる。


シルヴィアは慰めの言葉をかけなかった。

ただ、同じ目線で、そこに立っていた。


その背後から、

柔らかな気配が近づく。


「お兄様」


呼ばれて現れた青年に、

その場の空気が一瞬、変わった。


ガブリエル・レオンハルト。


白銀の髪が、灯りを受けて淡く光る。

整いすぎるほど整った顔立ち。

だが、威圧感はない。


むしろ――

近くにいると、息が楽になるような、不思議な感覚。


「少し、失礼」


彼はそう言って、

自然な動作で侍女の前に膝をついた。


手をかざす。


祈りも、詠唱もない。


淡い光が、静かに広がる。


赤く腫れていた頬が、

ゆっくりと元に戻っていった。


(……あれ?)


侍女は、痛みだけでなく、

胸の奥のざわめきまで消えていくのを感じた。


「もう、大丈夫だ」


ガブリエルは微笑んで言う。


その笑顔に、

周囲で見ていた者たちが、思わず息を呑んだ。


(……なんて、美しい)


誰もが同じことを思い、

同時に口に出せなかった。


その少し離れた場所。


柱の影で、

一人の神官がすべてを見ていた。


大神官アークス。


(……なるほど)


平手打ち。

即座の治癒。

そして――


(ヒールに、浄化が混じっている)


視線が、ガブリエルに向く。


(エルフか……

 しかも、かなり濃い)


だが、表情は変えない。


今日は王の生誕祭。

ここで騒ぎを起こすのは、愚策だ。


(記録は必要だな)


アークスは静かに踵を返した。


無駄に敵は作らない。

だが――


(見なかったことには、しない)

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